舞い散るそれは百合の花
―It which dances and breaks up is the flower of a lily―

第一草「SAKURAドロップス」
最終幕〜SAKURAドロップス

「帰ろっか」
 そっと夜魅に手を差し伸べられて、リリーはその手を取って立ち上がった。
「今度、夜魅さまの『お姉さま』に会いたいです」
 夜魅は微笑みの中に、陰りを含めた複雑な表情をつくってリリーを見つめながら、
「ごめん。それ、無理よ」
「えっ?」
「だって・・・」
 夜魅は瞬間表情を強張らせたけれど、すぐにまた微笑を浮かべて、
「『お姉さま』は、二年前、他界、されたから」
「えっ?あ、あの、その、そうとは知らず申し訳ありませんでした。わたし、なんて無神経な事を・・・」
 慌ててリリーは夜魅に向かって頭を下げた。夜魅は自分の手をリリーの髪の上に置いて、少し乱暴に撫でる。
「気にしなくていいわよ。でも、リリーにはこれでアタシの全部を知られちゃったわけか。こんな話を人に話したのはリリーが始めてよ」
 リリーの頭を今度は優しく撫でながら夜魅は目を細めた。
「そういえばお昼ご飯食べて無かったわね。ほら、早く行きましょう。アタシもうお腹ペコペコよ」
 夜魅はリリーの頭から手を離して、指を組んで腕を上げながら「うんっ」と一言漏らし背筋を伸ばした。

(始めから強い人なんていなんだわ。夜魅さまはさまざまな悲しみを乗り越えて強くなったのね。今すぐには無理だけれど、でも、わたしもいつか夜魅さまみたいに強くなりたい。夜魅さまの側で)

「夜魅さま」
 歩き始めた夜魅の背中を見つめながらリリーは力強く憧れの人の名前を呼んだ。
「うん?何?リリー?」
 そう言って夜魅はふわりと緑の黒髪を星空に泳がせながら優雅に振り返った。
 リリーの頭の中で、今の夜魅の姿と、
再会した一週間前のマリア像の前で、同じように振り返った夜魅の姿が重なった。そこにいるのは、さっきまでのか弱い少女のように泣いていた夜魅では無く、凛とした雰囲気と、優雅さを兼ね備えたいつもの夜魅だった。

(『ふさわしくないと思うならならふさわしくなれるように考えなさい』。今はまだふさわしくないかもしれません。でも、いつかきっと夜魅さまにふさわしい人間になります。夜魅さまの側で強くなっていきたいです。だから今ならわたし、自分に素直になれます)

「夜魅さま。わたしに夜魅さまのロザリオをお授けください」
 リリーは力強く、しかし静かにそう言って夜魅の瞳を見つめた。そよいだ風が桜の木にかすかに色づく小指の爪先ほどに膨らんだつぼみと戯れた。
「嫌よ」
 しばらくの沈黙の後、夜魅は微笑みながら首を横に振って、一言ぽつりと呟いた。

 夜魅のその言葉をリリーは信じられなくて、大きく口を開けたまま呆然としてしまう。やっと自分の気持ちに素直になれたのに。夜魅と一緒に未来を紡いでいきたかったのに。なんで。どうして。夜魅の気持ちが分からなくて、気がつくとリリーの瞳からは大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちていた。

