乙女たちの憂鬱

第一幕 「変わらない笑顔と彼女の憂鬱」

「やれやれ。見ていられないわね」
 群集をかき分けて現れたひとりの麗人が緑の黒髪をふわりと風に踊らせながら行く手をふさいだ。その衣装からその麗人がプリーストであることがうかがえたが、それでも行く手を阻まれた男のアコライトは臆することなくきっとそのプリーストを睨みつけた。
「すいませんがどいてくれませんかね?」
「嫌だ、と言ったらどうなるのかしらね?」
「その時は実力行使、ですかね」
「アコライト風情がプリーストのアタシに勝てると思って?」
「普通に戦えばまず無理でしょう。ですが」
 そう言ってアコライトは後ろをちらりと見た後正面に向き直り、
「二対一、貴方の方が不利、ですね」
 そう言うとアコライトは口の端を吊り上げた。
 プリーストは、
「はぁ」
 と、ため息をついた後、
「どうしてもそのコを離さないと言うなら神に代わってアタシが天罰を下さなければなりません。それでもよろしくて?」
 二対一という不利な状況下でもプリーストは臆する事無く余裕すらうかがえた。
「まどろっこしいやり取りしてんじゃねーよ。おい!女!俺が黙らせてやる」
 それまでアコライトの後ろで黙って成り行きを見ていた剣士が目を怒らせながらふたりの間に割って入ってきた。
「援護しろよ!」
 そう言うなり剣士は少女を突き飛ばして剣を抜きプリーストに向かって一直線に斬りかかって行った。仲間のアコライトが剣士へ向かって『速度増加』を詠唱し素早さを上昇させる。スピードが倍加した剣士はさらに勢いをつけてプリーストめがけて突進して来る。プリーストはその場から動こうとはせず、じっと剣士の動きを見つめていた。剣士とプリーストの距離が縮まる。剣士は片手に持った剣を両手で掴み直し頭上に振り上げた。大上段の構えだ。
「死ね!」
 剣士の剣がプリーストめがけて振り下ろされた。アコライトは相変わらずにやにや笑い続けている。剣士とアコライトにからまれていた少女は、とても見ていられずに両手で顔を覆った。

(はあ・・・)
 突進して来る男をプリーストは冷静に見ていた。 
(そもそも、大上段は必殺の間合いの構えなのに。死にたいのかしら)
 そんな事を考えあくまで余裕の姿勢を崩さない。
 バイブルを持つ右手にぐっと力を込める。
 物質硬化の法術。
 物体に自らの法力を送る事により物質を硬化する事が出来るプリーストならば、誰しも使える初歩中の初歩の法術である。
(このくらいで充分ね)
 バイブルの重さは変わらないが硬度は鋼鉄級である。
 剣士の剣が目の前で振り上げられた。
(胴がからあき。これじゃ胴を斬り払って下さいって言っているようなものね)
 そのがらあきの胴へバイブルを食い込ませてやると、
「ぐぇっ」
 なんとも品の無いうめき声を漏らして剣士が足元へ転がった。

 少女が恐る恐る手をどかして目を開けて見ると、プリーストがバイブルを携え足元に転がる剣士を冷たい目で見下していた。
「ひ・・・ひ・・・」
 アコライトは腰を抜かしてその場で尻もちをついた。
「神の名を汚す不届き者。これ以上の悪行を重ねるならばさらなる裁きを下します」
 プリーストがその冷たい視線を腰を抜かしているアコライトに浴びせた。
「ひぅ・・・はぐぃぃ」
 アコライトは声にならないうめきを発しながら抜けた腰でばたばたと地面を手で蹴って逃げていった。

「さて」
 プリーストは少女を見た。ぽかんと口を開けて見上げる彼女の表情に、
(あれ?どこかで)
 プリーストは一瞬そう思ったが表情には出さず、
「大丈夫だった?」
 そう言ってプリーストは地面にペタンと座り込んでいた少女にそっと手を差し伸べた。
「あ、はい」
 少女は少し頬を赤く染めながらその手を取って立ち上がって、
「どうもありがとうございました」
 元気にそう言いながらぺこりと頭を下げた。
「最近ああいった不届きものが増えているから気をつけなさい。えっと」
 少女の名前がのど元まででかかっているが思い出せない。
 どうも、やはりどこかで会った気がしてならい。
「えっと、わたしリリーと言います」
 プリーストの戸惑いを見透かしたのか、少女が答えた。
(あっ!このコもしかして)
 名前を聞いた瞬間、忘れていた記憶が戻ってきた。
 そう。あれは、確か八年前。冷たい風の中にも新緑の匂いを感じ始めた季節の事。

