乙女たちの憂鬱

第八幕 「正義の顔の裏にある彼女の憂鬱」

「今日はどちらまで?」
 近寄ってくる夜魅に老船頭は声を投げる。
「そうねえ・・・」
 考えながら船に乗り込むと、
「グッズリバーまでお願いするわ」
「へい」
 老船頭が竿にぐいと力をいれると、船はすぅと川面を滑っていく。商船、客船、大小さまざまな船がビックリバーの上を行き交っていく。

 ビックリバーはミョルニール山脈から端を発している。
 ミョルニール山脈を東南に駆け下ったビックリバーはプロンテラ西部のハンドレット街からプロンテラ内へと流れ込み、プロンテラ東南の街、ブックランド街を抜けてプロンテラ平原に出、イズルート湾へと注がれる。プロンテラには他にも大小さまざまな川や掘割が流れているが、そのなかでもっとも重要であり大きな河川がビックリバーである。

 クルス通りから南門へ出るには、バリー橋を渡らなければならない。この橋の南北両端には船着場がある。その南側の船着場には何艘もの船が舫ってあったが、船の間を巧みにすり抜けて夜魅を乗せた小船は船着場へと到着した。

「ご苦労様。親爺さん、これで今晩一杯やってくださいな」
 夜魅は惜しげもなく銀貨を一枚、老船頭の手に握らせた。
「や、こいつはいつもどうもすみませぬなあ」
 夜魅は船を見送り、石材で出来た階段を登り、クルス通りへと出る。南へ進路を取れば十五分ほどで南門へと通ずる。

 バリー橋の北向こうはブックランドと呼ばれる街で、往還沿いや往還から程近い場所にはさまざまな商家が建ち並んでいるが、路地裏に入れば、職人の家や商家に勤める町人の家がびっしりと建ち並んでいる。
 一方、南向こうのグッズリバーは、プロンテラ四宿の一であり、もっとも人が行き交う南門を抱える土地だけあって、宿屋、料理屋、茶店が数多く建ち並んでいる。そこかしこに露店も開かれ、人通りも多く、プロンテラの中では一、二をあらそう繁華街となっている。
 バリー橋を渡って五分も歩くと、東西からの道と交差する。
 東側の通りは、御蔵前通りと呼ばれる。その名前の通り、王国が備蓄している小麦や米が入った蔵がビックリバーと通りにはさまれる形でびっしりと建ち並んでいる。蔵から通りを挟んだ向こう側が、プロンテラ第一方面第十四騎士団の駐屯地となっている。第十四騎士団の任務は、グッズリバーの警察任務、南門からの敵の侵入に備えた南門防衛任務、備蓄蔵の警護が主な仕事となっている。本来、プロンテラ市の警察は山百合会が統括し、聖職者が担っているが、四宿は例外となっており、敵の侵攻に備える意味もあって騎士団が担っている。御蔵と駐屯地は通りの突き当たり、ビックリバーへと突き当たる場所まで土地を占有しているため、御蔵前通りには人影は少ない。歩いているとすれば、騎士団の人間くらいのものである。
 西側の通りは大勢の人でひしめいている。人ごみをかき分けて西へどんどん進んでいくと、ビックリバーの支流、ワンアイ川にかかるワンアイ橋へと出る。ワンアイ橋を渡ると、ワンアイ川とトゥアイ川に挟まれた中州に出る。中州の先端で二つの川は合流し、アイ川となって、プロンテラ市を抜けさらに南へと川は続いていく。ビックリバーを北にし、ワンアイ川を東、トゥアイ川を西、アイ川を南に抱えるこの中州は、プロンテラ市公認の艶街となっている。その規模はプロンテラ一である。四方を川に囲まれ別天地のようなこの中州には、夜ともなると大勢の人間がワンアイ橋やトゥアイ川にかけられたトゥアイ橋を渡ってやってくる。そこかしこから男と女の声が響き、夜が明けるまで喧騒がやむことは無い。夜魅は何度かこの街に足を運んでいる。艶を売るためでも女を買うためでもなく、主に刑事に働くことが多い夜魅は情報を求めてこの街に足を運ぶ。この街で商売をする商人どもは、職業柄、裏世界へと精通している者も少なくない。彼らから情報を得て、犯人検挙に繋がったことも一度や二度ではなかった。もっとも、美人の夜魅であるから、情報の見返りに店に出てくれないか、などと言う者もあるが、密かに現役の聖職者を抱かせる店も少なくなく、
「そのことを公にされたくなかったら捜査に協力しなさい」
 逆に脅しをかけて情報提供させることなどしょっちゅうであった。捜査方法に問題はあるし、土地の警察管轄が騎士団であることから『違法捜査』となるが、
「そうでもしないと、悪党どもを捕まえることは出来ないのよ」
  と、なにかと心配してくれるシルフェに語ったことがあった。また、
「犯罪者は意外と人ごみに隠れているものなのよ」
 事実、この艶街で手配中の人物を目撃し、それを起こりとして捜査の網を拡げていき、盗賊団一味を検挙したことも夜魅はあった。
 かつて、イズルート騎士団で刑事に働いていた夜魅であるし、白薔薇となってからも以前のように刑事に働いており、若年であるものの捜査に関してはなかなかに堂に入っている。シルフェも心配こそするが優秀な捜査官として夜魅を信頼しているようだ。