「も、もう。おかしなコ。ほら」
 そう言うと夜魅はポケットからハンカチを取り出して、リリーの目頭をそっと拭った。ほのかに夜魅がつけているフローラル系の香水のいい香りが鼻腔をくすぐった。
「ほら。鼻水も出てるじゃない。ちーんしなさい」
 言われるままにリリーは夜魅のハンカチで鼻をかもうとした瞬間、さっと夜魅は腕を引いた。
「いつもいつもアタシのハンカチをリリーの鼻水まみれにされてたまるものですか!」
 勝ち誇った顔で夜魅は言う。
「あぅうう。その何て言っていいのでしょうか?夜魅さま、素早い判断力です」
 グッと親指を突き出してリリーは無理して笑って見せた。たとえ姉妹になれなくても、こんな風に何気ない事で笑い合える。それでいいじゃない。それだけでも幸せを感じる事が出来るんだから。リリーはそう自分に懸命に言い聞かせた。けれど、いつしかまた、涙が流れ始める。それでも涙を流したまま無理して笑って見せた。
「バカね。一次職のリリーからは言う資格ないでしょ?それに、なんか同情されているようだし」
 微笑を口元に浮かべながら夜魅は言う。今の姿からではさっきまでの蝋人形のような夜魅の表情は想像もつかない。
「はぅぅ。申し訳ありません」
「そんな困った顔をしないで。もっとリリーの笑顔が見たいわ。その笑顔にアタシは救われたの」
 夜魅の突然の言葉にリリーは「ふぇ?」と言って困ったり、照れたり、はにかんだり、忙しく表情を変えた。「そんな事ないです。わたしなんて何の取り柄もなくて、夜魅さまの足を引っ張るばかりで・・・あうぅ」
 今度は少し泣きそうな顔。
(自分で自分を追い詰めるなんてわたし馬鹿だ)
 夜魅は忙しく変わるリリーの表情を見つめながらくすくすと微笑んだ。

「『白薔薇ロサ・ギガンティア』 になってから、アタシに近づいてくるのは、次期その地位に就こうとか考えている、心のやましい者ばかり。そんな人間を見るのがイヤってのも理由の一つで、こうして旅をしているんだけれど、その旅の途中であなたに再会したのよ。リリーのその無垢な笑顔にね」
 口元に微笑を浮かべながら、夜魅はリリーをじっと見つめた。そんな事言われながら見つめられると、嬉しいような恥ずかしいような。気がつけば、リリーの頬は真っ赤に染まっていた。
「それにね。リリー、あなたは強い人間よ」
「そ、そんな事ありません」
 次から次へと夜魅に誉められて、なんだかむずがゆくて、リリーはますます火照った顔を強く振って否定した。

(リリーはホント強いコよ。だって・・・)
 夜魅は、頬をまるでリンゴのように赤くしてうつむくリリーを見つめながら、心の中で呟く。

(過去に捕らわれて自分の殻に閉じこってしまったアタシを信じてくれた。あんなアタシを見て動揺したろうけれど、でもアタシを信じる心を貫いてくれた。その心が殻を打ち壊してくれた。その心がアタシを救ってくれた。ありがとう。リリー。ありがとう。お姉さま。こんなアタシを想ってくれている人の為にも、今アタシが誓う事は・・・)

 春の風が夜魅の緑の黒髪を優しく撫でた。早咲きの桜の花びらがふわり風に揺れて、二人の間に舞い落ちた。

(今アタシは誓う。 もう過去には捕らわれない事を。もっと肩の力を抜いて、悲しい過去はこの桜の下にしまっておくわ。ここからそう遠くない観た事もない景色をリリーと一緒に見るために。この止まらない胸の痛みを超えてリリーと一緒に歩いていこう。一周りしては戻り、青い空をずっと手探りで探してきたけれど、リリーとなら見つけられるわ。今日がアタシたちの最初の最良の日にしようね。だから・・・)

「リリー。アタシから言うわね」
 伏せた顔を上げて夜魅の顔をリリーは見つめた。瞳にうっすら浮かんだ涙を指で払って夜魅は真剣な顔をする。リリーも残った涙を払いのけて表情を引き締めた。
「リリー。アタシの妹になってくれるわね?」
 そう言って夜魅はリリーの側に歩み寄った。
「はい。喜んで夜魅さまの妹になります」
 リリーは両膝を地面につけてうやうやしく頭を下げて目をつむり、胸の前で両手の指を交互に組んだ。
 夜魅が首に下げたロザリオのチェーンを指で掴んでを外し、両手の指でわっかを作って、それをリリーの頭上にかかげて目をつむり天を仰ぐ。

