乙女たちの憂鬱

第四幕 「舞い散る雪の結晶と彼女の憂鬱」

「どうやら今年の前夜祭は雪は降りそうも無いな」
 我関せず、と言いたいのかアンナが窓の外を眺めながらポツリと呟いた。
「残念ですね」
 お茶をすすりながら、黄薔薇の蕾は姉の言葉に答えた。
 アンナは外を眺めたままお茶を口に含んだ後、やおら顔を妹の方へ向けた。
 その表情は突然何か思いつたのか、さっきまでの虚ろなな表情とは違って、はつらつとした表情を浮かべていた。
クーラ。君は雪の構成を知っているか?」
 目を輝かせながら妹に尋ねる。
「いえ。存じませんわ」
 黄薔薇の蕾、クーラは頭を振りながら答えた。
「無学はいけない。折角だ。私が教えてあげよう」
「結構ですわ」
 関心なさげにお茶をすする
クーラ。それでもアンナはめげない。
大気中の温度が0℃よりもかなり低い状態で空気が飽和すると、雪の素となる氷晶核を中心として水蒸気が凝固し、小さな氷晶を作る。このときの結晶の大きさは0.02mm ほどであり、雪の結晶の基礎となる。この結晶の上にさらに水蒸気が凝固して成長することで雪の結晶となる。このとき、雪の結晶は通常2〜6 mm ほどである。雪の結晶は六角形のものが一般的であるが、針に似た形状や角柱、板の形など様々な形状がある。雪の結晶の形状は、結晶が成長するときの気温や空気中の水蒸気の量などによって決定される。そして、成長して大きくなった雪の結晶は、自分の重さによって大気中に浮かんでいられなくなり、地上に落下する。これが降雪の仕組みよ。どう?ためになったでしょ?ふっふっふっ」
 熱くうんちくを傾けている最中、いつの間にやら立ち上がったアンナは腰に手を当てて、満足そうに笑った。後ろに結わえたアンナの髪が窓から入ってくる光に反射してきらきらと光っている。
「その知識。人生には全くと言っていいほど必要ありませんね」
 なんの感慨も無くつぶやくクーラ。その態度が気に入らなかったのか、アンナは額に手を当てて、倒れこむ素振りをしながら太い溜息を漏らした。後ろ髪も大きく揺れていた。
「いけない。いけないって。知識の探求無くして、人生を楽しむ術なし、よ」
「ではアンナさま。その知識が何かの役に立つんでしょうか? 理論的に説明して下さい」
「大いに役に立つさ。ええ。役に立つとも。例えばデートの時、話題に困った場合とかね」
「アンナさま。私たちは聖職者ですよ」
「聖職者の前に私たちは女であるという現実を忘れてはいけない。恋愛は人の自由なのだ!」
「少なくても一般の聖職者は自由でしょう。ですが。私たち山百合会の人間は例外です。任期中の恋愛は就業規則で禁じられています」
 お互い引かない戦いは、徐々にエリザに形勢が傾きかけてきた。
「・・・そんな規則、あったのか?」
「就業規則百三十七条にしっかりと明記されています。ちなみに。就業規則の基本である一条の内容は覚えていますか?」
「もちろんだ」
「お答えください」
「ところで」
「ごまかさないでください。一条は?」
「いつも気になっていることなんだけど。何故わたしの事をお姉さまと呼ばない?」
「ごまかさないで」
「何故! 何故なんだ! ああ!! 気になる!! 他の事が考えられない!!」
 アンナが髪の毛をかきむしりながら大げさに頭を振った。後ろ髪が大きく揺れる。
 振り子は今度はアンナへと傾いた。
「じゃあ。言えばお答えくださりますか?」
「約束しよう」
「お・・・おね・・・さ・・・無理です」
「オーマイーマリア! 何故なのーーーー!!」
「体がそう呼ぶ事を拒否しています」
「じゃあ。何故私の妹になったの?」
「さぁ?」

