乙女たちの事情

第九幕 「彼女の憂鬱は歌声とともに風に流れて」

 その一事がまさかの再会となろうとは、助けに入った時には思いもよらなかった。リリーはすっかり自分の事を忘れているようだが、そう思う夜魅自身もリリーの事をすっかり忘れていた。この僅か八年の間に様々な事があったな、そう思うと薔薇の館を黙然と見つめる夜魅の胸に、さまざまな感情が巻き起こってくるのをどうしようもなかった。

「おや?あんたまだこんなとこにいたのか」
 不意に声をかけられ内心驚いたが表情には出さずに夜魅は声のする方へ顔を向けた。薔薇の館から出てきたアンナが苦笑いまじりに近づいて来るのが見えた。その後ろには、シルフェ、エリザ、クーラの姿も見える。

「あ・・・ちょ、ちょっと考え事をね」
 すぐにバレそうな嘘だな、そう思いうと自然と夜魅の表情に苦笑いが浮かんだ。
「まったく、風邪ひくぞ。ところで、これからみんなで食事に行くところだけど、白薔薇も暇ならどうだ?」
 夜魅の前で立ち止まり、満面に笑みを浮かべてアンナが夜魅を誘うが、
「アタシはいいわ。お腹へってないし」
「そいつは残念だ。ところで」
 アンナの表情から笑みが消えて、射るような視線で夜魅を見つめながら、
「何があった?」
 夜魅に聞こえる程度に低く囁いた。
「え?な、なんにもないわよ」
 そう言う夜魅の一瞬驚いた表情を、アンナもシルフェも見逃さなかった。
「エリザ、クーラ、先に”時代屋”に行っててちょうだい。私たちは後からいくから」
 厳しい顔でシルフェがそう言うのを、エリザは憮然とした表情を隠そうともせず、
「すぐ来てくださいね。忙しいんですから」
 そう怒鳴るとさっさと歩き出した。
「適当にお茶でも飲んでますから。慌てなくても大丈夫です」
 夜魅に軽く頭を下げて、クーラがエリザの後を追っていくのを見送って、
「それで夜魅。私たちに隠し事は水臭いじゃないの」
 ふふっと表情を崩してシルフェが夜魅を見つめる。
「ほれほれ。素直に自白しないか。楽になるぞ」
 悪戯っぽく微笑みながらアンナが夜魅を見つめる。
 今の自分をよく分かっていてくれているだけに、さすがにこの二人にだけは隠し事が出来ない。
 深い溜息をついて夜魅は観念し、先ほどのリリーとの一件を二人へ語った。

「そのアコライトは後で監査部を通して探してみましょう。それよりも、まさかあなたが一目惚れねぇ」
「まったく、笑っちゃ悪いとは思っても、こりゃあ、笑えるな」
 シルフェとアンナ、遠慮なく夜魅の前で白い歯を見せて笑い声をあげた。
「だから言いたくなかったのよ」
 頬をほんのりと紅に染めて夜魅が口を尖らせた。
 白薔薇さまは冷徹な方だというのが、多くの聖職者たちの共通した認識である。少女のように恥らう夜魅の姿というのは、想像も出来ない姿であった。
「ごめんごめん。で、夜魅、そのコ、リリーちゃんだっけ?妹にするの?」
 不意に風が通り過ぎた。シルフェは髪を指でさらりと撫でた。
「それは・・・まだ分からない」
「素直になった方がいいわよ。後で後悔しないためにも」
 表情を真剣なものにして、シルフェが夜魅を見つめる。
「でも・・・こんなアタシじゃ頼りないと思うし」
「せーの・・・」
 いつの間にか夜魅の後ろに回ったアンナが息を大きく吸って、
「隙あり!」
 夜魅の背中を平手でおもいっきり叩き、周りに風船を割ったような音が大きく響いた。
「いたたたた・・・ちょ、ちょっとアンナ、何すんのよ!」
 夜魅の目じりには涙がにじんでいた。
「こうも簡単に背後をとられるようじゃあ一流の剣士とは言えないわね」
「今は聖職者よ」
「まあ”元”なんだろうけど、ふふ・・・わたしに背後とられるような未熟な人間がイズルートじゃ伝説の女武芸者になっているんだから不思議だな」
「そんなの知らないわよ」
「冗談はこのくらいにして」
 アンナはつと夜魅の顔に自分の顔を近づけ、夜魅の瞳をじっと見つめながら、
「後悔の意味を知っているか?夜魅」
「そのくらい知っているわよ。自分の失敗を後から悔やむことでしょ」
「よく出来ました。つまりは、だ。何もやらないうちから悔やむことじゃないんだよね。わたしの言いたいことわかる?」
「・・・何かをやってから悔やみなさい、と?」
「そう。いいじゃない。若いうちはいっぱい後悔するもんだ。それに、ミコトさまは何もやらないうちから諦めちゃう人だったか?ん?」
「いいえ」
「じゃあ、諦めるな。まずは行動だ」
 そこまで言ってアンナは夜魅から顔を離し、
「なんてな」
 くすりと笑いかけた。