「アヴェ マリア!」
 
夜魅の凛とした声が、雲一つ無い星空へ響いた。

 ロザリオを授ける時は、授ける者が神へ祈りを捧げる。その祈りの言葉はこれでなくてはいけないといった制限は無く、その者の職業や信仰する対象によって様々に変わる。事前に打ち合わせをしていれば話は別だけれど、大抵の場合は『姉』になる者が祈りを捧げ、『妹』になる者はその祈りの言葉をじっと聞く事が多い。
 リリーと夜魅。二人は事前に打ち合わせなどしていないけれど、これから夜魅が捧げるであろう祈りの言葉は、数多くあるマリアさまを称える歌の中でもきっとこれに違いない、とリリーは確信していた。それは、乙女が父親の罪の許しを願って、敬虔な祈りを捧げる歌。きっと夜魅はこの歌を歌いながら、自分と罪深い父親、時には敬虔な乙女と自分を重ね合わせて、過去の罪の許しを願ってきたに違いない。今まで必死で過去の罪と戦ってきた夜魅の事を思うと、どうしようもなく切なくて泣き出しそうになるけれど、でも必死で涙を堪えて、目をつむったままで天を仰ぎ、夜魅と共にマリアさまへの祈りの言葉を紡いでいく。夜魅と共に新しい未来へ進んでいけるように、力強く。

『優しい 処女おとめよ。 処女おとめの 願いをお聞き届けください』

 自分の声にリリーの声が重なって目をつむったままの夜魅は驚いた表情をつくった。なんの打ち合わせもしていないのに自分の心を察して、これから自分が願わんとする事をリリーも一緒になって願ってくれるのだ。嬉しくて涙が出そうになるのを必死に堪えて、リリーと共にマリアさまへの祈りの言葉を紡いでいく。過去と決別して、新しい未来へリリーと共に歩けるように、力強く。

『この硬く険しい岩から、私の祈りがあなたの許に流れていきますように。たとえ人々がどんなに残酷であっても、私たちは朝まで安らかに眠れますように。おお、 処女おとめよ。 処女おとめ の不安をご覧ください。おお、母よ。おねだりする子供に耳を貸してください。汚れないマリアよ。祝されん事を。我ら罪深きもののために、祈りたまえ。今も、この後も、死の時にも。アーメン。アーメン』

 再びリリーはうやうやしく頭を下げた。夜魅がさらに一歩前に進み出て腰をかがめる。

Laudateラウダーテ!』

 二人の声が重なるその瞬間、リリーの首に夜魅のロザリオがそっとかけられた。夜魅が自分から一歩後ろに離れた気配を感じてリリーはまぶたを開く。胸には琥珀色に輝くロザリオ。嬉しくて嬉しくて気がつけば我慢していたはずの涙がリリーの瞳から零れ落ちた。

 そっと夜魅はリリーに手を差し伸べた。掴んだ夜魅の手が暖かかった。夜魅の微笑が優しかった。それだけでリリーはまた涙が溢れてきた。
「今日がアタシたちの最初の最良の日だから美味しいものをいっぱい食べてお祝いしようね。ほら、行くわよ『リリー』」
 夜魅は繋いだ手をグッと引っ張る。リリーは前のめりになりながら答えた。
「はい。『お姉さま』!!」

 夜の帳が落ちたフェイヨンの街に、まるで二人を祝福するかのように早咲きの桜が降り注いだ。二人の『姉妹』は桜吹雪の中やがてフェイヨンの雑踏の中へと消えて行った。 

 

2003年8月30日 公開

協力
英語訳:ミセス・ロビンソン

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† Strange term description †
〜のゆりの奇妙な解説〜

