舞い散るそれは百合の花
―It which dances and breaks up is the flower of a lily―

第一草「SAKURAドロップス」
第十三幕〜old days〜

 突然話をこちらに向けられた事よりもリリーを驚かした事は、自分のサーネームを夜魅が知っていたという事。サーネームを聞かれた事は無かったし、ファーストネームで呼び合うことに最初から慣れてしまっていたので、一週間生活を共にしてきたけれど、自分が『月之宮』家の人間だとは一言も言う機会が無かった。目を白黒させながらポカンと口を開いているリリーを見て夜魅が不思議そうな顔をする。
「だって、リリーは乃百合くんの妹でしょ?」
 リリーと再会したあの日、銭湯から帰ってくる道で、リリーが乃百合くんの妹であるという話を聞いた事。後日、アタシが乃百合くんのお知り合いという話をした事を忘れたの、と夜魅は言葉を継ぎ足して少し笑った。

 そういえばそうだった。サーネームを知っていても不思議ではなかったのだ。

「それにしてもリリーの真剣な表情、一瞬だったね。もしかして価値高いのかな?」
 リリーの額を人差し指で突付きながら夜魅が笑った。今まで生きてきてこんなに真剣になったのは初めて。アコライトの転職試験の時よりも真剣に構えていたのに、生まれながらに持ってしまったこの能天気さはどうしようもない。真剣にお話してくれているのに自分ときたら。また失態を演じてしまって申し訳ないやら恥ずかしいやらで、頬を真っ赤に染めてリリーはうつむいた。

 でもそれだけでは無いの、と言う夜魅の言葉を聞いて、今度は思い当たる節が全く無く「え?」と少し言葉を漏らしてリリーは顔を上げた。リリーの上げた顔を見つめながら夜魅は話を続ける。

「まだアタシたちが小さい頃、一度だけリリーがあなたのお父様に連れられて家に遊びに来た事があるの。あの時アタシは十二歳。リリーは八歳だったっけかな?」
 その時の光景を思い出すかのように夜魅は遠くを眺める。

 その話を聞いて、リリーの頭の片隅に追いやられたままになっていた、幼い日の記憶が今、鮮やかに蘇えってきた。

 父親に連れられてどこかのお屋敷に行った事。する事がなくて庭をボッと眺めている時に一人の少女に声をかけられた事。その少女は長くて艶やかな黒髪を後ろで結わっていた事。結わった緑の黒髪が歩くたびに右へ左へ揺れていた事。案内されたその少女の部屋で絵本を読んでくれた事。リリーの遠い日の記憶に住むその少女は誰であろう夜魅だった。

「あの時の・・・夜魅さまだったんですね」
「覚えていてくれたんだね。リリーってばもう疲れたからって言っても、今度はこっちの絵本を読んでってせがんできて大変だったんだから」
 優しく夜魅はリリーを見つめながら微笑んだ。そんな昔の事をリリーは忘れかけていたけれど、その微笑みだけは心の中から消える事はな無かった。夜魅の微笑みをどこか懐かしいと感じていたその訳を今ようやくリリーは思い出した。
「あの時の非礼、今ここでお詫び致します」
 小さい頃の話とはいえ恥ずかしくなってくる。リリーはまた頬を赤らめて頭を下げた。
「いいって。そんな昔の事。そっか。あれからもう八年ね。リリーももう十六歳ね」
 計算すると今二十歳の割にはずいぶんと年寄りくさく夜魅は言う。
「さて、話が逸れちゃったけど、続き、話すわね」
 リリーは黙って頷いた。

「アタシが生まれた『上泉』家も『月之宮』家と同様、百年前、剣技を認められてルーンミッドガッツ王国に仕える事になった事は『月之宮 リリー』だったら説明しなくても分かっていると思う。『月之宮』と『上泉』はお互い剣を競い合ういい宿敵同士だからね。リリーはあなたのお母様が 元『紅薔薇ロサ・キネンシス』 さまだからアコライトになる事にお父様も反対しなかったんだろうけど、アタシの家はね・・・ん?」
 夜魅はリリーの頭の周りをぐるぐると回るクエスチョンマークに気がついて、話を途中で区切った。
「どうしたの?」
 見るとリリーの瞳が少し潤んでいる。
「お母さまが 元『紅薔薇ロサ・キネンシス』 さまなんて今始めて知りました」
 困惑した表情でリリーが言う。夜魅はリリーの頭を優しく撫でながら、その事を知った経緯を説明を始めた。
「アタシが 『白薔薇ロサ・ギガンティア』 になった時に 『山百合会やまゆりかい』 に大切に保管されている薔薇さまの系譜を見たの。その中にリリーのお母様の名前があったって訳。 『百合絵ゆりえ』 さまって名前だったから最初は気づかなかったけれど、引退する時に贈られたホーリーネームの 『紅百合べにゆり』 さまっていう名前を見てその時に気がついたわ」
 そうは言ってもお母さまがその事を話してくれなかったのは寂しいな、とリリーは唇を尖らせた。
「別に自慢する事じゃないと思うしね。だから言わなかったんじゃないかな?」
 夜魅はそう補足するが、 元『紅薔薇ロサ・キネンシス』 さまってだけで充分自慢できることなんじゃないかしら?と、リリーは考えてしまう。いまだ納得できない顔をしているリリーの表情を見て夜魅はさらに言葉を付け加えた。
「薔薇さまってもてはやされても、基本的にやっている事は他のプリーストやアコライトたちと同じ事。みんなの救済が仕事だからね。ま、こればっかりはその立場に立ってみないとわからないわね」
 これで納得したかしら?という顔で夜魅はリリーを見た。

