乙女たちの憂鬱

第七幕 「まろやかな午後と彼女の憂鬱」

 畑道を南西へ向かって夜魅は歩をすすめる。
 見渡す限りの田畑と雑木林は春、夏の時分には情緒のある風景であるが、冬のことのきはもの悲しい風景となる。木々の間に見え隠れする貴族たちの別邸も風景をより悲しくしていた。これらの別邸は今ではほとんどが空き家となっている。それというのも、このあたりの治安がプロンテラの他の街から比べて悪いからだ。空き家となった別邸には、人相が悪い無頼のものどもがどこからともなく流れてついてきて棲みついてしまい、近辺の百姓に害を及ぼすこともある。そのような場所に貴族は近寄らなくなり、空き家が増えてまたそこに無頼ものが棲みついてしまうという悪循環となっており、プロンテラの警吏も頭を抱える地域となってしまっている。

 しばらく歩くと畑道の向こうから、貴族の別邸の空き家に棲みついていると見える無頼のものが二名、夜魅に向かって歩いてきた。ふたりは昼間からしたたかに酔っているようだ。畑道の真ん中を大声をあげて歩いている。しかし、夜魅の姿を見たふたりは慌てて道をあけた。ふたりの脇を夜魅が挨拶もせずに通り過ぎて行く。かつて夜魅にふざけて声をかけた無頼のものが手痛い目にあったことからこの近辺では夜魅の名は鳴り響いていた。

 畑道を十五分ほども歩くと、道の両側の景色が変わる。木が生い茂っている。木々の間を抜けるとふたたびレンガで舗装された道に出、道の両側には商家が軒を連ねている。夜魅が抜けてきた木々の道がシャロウグロス街とブックランド街の境にあたり、今夜魅が歩いているこの辺りはブックランドと呼ばれる街の外れにあたる。
 と、夜魅が左の細道へと入っていく。通りから少しはずれたそこには、『枡一』という文字が染め抜かれた暖簾のかかった船宿があった。船宿『枡一』は店の両脇にこんもりと茂った木々を抱え、店の後ろにはビックリバーと呼ばれる川が流れている。通りからはずれ、目立たない店構えだが、ビックリバーとイズルート湾から水揚げされる魚介を主とした美味い料理を良心的な値段で出す店として、『枡一』は知る人ぞ知る名店である。噂を聞きつけ近所でもあるし試しに足を運んだ夜魅だったが、それ以来、ここの料理が気に入ってしまい、プロンテラの我が家に戻ってきた時は必ず立ち寄っている。今日も、『枡一』で昼餉をしたためようと、夜魅が暖簾を潜ったとき、遠くから教会の鐘の音が響いてきた。鐘の音は午後一時を告げていた。
「まあ、ようこそおいでくださいました」
 百七十こえる身長で、でっぷりと肥った船宿の女亭主、ニコラがふっくらとした顔に福々しい笑顔を浮かべて夜魅を出迎えた。
「食事とそれと船を支度してもらえないかしら」
 夜魅がいうと、
「上泉さま、船は全部出払ってしまってるんですよお」
 困り顔でそういう言葉に、申し訳ないというニコラの心情がこもっている。
「困ったわね」
「今日はクリスマスですから、若い男女連れのお客さんが多くて」
「そういえばそうね。なら仕方もないか」
「いえなに。後、三十分もすれば戻ってきますよ」
「そっか。じゃあ何か適当にお願いするわ」
「あいあい」
 ニコラは夜魅を入れ込みの一隅に案内した。普段、ニコラは夜魅を店の奥の小部屋へと案内するのだが、さほどゆっくりする気がないと看たのだろう。夜魅が席へ落ち着いたのを見て、
「今朝、イズルートから帆立が届いたんですよ。それでよろしいですか?」
「ええ、お願いするわ」
「あいあい」
 夜魅に軽く会釈をしてニコラは板場へと去っていったが、
「これでも飲みながら待っていてくださいな」
 グラスの半分ほどにそそがれた赤ワインを持って戻ってきた。
 グラスを傾けながら、窓越しに木々を眺めて、
(さて、今度はどこに行こうか)
 夜魅は考えていた。
 つい先ごろまで、夜魅はゲフェンにいた。ゲフェンには夜魅の法術のもうひとりの師が住んでいる。気がつけば三ヶ月ほどゲフェンに滞在していた夜魅だが、近頃ゲフェンへの魔物どもの攻撃がにわかに激しくなってきており、都市防衛の手伝いをしていたことも長逗留の理由であった。
(西に行ったから今度は南へ行ってみようかしら。ちょうど寒くなってきたことだし)
 などと夜魅が考えていると、
「お待たせしました」
 ニコラが料理を持って現れた。
 掃除された帆立貝の上に、肉厚の帆立が乗せてある。
 この料理は、帆立のブルターニュ風である。玉葱をみじん切りにし、刻んだニンニクをバターを溶かした鍋の上でニンニクがしんなりするまで炒める。
パセリ、帆立、白ワインを加え、さっと帆立に火を通し、塩、胡椒で味を調えたあと、貝殻に盛り付け、その上にバターとパン粉をかけ、焼き色がつくようにオーブンで焼いた料理である。新鮮で肉厚の帆立が噛むほどに味がにじみ出て、それにワインにもよくあう。先ほどから気が滅入っていた夜魅も思わず、
「むう・・・」
 と唸ってしまったほどだ。ついついワインを飲む手が早くなることを止められず、
「申し訳ないけどもう一杯いいかしら」
「あいあい。あ、上泉さま、船が戻ってきましたよ。しばらく待たせておきますね」
 結局、夜魅は帆立を肴にワインをグラスで五杯あけ、その後出された帆立のリゾットで腹を満たし、気がつけば一時間かけてゆっくりと昼餉をしたためた。

 人生とは不思議なものである。もしこの時、船が船宿に舫ってあったら夜魅は昼餉を楽しむこともなかった。このときここで、一時間の時間を使わなければ、この後の夜魅の人生もリリーの人生もまったく別の道を辿っていくことになったであろう。こうした何気もないことが後々振り返ってみると、
「あの時・・・」
 ということとなる。人はそれをたんなる偶然として片付けがたく、運命という言葉をもちいたがるのではないだろうか。

 さて、席を立った夜魅は食事代と船代、それと心づけをわたし、店の土間を抜け裏手へ出る。そこが船着場になってい、常に幾艘かの船が舫ってあるが、今は一艘しかみえない。その船は先刻から夜魅を待っていたようで、老船頭は夜魅を見つけると軽く頭をさげてよこした。

 

2005年12月26日 第一版公開

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