舞い散るそれは百合の花
―It which dances and breaks up is the flower of a lily―

第一草「SAKURAドロップス」
第十ニ幕〜Spring breeze

 土手を駆け降りて、水面が干上がったそこに足をつけると、ジュブッという音と一緒にリリーの足が少し沈んで、靴の中に少しずつ水が浸入してきた。しかし、そんな事お構いなしにジュブッジュブッと音を立てながらその人の側まで歩み寄った。

「夜魅さま。お言いつけを破って探し出してしまいました」
 夜魅の少し斜め後ろに立ってその背中へ頭を下げた。夜魅は水面を見つめたまま何も言わない。
「夜魅さま。お側に居てもよろしいですか?」
 夜魅は相変わらず黙ったまま否定も肯定もしない。リリーは先ほどの激闘の後が残る背中を見つめながら、静かにその場に立ち続けていた。

 どのくらいそうしていただろう。風が少しだけ冷たくなっていた。太陽が少しだけ西に傾いていた。ジュブッという音と一緒に夜魅がリリーの方を振り返る。一瞬交差した夜魅の視線は、プロンテラ南郊外で暴漢に見せたあの視線以上に冷たかった。
「夜魅さま!」
 リリーの呼びかけに答えることなく夜魅はその脇を通り過ぎて行く。泣き出したくなるのをじっと堪えてリリーはその後ろをついて行った。

(もしまたテレポートでどこかに飛んでいってしまわれたら、もうわたしには追いかける力がありません。お願いです。夜魅さま。またいつものように微笑んでください。お願いです・・・
 心の中でリリーはそう叫びながら夜魅の背中を見上げて、今度はゆっくりと土手を登った。

 土手を登った所にちょうどあった桜の木の根元に、まるで繰り手を無くした人形のように夜魅は腰を降ろして幹に寄りかかり、茜色に染まり始めた空をじっと見つめていた。リリーはその傍らに立ち、泣きたくなるのを必死で堪えながら無理に微笑んでそっと夜魅に尋ねた。
「お隣に座ってもよろしいですか?」
「・・・」
(この沈黙は肯定ですよね?)
 
リリーは心の中で自分がここにいる事を肯定して、夜魅の隣にちょこんと腰を降ろした。

 二人の間を再び永遠とも思えるほどの沈黙が訪れた。リリーはまた微笑み合える時が来ることを信じてじっとうつむきながらこの沈黙に耐えていた。

 太陽は西へと傾き空には星が瞬き始めた。さあぁと吹いた春の風がリリーの肩下で切りそろえられた金色の髪と戯れた。乱れを直そうと頭に手を伸ばしたその時、それより先に違う手がリリーの頭に置かれてそっと優しく撫でた。
「よ・・・夜魅さまぁぁああ!」
 リリーが見上げたその視線の先には、いつものように優しく微笑む夜魅がいた。リリーの瞳から今まで必死に堪えていた涙が溢れ出して頬をつたう。
「夜魅さま!夜魅さま!夜魅さま!夜魅さま・・・」
 そう叫びながらリリーは夜魅の胸に飛び込んだ。何度でも憧れのその人の名前を叫びたかった。でも、涙があふれてきて、声がつまって口に出せないから、心の中でリリーは何度も何度も憧れのその人の名前を叫び続けた。

「も、もう。おかしなコ。ほら」
 そう言うと夜魅はポケットからハンカチを取り出しリリーの目頭をそっと拭った。ほのかに夜魅がつけているフローラル系の香水のいい香りが鼻腔をくすぐった。
「ほら。鼻水も出ているじゃない。ちーんしなさい」
 言われるままにリリーは夜魅のハンカチで鼻をかんだ。
「・・・二度ある事は三度あるとはよく言ったものね」
 一瞬夜魅の口元が引きつった。
「あぅうう。ちゃんと洗濯してお返しします・・・・」
 そう言いながらリリーはクスッと笑う。夜魅もまたリリーを見つめてクスッと笑った。

「・・・何も言わないの?」
 真剣な表情に変わって夜魅はリリーを見つめた。リリーは小さく頷く。
「だって。微笑んでくださる夜魅さま。真剣にわたしを守ってくださる夜魅さま。お戯れになる夜魅さま。そして、落ち込まれる夜魅さま・・・全部夜魅さま、ですから」
 両手をグーの形に握って夜魅に微笑みかけた。
「ありがとう。あんなアタシを見てもまだ慕ってくれて正直すごく・・・嬉しいよ・・・」
 夜魅がリリーから視線を逸らす。僅かに肩が震えていた。
「でも、リリーには全部ちゃんと話すわ。リリーだから話したいの。聞いてくれるかしら?」
「わたしでよろしければ」
「リリーにアタシの荷物を半分背負ってもらう事になるかもしれない。それでも?」
 目にたまった涙を右手の人差し指でそっと払いながら、夜魅はリリーに視線を戻した。いつもグイグイ引っ張っていく夜魅がリリーに同意を求めたのはこれが初めてだった。いつもとは違うどこか不安げな表情。でも視線はまっすぐ真剣にリリーを見つめていた。

(わたしにそんな重荷を背負う事が出来るのかな。不安。でも、大好きな人の荷物ならば一緒に持ちたい。もし、重過ぎて歩けなくなったとしても、きっと手を差し伸べてくれる。わたしもきっとそうするから。だから恐がる事は無いの。むしろ誇りに思わなくちゃ。憧れの夜魅さまの荷物をわたしなんかが半分持てるんだから)

 リリーは瞬間視線を外した後、再び夜魅の視線と向き合った。ついさっきまでとは違う夜魅も驚くくらいの覚悟を決めた視線。一呼吸した後、リリーの唇が静かに動いた。
「もちろんです」
「ありがと」
 安堵した表情でそう言うと夜魅はリリーに向かって座り直した。楽な姿勢で座っていたリリーも腰を浮かして正座をし、夜魅の目をじっと見つめて言葉を待った。

 ふぅと一息ついた後、夜魅は表情を引き締めて話を始めた。

「 『月之宮つきのみや』家 と同様に、東洋からこの地へ渡ってきた 『上泉かみいずみ』家 。アタシはその『上泉』家の長女『上泉夜魅』。恐らく『月之宮』家の人間なら知っていると思うけど、どう?『月之宮リリー』?」

 

 

2003年8月2日 公開

協力
英語訳:ミセス・ロビンソン

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