 いつの間にやらエリザの糾弾は黄薔薇姉妹のくだらない言い争いに打ち消されてしまっていた。姉と一緒にエリザも静かに珈琲をすすっていた。黄薔薇姉妹の言い争いはいつもの事であるから、かける言葉が見つからないだけなのかもしれない。

 淡い日差しに包まれた執務室から暫くの間、人の声が絶え、五人のお茶をすする音と暖炉の薪が弾ける音だけが響いていた。

 『ボク、寒いのは嫌いなんだ。キミは?』
 『アタシも同じです』

 そんな何気ないやり取りをしていた日々を、夜魅はウサギが描かれたマグカップを見ながら思い出していた。 

「さて。そろそろ行ってみるわね」
 静寂を切り裂いてそう告げると夜魅は立ち上がった。
 マグカップにはまだ少し紅茶が残っていた。
「なんだ。もう行くのか。まだ日は高いんだし、もう少しゆっくりしていけ」
 夜魅の言葉に真っ先に反応したのは難問を抱えているはずの
アンナだった。どうやら話はちゃんと聞いていたらしい。
「いろいろ支度もあるし、ね」
「本当、気をつけなさい。困ったことがあったら各地の教会を通して連絡して。お金は大丈夫? 何かあった時に少しでもあったほうがいいわ。荷物は少ない方がいいわね。魔物に襲われた時に邪魔になるから。必要ならば現地で調達して。それから・・・」
「もう分かったって」
 まだ言い足り無そうなシルフェの話に横槍を入れて言葉を無理やりに止めた。
 放っておくとあれこれ細かい注意事項の羅列がいつまでたっても終わらな事を、三年に渡る付き合いから夜魅はよく知っている。
「いつでも気兼ねなく帰ってきてもいいんだからな」
「ええ。お言葉に甘えさせてもらうわ。黄薔薇さま」
「くれぐれも魔物どもに殺されないようにお気をつけください。白薔薇さまともあろうお方が魔物に殺されたとあっては、末代までの恥、ですからね」
エリザ、ご忠告、いたみいるわ。大変だろうけど、降誕祭がんばってね」
「言われなくてもがんばりますってば」
 そう言って舌を出す
エリザに、間髪いれずシルフェからお小言が飛ぶ。
 頬を膨らませながら下を向くその姿に、まだまだ子供だなと夜魅は心の内でそう思う。
「ご心配なさらずに。
エリザは照れているんですよ。ほら。子供って好きな相手を苛めたりしますでしょ?」
「だ、だあれが!
クーラ、勝手な事、言わないでよ!」
「ふふ。また近いうちに会おうねぇ」
「白薔薇さま!子供扱いしないで下さい!」
 ますます頬を膨らますその態度が余計に子供っぽく見え、夜魅は微かに笑った。
「それでは。ごきげんよう」
 夜魅は席を立ち、
エリザの肩をぽんぽんと叩いて、ドアノブに手をかけ、部屋を出て行こうとした。けれど、エリザの「どうして?」という声に、夜魅は足を止めて振り返った。
 振り返った彼女の表情は、先ほどまでとは違い引き締まっている。
「どうして、白薔薇さまはここに、薔薇の館にいてくれないんですか?」
「そうねぇ。ここは好きよ。大好き。でもね。好きだから居ずらい、って事もあるの」
「仰っていることがいまいちわからないんですけど」
「そのうち、ね。貴女にも話せる時が来るかもしれない。いいえ。その時が来て欲しいわね」
 そう言って夜魅は微笑んだ。
 
(思えば)
 夜魅は先ほどまで自分が座っていた席の机の上に置かれたマグカップを見ながら思う。
(お姉さまがいなくなったあの日から本当の微笑みをアタシは浮かべていないと思う。アタシの中には、きっと使い捨ての微笑みがあって、それを使い切ってしまった時、もう微笑みを浮かべることは出来なくなるに違いないわ)

 

2005年12月26日 第一版公開

 

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