 人ごみをかき分けて夜魅は南門へ向かって歩を進める。やがて、巨大な門扉が視界に入り、扉の手前には検問所がある。検問所では、何十人もの兵士たちが、プロンテラ市を出入りする人間の通行証明書の確認や手荷物検査にきびきびと立ち回っていた。夜魅に気がついたひとりの兵士が、
「お勤めご苦労さまです」
 夜魅へ敬礼をして見せた。他の兵士もそれに続く。本来、門を通るには通行証明書を提示し、手荷物をあらためなければならないが、『白薔薇』という身分がすでに彼らに知れ渡っており、ゆえに呼び止められることもなく、すんなりと関所を抜けていく。
「あなたたちも、任務、がんばってね」
 ニコリと微笑みながら手を振る夜魅に、それまで厳めしい顔で通行人を睨みつけていた兵士たちの表情が崩れた。
「あのぅ、早く検査してくれません?」
 そう言う通行人の声も耳に入らないようだ。兵士たちはしばし呆然と夜魅の後姿を見送っていた。

 夜魅が城門を潜り抜けようとした時である。
「でも!兄君様のためにがんばろう!」
 元気はつらつな少女の叫び声が聞こえてきた。
 あまりにも無邪気なその声に、夜魅、つい笑い出しそうになった。
(打ち込めるものがあるっていいわね)
 そんな事を考えながら数歩足を進めた。と。
「イタッ!離してください!!」
 さっきの少女の声だ。
「暴れるんじゃねえよ。人の親切を足蹴にしやがって!お仕置きが必要だな。おい!」
 今度は野太い男の声。気がつけば南門あたりにたむろしている冒険者どもが人垣を作っていた。
 夜魅は人垣の間からひょいと様子を覗いてみた。
 人垣の中心に居たのは、フランス人形のような少女のアコライト、男のアコライトと男の剣士が一人ずつの三人であった。
 剣士の男が少女の手首をきつく握り、今まさにどこかへ連れ出そうとしているところであった。
「君たち。見世物じゃないんだよ。そこをどきたまえ。道を開けたまえ」
 男のアコライトがそう言うと、歩いていく先の冒険者が一斉に道を開けた。
 そこをアコライトが静かに進み、その後ろを少女と少女の腕を掴んだ剣士がを続いて行く。
(情けない)
 舌打ちせずにはいられなかった。
 これだけ冒険者がいるのに、誰一人人少女を助けようともしない。ただ金のために冒険者になる人間がこのところ増えているが、こいつらはその典型だ。こいつらは真の冒険者なんかじゃない。ここにいる自称冒険者どもを片っ端から叩き伏せてやりたいが、今はとにかく少女を助け出すことが先決だ。夜魅は肩掛けかばんを肩から降ろし、その中からバイブルを取り出すと颯爽とならず者どもの前へ躍り出た。

 

2005年12月26日 第一版公開

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