乙女たちの憂鬱

第五幕 「冬の櫻と彼女の憂鬱」

 薔薇の館から一歩外へ出た途端、冬の冷たい風が吹き抜け、夜魅の身体が微かに震えた。
 振り返り薔薇の館を見る。
 レンガ造りの平屋で、そのレンガは新旧のレンガが混じり、この館が建てられてからの歴史を無言のうちに物語っていた。
 プロンテラをぐるりと取り囲む高さ二十m程の石壁を背に、薔薇の館は玄関から西へ伸びている、
 石壁の北向こうには王城が見え、壁を越えればそのすぐ下はルーンミッドガルド王城を取り囲む御壕がある。
 石壁の南向こうと薔薇の館の間には樫や檜や杉、桜などの木が植えられている。
 これらの木々は、薔薇の館を勤め終わった聖職者たちが植えていったものである。他にもマリア街では、時々の薔薇たちが植樹した木々があちこちにある。
 木々の緑に囲まれいるお陰で、夏は日よけになっていいが、冬は日差しを遮り、よりいっそう寒さを増してしまう厄介な存在になってしまう。

 薔薇の館の屋根越しに桜の木が見える。
 寂しそうな桜の木をじっと夜魅は見上げた。

 『来年もきっと見れますよ。桜』
 『うん。約束だものね。キミとの』
 『はい。だから来年も』
 『キミと一緒に・・・ね』

 じわりと目頭が熱くなるのを堪えきれずにいたが、
「夜魅。あんまり寒空の下でぼけっとしてると、風邪ひくぞ」
 
アンナの声で、はっと我に戻り、ほろ苦く笑ってその場を去っていった。
「あいつ、やっぱりまだ・・・。なんとかしてやりたいんだけどね」
 開け放った窓枠に手を乗せて身体を乗り出し、夜魅の背中を見送りながら、
アンナは呟いた。

 薔薇の館を背にして、樫の木に挟まれたレンガで出来た石畳の上を南に向かって歩く。
 十分ほど歩くと道幅が広がり道の真ん中には噴水が造成されその周りにはベンチが設けられている。
 ここを真っ直ぐ南へ下れば大聖堂を右手に見ながらやがて往還に出、左へ歩を曲げれば聖職者学院、神霊図書館、聖職者のみを裁く裁判所とその牢獄、及び聖職者のみが住み暮らす街が広がっている。
 右へ目線を移すと道の片隅でマリア像が聖職者たちを静かに見守ってる。
 マリア像の背中には樫の木やきれいに手入れされた緑が生い茂り、神秘的な雰囲気を醸し出していた。
 この場所は、普段は大勢の聖職者たちが行き交い、また憩いの場となっているが、前夜祭を前にして忙しいのか今は人気が無い。
 夜魅はマリア像にお祈りを捧げてさらに南へと歩を進める。十分ほど歩けば往還へと出る。
 視線を少し上げてみた。
 樫の木の枝葉の間から大聖堂が見て取れる。大聖堂から空へ向かってそびえ立つ鐘楼はこのプロンテラの街はもちろん、街を遠く外れた場所からも見る事が出来る。その鐘楼をなんとなしに見上げながら歩き続け、視線を再び落とすとすぐ右脇には大聖堂の石壁が見える。
 大聖堂の石壁の中ほどに曇り一つない窓ガラスがあり、窓の向こうが大聖堂の庶務室になっている。
 普段ならば、多くの聖職者たちが立ち働いているが、今日は四、五人の姿しかない。
 彼らは待機組みであり、窓の外を行き交う人々の監視役でもある。
 マリア街の入り口は大聖堂のすぐ脇の一箇所しか無く、ここには魔物の類が入れないように結界が張ってあるが、それほど強力では無い。
 不審者がマリア街へ入ってこないか。それを見張るのも大聖堂の仕事の一つであり、そのため庶務室には二十四時間常に誰かしら詰めている。
 
 なんとはなしに、夜魅は窓の中を見た。
 机に頬杖をつきながら苦虫を噛み潰したような表情をしていた聖職者が慌てて立ち上がり、夜魅へ深々と頭を下げた。
 夜魅はそれへ軽い会釈でもって応えた。

 高さ二メートルほどの鉄をアーチ型に加工し、それへ蔦を絡ませたマリア街の玄関を潜りセントライト通りと呼ばれる往還へ出る。
 すぐ右手が大聖堂。左へ視線を移すと高さ二メートルほどのレンガ壁が続いている。この壁はやがてプロンテラを取り囲む石壁へとぶつかる。
 大聖堂の建物は壁の役目もはたしており、大聖堂の西の端から北側へ向かって同じようなレンガ壁が続き、これも石壁へとぶつかっている。
 マリア街の周りには壁と結界が張り巡らされ、ここだけプロンテラの街から切り取られたようなそんな印象を受ける街である。

