4.夜行飛行機

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 今度の席は、ちょうど翼の上だった。直下の景色が見えない上、騒音は相変わらず。もちろん窓側。一番良くない席だが、格安航空券をキャンセル待ちで取ったんだからしかたない。
 さらに、お隣にいた中年の夫婦、これがあまりたちのいい人たちではなかった。この奥さんのほうが、「Excuse meしか言わない」みたいなことをつぶやいていた――現地の言葉だからわからないと思ってるんだろうが、だいたい想像はつくものである。いちいち"I'd like to go to toilet, so can I through here, please?"と断れと言うんだろうか。日本人どうしだって席を立ち上がって「すみません失礼します」と言えばわかるじゃないか。若い日本人だからってバカにしやがって。
 で、このお返しと言っては何だが、緊張のせいでトイレが近くなり、何度も彼らには迷惑をかけさせてもらった。極めつけはシンガポール時間の午前3時にたたき起こしてトイレに立ったことである!!生理現象なんだからしかたない。

 シンガポールを夜中に立つと、ウィーンには現地時間の朝に到着する。つまりこの12時間でうまく一眠りできれば、時差は解消できるのだ。
 しかし、消灯時間は意外と早く訪れた。機内食が出て、しばらくすると真っ暗になった。この中でモニターをこうこうとつけてゲームをするのも気が引ける。一度室内灯をつけていろいろやってたら、スチュワーデスに消せと注意された。
 格段にシートのレベルは上とはいうものの、気分は夜行バスそのものである。何度か寝ようと試みたが、そうすんなり眠れるわけもない。それどころか途中で右足が麻痺して全く動かなくなった。
 その上、何故か夜中に出てきた軽食。寝ぼけ眼でよくわからない英語を聞かされ、何となく受け取ったそれは、コロッケパンみたいなものにクラッカー、水。これがまたあまりおいしくない……。よりによってこれを2回ももらってしまったから、処理に困る困る。パンはともかく、クラッカーはあのぼそぼそとした食感が苦手なのだ。
 旅行ガイドブックには「機内で出る食い物は時差解消にもなるから食っとけ」と書いてあったのだが、現地時間の真夜中に出たあの軽食、食う必要があったのだろうか……??

 さて、飛行機はシンガポール・チャンギ空港からアンダマン諸島上空を通過、インドをかすめてイランを南東から北西へときれいに横断、黒海をかすめてヨーロッパへと入る。飛行距離は10900キロ。飛行時間は12時間。いままで同じ乗り物にそんなに長い時間乗ったことはない。スキーバスでも10時間も乗っていなかったのではないだろうか?
 飛行機は真夜中のシンガポールを飛び立ち、西に向かう――つまり太陽から逃げるように飛んでいるわけで、現地に着くまでは常に夜。インドのあたりはまだ所々に街の灯りが見えていたものの、イランに入る頃には地上は真っ暗闇である。こんなに長い夜を経験したのは初めてである。

 チューリヒに着く少し前に出された朝食で、私はビーフンのセットを選んだ。不安と窮屈ですっかりブルーになっていたのに、米の味を感じると途端に元気になる……よほどの米依存症である。現地で大丈夫なんだろうか??
 チューリヒに着いたのは、午前6時半ごろだったと思う。悪天候だというアナウンス通り、空港は濃い霧に包まれていた。
 機内の清掃のため、ということで一旦飛行機を追い出された私は、別段何もすることがない。少しその辺をうろつき、公衆電話を見つけて実家に電話をかけようか、と思ったが、なんだかよくわからないのであきらめた。電話機は似たような形をしているが、コレクトコールというのを使った試しがないし、成田空港で買った「KDDスーパーワールドカード」というのも使い方がよくわからない。電話はウィーンに着いてからでも遅くはないだろう。
 しばらくうろついていると、待合場所のソファのところで、黒人の男性が空港の警官と話をしていた。パスポートなんか出していたから、職務質問でも受けていたのだろう。話している内容はよくわからないが、その黒人男性も、同じソファに座っていた黒人男性もあまりいい顔はしていなかった。無用な詮索でも受けたのだろうか。人種差別、と言う言葉が頭をよぎる。考えすぎだと良いのだが。
 1時間ばかりのトランジットはあっという間に過ぎ、私は再度のチェックを受け、元の席に落ち着いた。ほとんどの客がチューリヒ目的だったらしく、機内はがらがらになっていた。窮屈な気分から、ようやく開放されることとなった

 午前7時半、飛行機は霧に包まれたチューリヒを飛び立った。着陸の時はまだ真っ暗だったのに、朝の日差しですっかり明るくなっていた。
 もうすっかり慣れっこになった離陸のGを感じつつ、飛行機は霧、というか雲を突き破って舞い上がった。その時である。
 急に乗客たちがあわただしくなり、私の座っていた側の窓に集まった――それだけ機内はガラガラだったのである。一体何事か、と思って窓の外を見ると……
 眼下には雲海が広がっていた。それが朝日を照り返して、ところどころオレンジ色に光っている。その向こうに見える山並みは、あのアルプス山脈ではないか!!アルプスはオレンジ色の雲をまといながら、自身もオレンジ色に輝いていたのである。
 この景色はそう簡単には眺められるものではないだろう。この日のこの便ならではの絶景、と言っていいかも知れない。
 そしてちょうど良いタイミングでのリフレッシュメント。カレー風味のチキンが載ったパンとサラダ、紅茶。味は申し分ない。美しいアルプスを眺めながらの食事は最高だった。夜行飛行機の辛さに苦しんでいた私にとって、全てが報われたような気がした。
 雲がだんだんと薄くなってくると、今度は眼下に氷を張ったような景色になる。その下には湖が見え、所々に家が見え、緑色の牧草地が広がっている。まるで水の中の都市を見ているようだ。天界からは、下界はこんなふうに見えるのかもしれない。

 こうして、ウィーンまでのフライトはあっというまに過ぎたのである。

(00/11/22)
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