 プリーストの名前は上泉夜魅と言う。
 八年前のその日。夜魅が邸宅内の道場でたっぷりかいた汗を流そうと、湯殿へ向かっている途中の事である。道場と母屋の間には渡り廊下がある。その廊下からは上泉邸の庭が見渡せる。上泉家の祖先は遠く天津の出身であり、庭の様式は他の貴族の邸宅と違い、邸宅も庭も天津様式で統一されている。築山の松の枝はしなだれ、洗心亭という四阿も見つける事が出来る。石灯籠が所々に建てられ、夜、石灯篭の中で蝋燭を灯すと、白い敷砂に光が反射してなかなかに綺麗である。
 庭園の隅には瓢箪なりの池がある。その池のほとりに金髪の少女が膝を抱えて座り込んでいるのを夜魅は見た。
(確か今、月之宮さまがみえていらっしゃるからそのご息女かしらね)
 少女の背中を見つめながら廊下を歩くが、どうにも気になって仕方がない。
 大人同士の難しい話は子供にはつまらないものだ。一緒に来たはいいが、する事なく池に泳ぐ鯉でも眺めているんだろう。
(時間もある事だし)
「ね。あなた」
 少女がぽかんと口を開けて振り返り夜魅を見上げた。
「ね。暇だったらお姉ちゃんと遊ぼうか?」
 ぱっと少女の表情が明るくなり、
「うん。遊ぶぅ」
 満面の笑顔で立ち上がり、敷砂の上を走る。踏分石で靴を脱ぎ捨て沓脱石を靴下で跳ね飛び縁まで駆け上がると、夜魅へ向かって廊下をパタパタと走り寄ってきた。
「あなたのお名前は?」
 金色の髪を撫でながら夜魅が尋ねると、
「リリー」

 夜魅は邸宅の書斎へリリーを案内する事にした。書斎にある本は難しい本ばかりだが、その中に、夜魅が幼い頃に読んでいた絵本もそのまま残っている。
 リリーをソファーへ座らせると、何冊か絵本を選び、それを持って夜魅はリリーの隣へ腰かけた。
 ソファーの弾力を楽しむように跳ね飛んでいたリリーだが、夜魅が腰を落ち着けると、その隣にちょこんとかしこまって座り、輝く瞳で夜魅を見上げた。
 夜魅の朗読に、驚いたり、泣きそうになったり、リリーの表情は面白いくらいに変化する。それが面白くて、絵本を読む夜魅もついつい夢中になってしまって、次から次へと何冊も絵本を読み聞かせた。
 ほんの数時間だったが、仲のよい姉妹のような二人の時間が静かに流れていった。

「また逢いましょうね」
「本当?お姉ちゃん?」
「うん。いつでもいらっしゃい。待ってるわ」
 父親から帰ると言われた時は、まだ帰りたくないと散々駄々をこねたリリーが、夜魅になだめられて、それでも何度も後ろを振り返り振り返りながら家路を辿っていった。

 ふたりの約束は八年経った今をもっても実現を見ていない。
 月之宮家も上泉家も近所同士だが、少女の足ではどう行っていいものか分からず、また、おとなにとってはわずかな距離でもこどもには遠くに感じてしまうものだ。
 夜魅はこの後すぐに、剣士として軍に入隊し、イズルートへ居を移してしまったため、二人の約束はついに果たされないまま八年の時が流れていた。

「リリーちゃん・・・か」
 そう言うと夜魅はとリリーの頭に手を置きくしゃくしゃと髪を撫でた。
「あの・・・」
「ん?あぁ、アタシ?アタシは夜魅よ」
「あの夜魅さま。本当にありがとうございました」
 リリーは自分よりも背の高い夜魅を見上げてにこりと微笑もうと思ったが、間近で見る夜魅の美貌に驚き赤面してうつむいてしまった。
「リリーちゃんはひとり?女の子のひとり旅は危険よ。またどうしてひとり旅を?」
 夜魅の問いかけにリリーは兄を探して旅に出た経緯をまだ赤い顔でかいつまんで話した。
「そっか。そういう事情があったのね。じゃあアタシがリリーちゃんにプレゼントをあげる。ちょっと待ってね」
 夜魅はそう言うと腰をかがめて前髪を左手で押さえながら、道端に置いておいた自分の肩掛け鞄の中から”フレイル”を取り出した。
「アタシがまだアコライトだった頃にある剣士から貰った物なんだけどよかったら使ってね」
「そんな。助けてもたったうえにこんな高価な武器まで。悪いんですけど受け取れません」
 リリーは手を突き出し右へ左へと首も一緒に振る。
「いいの。いいの。アタシにはもう必要ないもんだしね。それにちゃんと精錬してあるから結構強力よ。この武器。自分の身を守るためには持っていて損はないわ」
 そう言うと夜魅は無理やりリリーの手に”フレイル”を握らせた。
「あぅ〜」
 リリーは自分の手に無理やり握らされた”フレイル”と夜魅の顔を交互に見ながら頬を真っ赤に染めて困った顔をした。
「はは。気にしないの。それじゃアタシはそろそろ行くけどリリーちゃんも元気で。また、どこかで会おうね」
「ホント、重ね重ねありがとうございます」
 リリーはぺこりと先ほどよりも深く頭を下げる。「ふふっ」と夜魅は優しく微笑み、
「神に仕えし天駆ける精霊たちよ。今我の声に応え我の求めに応じたまえ」
 夜魅の周りに風が渦を作り次第にその渦が輝きを放つ。
「グロリア!」

 

05年12月26日 第一版公開

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