○『ロザリオ
 玉(数珠)をわっかにして、その先に十字架がついている物です。まぁ、説明は不要でしょうか?
 折角なので、ロザリオの話を少ししましょう。
 『ロザリオ』は、昔はラテン語の『主の祈り』の最初の部分の言葉に従って、『パーテル・ノステル』と呼ばれていました。現在、一般的には『ロザリオ』と呼ぶのが普通になっています。『ロザリオ』は『ローサ』、すなわち『薔薇』という言葉が元になっている『薔薇の庭』という意味です。すなわち、『ロザリオ』の祈りを唱える事は、聖母マリアさまに霊的な薔薇の花束を捧げる、ということなのです。
 『ロザリオ』は本来、首にかけて使うものではありません 。『ロザリオ』の玉の数は一般的に五十九個がもっとも使われていて、それぞれの玉と十字架にはそれぞれの祈りがあります。その祈りを唱えていくことによって、それが一輪の薔薇となり、祈りを重ねるごとに薔薇は咲いていきます 。そうして咲いた薔薇の花束は、聖母マリアさまの冠となるのです。
 『マリアさまが見てる』で登場する、山百合会(生徒会)を束ねる薔薇さまたち。彼女たちが、他の花ではなく、薔薇の花に例えられるのは、こういった所に由来があると思われます。

(ロザリオの祈りとは、五玄義を黙想すること、五回の主の祈り、五十回の聖母マリアさまへの祈り、そして五回の栄唱を唱える事ですが、詳しく知りたい方は、各自で調べてください。)

 

○『アヴェ マリア
 今回、用いたのは『シューベルト』のアヴェ マリアですが、他にもいろんなアヴェ マリアがあります。その代表的な曲をご紹介しましょう。
 『グノー』、『バレストリーナ』、『モーツァルト』、『アルカデルト』、『リスト』、『プラームス』、『ジョスカン・デプレ』、等が有名な所でしょうか。どれもこれも私は好きで、この話を書いている最中よく聞いていました。

 『マリアさまが見てる』や『ロザリオ』の祈り(記憶によれば)に使われているのが、グノーのアヴェ マリアだったので、当初、こちらを使おうと思って、ラテン語(元の歌はラテン語です)翻訳版を調べてみたら、ちょっと雰囲気に合わなかったので、『シューベルト』のアヴェ マリアの歌詞を用いました。

 この『シューベルト』のアヴェ マリアについて少し書いておきます。
 この曲は、イギリスの詩人、『スコット』の叙事詩『湖上の美人』の中の7つの詩をドイツ語訳したものに、『シューベルト』が曲をつけたものです。
 湖のほとりに立つマリア像の前でひざまずくエレンという名の乙女。彼女が父親の罪の許しを乞うて祈る姿を歌ったのが、この『アヴェ マリア』です。

 でも、マリアさまを称える歌は、本当にどれもこれもいいですね。心が癒されます。みなさんも機会があったら聴いてみてください。

○『Laudateラウダーテ
 ラウダーテとは、ラテン語で『ほめたたえよ』という意味です。
 リリーと夜魅に、祈りの最後に何か決め台詞を言わせようと考えていたんですが、日本語でそのまま『わたしたちをほめたたえよ!』と言うのは、なんだか俗っぽい。『グロリア』っていうのも考えたんですが、それではプリーストのスキルになってしまう。ではどうしようか。そこで行き着いたのがラテン語です。ラテン語は、現在ではほとんど使われなくなった言語ですが、ローマ・カトリック教会の言語や、キリスト教の典礼音楽等に使われる言語です。聖職者ということで、ぴったしかなと思うんですが、どうでしょう。

 

○『アーメン
 この言葉はヘブライ語の動詞「アーマン」(確認する、支持する、固く立つ、信ずる)からきた副詞で、「確かに、真実に」という意味があります。説教や祈り、賛美に同意することを表明するために「アーメン」と唱和します。「今聴いた言葉は本当です。わたしはその祈りに同意します。」という表現です。

 

 ちょっと宗教色が強くなってしまいましたが、ここで誤解ないように言っておきます。私は敬虔なクリスチャンではありません。昔、ちょっとした事情がありまして、聖書関係を調査していた時の記憶の残骸と、それを裏打ちする為、集めた資料を元に書いています。八割方信用に足る物だと思いますが、もし誤記等ありましたら、ご連絡下さい。 

 

 

■素材提供■

Base story:gravity & gungHo

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管理人:falco