 確かにその立場に立ってみなければ、お母さまや夜魅さまの言葉は納得できないものだし、これ以上は子供の根問いになる。リリーは自分の中で結論をつけてコクリと頷き、
「お話を遮ってしまって申し訳ありませんでした。続きをお願い致します」
 夜魅に話の続きを促した。

「えっと、どこまで話したかしら・・・そうそう、リリーがアコライトになるのに誰からも反対されなかったでしょう?」
 長兄もアコライトですから、と言いながらリリーは頷く。
「アタシの家は両親と二人のお兄さまが騎士だからね。アタシ自身将来は立派な騎士を目指していたわ」
 そう言っても今夜魅が纏っているのは紛れも無く紺色のプリーストの聖衣服。騎士を目指していた夜魅が今こうしてプリーストという職業に就いているには何か訳があるに違いない。これから話すのはきっとそのことなんだろう。リリーはだんだん見え始めた話の核心を一言も漏らさずに聞こうと再び座り直した。

「ルーンミッドガッツ剣士団に入ったのは七年前のちょうどこのくらいの時期。十三歳の頃だったわ。お父さまやお母さま、お兄さまから剣の指導は受けていたから剣には自信があったの。実際同期でアタシに勝てたのはリリーの兄、乃百合くんだけだったしね」

 以前、フェイヨンの街で、『マロヤカ ヒロロ』というシーフを撃退した時に見せた剣術は、プリーストとは思えない程見事なものだった。それは『上泉家』の血筋だから、という訳では無く、リリーの兄、乃百合と共に騎士を目指して剣術を磨いていたから出来た事だったのだろう。夜魅の豊富な戦闘知識と、乃百合の知り合いだという二つの絡まった糸が、今リリーの心の中で一つに結びついた。
 でも、兄と知り合いだという事を詳しく話してくれなかったのは、きっと夜魅の心の琴線に触れる事だったのだろう。それを今から夜魅はリリーに話そうとしている。地面に正座するリリーの背筋が伸びて自然と身構えた。

「でも乃百合君ってどっちかって言うと無口でしょ?」
 コクリとリリーが頷く。ふっと自宅の庭で黙々と剣を振る兄の姿が目に浮かんだ。
「そのせいでかな?アタシの方が剣では劣ってたんだけど、出世は乃百合君より早かったのよね。十五歳で新入隊の剣士十人を任されてね。その中にはアタシの弟もいたわ」
 そう言って夜魅はじっと目をつむって天を仰いだ。しばらくそうてから視線を再びリリーに戻して、それでね、と言って話しを進める。
「アタシの部隊の最初で最後の任務。それはプロンテラの北にある『迷いの森』へ逃げ込んだある盗賊団の監視と、騎士団のアタックの後、万が一取り逃がした場合の盗賊どもの捕獲。それがアタシたちの任務。アタシは隊長としての、弟や部下は初めての任務に嬉しくて浮かれていたわ。そのせいでかしらね。地図があったのにも関わらず迷っちゃったの」

 『迷いの森』はその名が示す通り一度足を踏み入れれば森から出る事が困難と言われている場所である。その為、王国では長年に渡りこの森を調査し、所々に目印をつけてその目印を元に地図を作成した。しかし、この地図は森の中には凶悪なモンスターも棲息していることから、一般には公表されることはなく、入り口は固く閉ざされた。夜魅が言った盗賊団はこの地図をどこからか入手し、入り口を壊して森に入り立て篭もっていた。

 夜魅はリリーから視線を外して少しの間考え込んだ後話を続けた。

 

 

2003年8月9日 公開

協力
英語訳:ミセス・ロビンソン

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† Strange term description †
〜のゆりの奇妙な解説〜

○『上泉』
 夜魅のサーネーム(名字)です。サーネームまたはファミリーネームとも言うのかな。
 上泉と聞いてピンと来た方いるのかな。名字を色々考えていて、元剣士。剣士、剣士、剣客、剣豪・・・あ!上泉! という安直な発想の元ついた名字です。
 上泉伊勢守秀綱(かみいずみひでつな)という実在した剣客からお借りしました。
 この方、剣客マニアなら絶対知っているという有名な方です。その弟子に、宝蔵院胤栄、柳生宗厳(斎号を石舟斎)等といった有名な兵法家が居る事から、彼の剣術の凄さがうかがえると思います。秀綱の新陰流は宝蔵院流槍術、新陰柳生流などさまざまな流派を生み出しました。
 ちなみに、現在剣道で使われる竹刀。これは秀綱の発案だと言われています。当時、立会いや道場では木刀が主流でしたが、これでは相手を最悪殺してしまう事がある。そこで、竹をいくつかに裂いたものを数本束ね合わせて、なめし革で固めたものを発案しました。当時はこれを袋韜(ふくろしない)と呼んでいましたが、これが現在の竹刀の原型と言われています。

 

 

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