(まったくアタシは何やってるのかしらね)
グロリアを唱えた後、つい転送法術、テレポートを唱えてしまったが、着地点がよりによって薔薇の館の前だった事に、夜魅は苦笑いを浮かべて溜息をこぼした。
あのまま、リリーと一緒に旅をする選択肢もあった。でも、それを選べなかった。
リリーは幼い日と何ら変わらない笑顔のままなのに、自分は変わってしまった。リリーと一緒にいると、今の自分が惨めに思えてしまう。だから逃げ出してしまった。
(でも)
いつかは過去と決別をしなければならない。自分が歩くべき道を見つけていかなければならない。分かってはいるがでも、怖い、と夜魅は思う。自分が幸せになる事で、姉と過ごしたあの日々を忘れてしまうのではないかと思うと、怖い。
(今のままじゃ駄目よね)
自分だけの力ではどうにもならないから誰か傍にいて支えてもらいたい。
でもそれは敬愛する姉への裏切りになるのではないだろうか?
自分はどうしたらよいのだろうか。自問するが答えは出ず、同じ思考がぐるぐると繰り返すだけであった。
また一つ太い溜息をついて、夜魅は底なし沼のような思考を振り払うようにかぶりを振って目の前の建物を見上げた。
どうも今日は敬愛する姉の事を思い出す。それと言うのもつい先ほどまで薔薇の館に居た事が原因だろうと夜魅は思う。事実、三時間ほど前もそうだった。
『お姉さま、紅茶、淹れてきました』
『うん。ありがと』
『それにしてもお姉さま』
『うん?何?』
『そのマグカップの柄なんですが』
『可愛らしいでしょ?ウサギだよ』
『それは分かっています。ただ、ちょっと子供っぽいかなって』
『ボクはこのマグカップじゃないと嫌なんだ』
『お姉さまはもう二十歳なんですから、もうちょっとその』
『駄目駄目。だってこれはボクのお姉さまに買ってもらった大切なマグカップだもん』
『それならそうと、言ってくだされば』
『あ。怒った?それとも嫉妬かなあ』
『もう!』
『あ!見て見て』
『え?・・・まあ』
『紅茶の深い紅の上にピンクの桜の花びらが浮かんでいて、綺麗だね』
『ええ。とても』
『まだ桜、咲いていたんだね』
『来年もきっと見れますよ。桜』
『うん。約束だものね。キミとの』
『はい。だから来年も』
『キミと一緒に・・・ね』
「・・・ま。・・・さま。・・・
白薔薇さま!」
「・・・うん?」
「うん?じゃなくて・・・はぁ。ちゃんと聞いているのかしら?」
「え・・・えぇ。聞いているわよ
紅薔薇さま」
慌てて顔を上げた白薔薇の顔を紅薔薇が呆れ顔で覗き込んでいた。
動揺を隠せていないその表情から、白薔薇が話を聞いていなかったのは明らかである。
ここは、ルーンミッドガルド王朝のお膝元にある街、プロンテラのマリア街の北西にある、通称『薔薇の館』と呼ばれている場所である。
今、冬の寂しい日差しが差し込むこの『薔薇の館』の執務室
議題は、いよいよ今日の夜に迫った”主降誕の前夜祭”の取り仕切りに関してであった。
とは言っても、今さら話す事なんてないようなもので、時間割りや役割分担、諸注意事項などを紅薔薇が事務的に伝えているだけであった。
一年前の降誕祭、前夜祭を無事終えた直後に準備委員会が発足し準備を整え、当日、実行委員会と名前を変える。祭事が終わると同時に一旦解散し、そしてまた準備委員会として再結成、この際何人かが入れ替わるが、結局代わり映えがしない事を毎年毎年繰り返しているだけであるから、前年をなぞればそれでよいわけである。これは、他の祭事も同様である。
しかし、実際は一年も時間をかけるわけではない。一ヶ月か二ヶ月で一気に仕上げるのである。
山百合会の仕事は、準備委員会から提出された書類に目を通し、計画に不備がなければサインをする。そして、当日は司会、進行役として会場を取り仕切るくらいだ。本当に大変なのは裏方に徹している準備委員会であるが、同時にいくつもの祭事に関する書類やその他様々な仕事を抱えているため、山百合会の仕事はかなり忙しいのが現状であった。
山百合会とは、王国全体の政治を取り仕切る法王庁の下部にあたる組織で、分かりやすく言えば東京都庁のようなものにあたり、紅、白、黄はさしずめ東京都知事のようなものである。
そのため、その仕事がいかに広範囲に及ぶか想像に難しくないであろう。
聖職者の選出や監視をはじめ、規則、礼式の監視や布令、祭事の取り仕切り、願書や伺い書、ならびに建議書の検討、プロンテラ市内の警察、消防の監督、それに危急における諸役の監視と指揮などが主な仕事となる。
定員は九名であるが、この下には大聖堂をはじめとする各組織や機関があって、だから三千人余の下役を抱えていることになる。
また、プロンテラ市内の実情、庶民の嘆願を皇女陛下に直接伝えることが出来るという特権を持つ。
山百合会の人選は王国ではなく、そのときどきの薔薇が妹にするという形で指名する。指名をうけたものが貴族であれば問題ないが、それが庶民となると問題が生ずる。ただの一庶民が皇女陛下にお目どおりをすることなど、
「あってはならぬこと」
だからだ。ゆえに、貴族でないものには薔薇となると同時に貴族の称号も与えられる。貴族としての称号は一代限りのものであるが、しかし、多大な功績を残せば俸禄も加増されるし、そのものの家系はその後も貴族として遇されることとなる。
支配される立場から支配する立場へのし上がれるのである。
そのため、功名心と出世欲にかられた庶民、俸禄が少ない貴族などが名乗りをあげるが、そのような心やましいものに薔薇の称号を継がせない人を見る目も、薔薇たちには求められるのである。
さて、それでなくとも忙しい山百合会であるが、今現在、紅、黄とその二人の妹の四人が運営をしている。
白薔薇は、その地位を受け継でから二年の間、ほとんど薔薇の館に近寄らず、各地を渡り歩いていた。建前上の名目は、各地に散らばる聖職者の監視であるが、本来、下部組織である監察局の仕事である。ちなみに、監察局の本部は大聖堂にある。 その白薔薇が、二日前にひょっこりプロンテラに顔を出した。それを見かけた大聖堂に勤める聖職者が、昨日の朝、紅薔薇と出会ったときにそのことをはなし、早速その日の夕方に黄薔薇と伴ってプロンテラの南東部、シャロウグロス街に住む白薔薇の自宅へワインを持って尋ねた。
薔薇の館へ行く気は無かった白薔薇だけに、ふたりの来訪をおおいに喜んだが、しかし今日、嫌でもここへ来るようにと紅薔薇に説得されてしまい、仕方なく薔薇の館の執務室の長い事使っていない自分の机に座っていた。
05年12月26日 第一版公開
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