乙女たちの憂鬱

第六幕 「不機嫌なギターと彼女の憂鬱」

「春には完成するかしら」
 建設中の孤児院を見上げながら夜魅が口の中で呟いた。
 孤児院からは忙しく働く人足たちの声が漏れてくる。
「あら。白薔薇さまじゃありませんか」
 その時、丁度建築現場から出てきたひとりの女性聖職者が夜魅へ声をかけた。
「うん?チェルシーじゃない。御機嫌よう。お久しぶりね」
「あら。これはうっかりです。挨拶もしないで。御機嫌よう」
「工事、順調のようね」
「ええ。春頃には完成予定です」
「今後とも、お願いね」
「はい。ところで白薔薇さま。今日は珍しくどのようなご用件でこちらへ?」
「ちょっと里帰り。また、旅に出ちゃうけど」
「完成したら一番にお知らせします」
「楽しみにしているわね。それじゃ御機嫌よう」
「はい。御機嫌よう」

 チェルシーと別れて夜魅はクロムハーツ通りを南へと歩き出した。
 クロムハーツ通りに面して建築しているのは孤児院ばかりでなく、他にも学校や図書館、教会も新しく建て直されている。
 それらに従事する人足たち相手に、食事処や茶店もあちこちに見る事が出来る。セントライト通りに面している場所よりも、この通りの方が人通りも多く活気がある。

 シャロウグロス街一帯は七年前まではそこら中にあばら家が立ち並び、田畑や雑木林が広がるだけの土地であった。とても皇女陛下のお膝元の街、プロンテラとは思えない景色がそこには広がっていたのである。
 プロンテラ市の往還のひとつであるセントライト通りの風景がここだけ殺伐としていた。
 往還は市の顔でもある。いつまでも放ってはおけず何度か区画再整備計画が立てられたが、ことごとく泡と消えていった。さらに十年前から続く魔物騒動で王国も予算の捻出が厳しくなり、完全に見放された土地となりかけていた。
 その時、登場したのが、クロムハーツ=ミコトという聖職者だった。当時十六歳だったその少女は、後援者を募り集め、この辺り一帯の土地の買収に成功をおさめた。その後、白薔薇となった彼女は、予算を文字通りぶんどり、本格的に再計画に着手した。
 その成果が近頃になってようやく現れ始めている。
 治安もわずかながら良くなってきたようだ。
 クロムハーツ通りとは、彼女の功績を称えて名づけられている。広いプロンテラ市の数ある通りの中でも、人の名前がつくのはごくわずかで、それらの人々は何かしらの功績を残したがゆえに通りの名前となり後世へ残っている。

 賑やかなクロムハーツ通りではあるが、十五分も歩くとレンガの舗装も無くなり、周りの景色も田畑と雑木林のみとなる。いずれ、クロムハーツ通りはプロンテラ市の南門から市北にあるルーンミッドカルド城南門へと伸びるクルス北南通りへ道が繋がる予定だが、まだまだ数年はかかりそうである。

 舗装が無くなる手前に左右の小道へ切れ込むとレンガ造りの小さな家が何十件も建ち並んでいる。
 この辺りは他の土地と比べて家賃が安く、建物も古い事から、これらの家々は通称貧乏長屋などと呼ばれている。
 その貧乏長屋へと通じる小道を通り過ぎて暫く歩くと畑と雑木林に隠れるように古びた教会が見えてくる。この裏手の住居が今夜魅が暮らしている家である。
 貴族の娘である夜魅だが、聖職者となってからは実家へ戻らず、ここをねぐらとしていた。
 もとは、夜魅の姉、クロムハーツ=ミコトが暮らしていた住居であった。それを、夜魅が譲り受けたのである。

 ミコトが暮らし始めたとき、教会もその教会に従事する神父が寝起きする裏手の住居も長年無人で、荒れ放題だったという。それをミコトが買い取って教会を復興させ、住居も手を加えて改築した。
 今でも教会に神父はいないが、それでも教会内部を端から端まで磨き上げ、祭壇を新しくした。
 二階建てだった住居は平屋にした。台所、湯殿、雪隠のほかに、八畳の居間と六畳の寝室がある。ひとりで住み暮らすには充分の広さだった。

 長い事留守にする夜魅であるが、家の中には埃は積もっていない。
 それというのも、夜魅が近所の百姓の家に管理費として多額の金を渡しているからだ。百姓の家の女房はそれを喜び、三日に一度は家の様子を見に来て、教会もあわせて念入りに掃除をしてくれている。また、夜魅が珍しく長いこと滞在するときは、わざわざ食事をこしらえてもってきたりもしてくれる。

 夜魅はポケットから鍵を取り出し、木製の扉についているドアノブの下の鍵穴へはめ込んで右へ回し、錠を開けて家の中へと入った。
 居間には奥から本棚、暖炉、背の低い箪笥がある。暖炉の上には肖像画が飾られてあり、箪笥にはギターが立てかけてある。中央にはテーブルと4つ椅子があり、今、テーブルの上には昨日のワインと肩掛けかばんが置いてある。
 肩掛けかばんだけを手に取り、早々に出て行くつもりの夜魅であったが、ふとギターが目端に入った。
(久しぶりに)
 ギターを手に取り、椅子を引き出して腰を掛け、足を組み太ももの上にギターのボディーを乗せる。
 軽く音を鳴らしてみると、弦がフレットに当たりビリビリと音が鳴った。
(手入れをしていないのだから、そりゃあギターも機嫌をそこねるわね)
 ふふっと苦笑いを浮かべながらチューニングをし、
(せっかくだし何か一曲・・・)
 暫く考えた後、頭に浮かんだコードに沿って弦を爪弾き始めた。
 ギターの旋律に合わせて自分の声を乗せる。

<さくら舞い散る中に 忘れた記憶と君の声が戻ってくる 吹き止まない春の風 あの頃のままで 君が風に舞う髪 かき分けた時の淡い香り戻ってくる 二人約束したあの頃のままで・・・>

 知らず知らずのうちに両頬を涙が伝っていた。
 指で涙をすくいあげて、ギターのネックを持って立ち上がり、元の位置へ戻すと暖炉の前へ立った。
「いってきます。お姉さま」
 肖像画の中には屈託なく笑ういつかの自分と姉の姿があった。
 肖像画の中の姉へ挨拶をして夜魅は踵を返し、肩掛けかばんを右手で掴むとそのまま振り返りもせずに居間を後にした。

 

2005年12月26日 第一版公開

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