「そうね・・・」
 空を見上げながら夜魅が呟いた。どこからかホオジロのさえずりが聞こえてくる。
「まずは、自分で探してみることにするわ。もし逢えたら運命。妹になってくれるよう頼んでみる。逢えなかったら、それも運命ね」
 シルフェとアンナが顔を見合わせて、クスリと笑った。
「夜魅らしいわね。ふふ。わたしたちはどこにいてもあなたを応援してるから、辛くなったときには思い出してくれれば嬉しいわ」
 シルフェが夜魅の肩を優しく二度、叩いた。夜魅はこくりと頷いて、
「じゃあ、いってくるわね」
 ニコリと微笑むと、ふたりに背を向けて歩き出した。その背中へ、アンナが
<Be ambitious! わが友よ 冒険者よ Be ambitious! 旅立つ人に 栄光あれ Be ambitious!>

 歌いかけると、歩く足をとめて夜魅は振り向き、
「ふたりとも、ありがとう」
 手を振りながら叫んで、また背中を向けてリズムをとるように足を運んでいく。その背中をふたりは見つめながら、
「うまくいくといいわね」
「なあに、うまくいくよ」
「それにしてもアンナ、相変わらず唄が下手ね」
「ミコトさまのようには、難しいもんだな」
「わたしたちはわたしたちのやり方で励ますしかないし。もどかしいけどね」
「さてと。妹たちのところへ行こうか」
「そうね。あら、どうしたのアンナ?難しい顔しちゃって」
「今日みたいな寒い日は腰が・・・な。イツツ・・・」
「まったく、おばあちゃんなんだから」
「おまえらよりも三つ年上なだけだ。いいか、おばあちゃんなんていうな。イツッ」
「はいはい。行きますよ。おばあちゃん」
「ばかっ」

 セントライト通りへ出た夜魅は、進路を西へ取る。ほどなくしてミスティ街へ出る。王城正門からもほど近いこの街は、王宮出入りの富商や貴族の邸宅が数多く建ち並ぶ。セントライト通りからクルス通りへ出る手前に掘割があり、王城を取り囲む御濠の水はこの掘割を伝ってやがてビックリバーへと流れ込む仕組みになっている。ミスティ街への物資、人の運搬にこの掘割は重要な役割を果たしている。その掘割の船着場で夜魅は船を拾うと、
「イズルートまでやってちょうだい」
 最初、イヤな顔つきをしていた船頭も、夜魅から銀貨を渡されると、
「へいへい」
 満面に笑顔を浮かべて船を漕ぎ出した。教会の鐘の音が午後三時を告げている。夕方にはイズルートへ入れるだろう、そんなことを考えながら夜魅は船の揺れに身を任せた。

 

2005年12月26日 第一版公開

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