 セントライト通りを突っ切った向こう側にはヴァルハラと呼ばれる街が広がっている。
 大聖堂に近いため、セントライト通りへと出るヴァルハラ1番通りには参拝する人たちが休息をとるための茶店や食事処、遠方より来た人たちのための宿屋、それと法具屋などが数多く軒を連ねている。
 また聖職者たちの住居もこの地区には多い。
 しかし、一方では艶街もある。
 ヴァルハラの東地域では、南に向かって三キロほどに渡り土地がわずかに隆起しており、そこにはてづかずの森が広がっている。
 こんもりとしたその森を背にして艶街はあった。
 表向きは宿屋であるが、金さえ払えば女を抱く事も出来る。また、ヴァルハラ地区に多くある茶店では、連れ出し料を払えば茶汲女を連れ出す事も出来るし、森に囲まれた宿屋街は男女の密会場ともなっている。
 光と影が渾然一体となった街、それがヴァルハラであった。

 マリア街のアーチ玄関の下を潜り、さてどう戻ろうかと夜魅は考える。
 セントライト通りをこのまま突っ切り、ヴァルハラ一番通りを真っ直ぐ南下すれば、プロンテラの街をぐるりと回る環状型のセントライト通りへと再び戻る。
 自宅へ戻るにはヴァルハラ一番通りを真っ直ぐ南下するのが一番の近道である。
 ヴァルハラ一番通りの両脇にある茶店や宿屋の軒先には、さまざまな装飾に彩られたクリスマスツリーが飾られ、それを眺めながら歩くのも悪くは無い。
 しかし、薔薇にとってこの通りは出来れば避けて通りたいのが本音である。
 春を売る女が居る一方で、信心深い聖職者も数多く居る街だ。下手に歩けば黄色い声がそこかしこから飛び交い、もみくちゃにされかねない。
 歩くだけで疲れるのだ。
(やはりセントライトから回るしかないかしらね)
 夜魅がその考えに至った丁度その時である。
 セントライト通りを西から馬の蹄の音が聞こえてきた。見ると都合よく馬車がこちらへ向かっている。
 夜魅は右手を挙げて馬車を停めた。
シャロウグロス街、クロムハーツ通り前までお願いね」
 聖衣服の太ももあたりにあるポケットの中から小銭入れを取り出し、そこから10ゼニー銅貨を二枚を取り出して、座ったままの御者の右手の掌へ乗せた。
 馬車はセントライト通りをぐるぐると走っており、どこまで行こうが何時間乗ろうが、乗り賃は20ゼニーと決まっている。

 客車には幌がかぶせてある。幌は冬や天気が悪い時にだけかぶせ、取り外しが簡単に出来るようになっている。
 客車の後ろへ回り込み、足置きに足を乗せて手すりを握り、ぐっと腕に力を込めて身体を幌の中へと入れる。
 六人分の椅子がある客車の中には先客が三人腰掛けていた。
 座席は大人の膝まで届かない程度の高さの木箱で造られた粗末なもので背もたれは無い。木箱は動かないように底板を荷台の板へ釘で打ち付けてある。この木箱の上にこれも粗末な白布がかぶせてある。
「失礼するわね」
 商人風の女性が夜魅をちらりと見上げて軽く会釈をした。その隣の席へ夜魅は腰を掛けた。
 混雑時は席へ座れない事も多く、いかに固い椅子でも座れるだけでありがたかった。

 乗り物に弱い人間であれば堪らない馬車の揺れに二十分ほど身を任せる。
 馬車が停まった。
 隣の商人風の女性が座席の後ろある幌のめくり窓を開け外を覗くと立ち上がった。時間から推し量るにプロンテラ東門、サウザウンドリビン街あたりで、おそらくこの界隈で露店を出すのだろう。はちきれんばかりに膨れ上がった重そうなリュックを背負い、軽く会釈をしながら前を通り過ぎて行く女性を、そのままの姿勢で頭だけ軽く下げながら、夜魅はそう思った。
 それからさらに十分ほど揺れに耐えていると再び馬車が停まる。
 今度は自分の席の後ろにあるめくり窓を開けてみた。
 完成間近の孤児院が見えた。
 その景色を視界におさめると夜魅は静かに立ち上がった。

「ご苦労様。これ少ないけれど仕事帰りに一杯飲んでくださいな」
「へ。こりゃどうも」
 夜魅の手から遠慮なく銀貨を受け取ると、御者は頭を下げて硬貨をポケットへ押し込んだ。
 再び両手で手綱を握り、馬に一鞭あてると馬車はガラガラと音を立てて走り出した。その後姿をしばらく見送った後、セントライト通りからクロムハーツ通りへと夜魅は歩を進めた。

 

2005年12月26日 第一版公開

<第四幕  戻る  第六幕

 

 

 

■素材提供■

Base story:gravity & gungHo

wallpaper:falco
サイト名:whoo’s lab
管理人:falco