舞い散るそれは百合の花
―It which dances and breaks up is the flower of a lily―

第一草「SAKURAドロップス」
第十一幕〜smile again〜

 宿屋のドアを静かに開き、フロントの前を普段と変わらない風を装って通り過ぎようとするけれど、そこはリリー。何かありました、と表情にありありと出ている。その様子を四十後半くらいの歳の女性がフロントの中に立って訝しげに見ていた。この時間に普段は帰ってこないという事と、最近は傍らに常に夜魅が寄り添っていたはずなのに、その夜魅の姿がどこにも見当たらない事。一ヶ月以上も滞在しているリリーの顔や名前はもちろん、行動パターンも把握していた中年女性が不審に思って、フロントから飛び出しリリーの両肩を掴んで、目を大きく見開き問い詰めてきたのも当然の話であろう。
「どうしたの?リリーちゃん? 『白薔薇ロサ・ギガンティア』 さまはどうしたの?リリーちゃん!」
 どう説明したらいいものかどうか。頭の中に言葉は浮かぶけれどそれを文章として組み立てる事が出来なくて、ただただ「夜魅さまが」と呪文のように繰り返す事しか出来なかった。こんな所で時間は割けない。仕方なく
リリーは両肩を掴む手を払いのけて自分の部屋へと走リ出した。その後を慌てて中年女性が追いかけた。

 自分の部屋まで走り着き、ポケットに手を入れてカギを探すけれど、そこにあるべき物を指先に感じる事が出来なかった。
(あれ?しまった!カギはリュックの中だった。リュックは森に置きっぱなしだ!)
 
その場でがっくりとうなだれるリリーを見て、中年女性がカギを忘れた事を敏感に察した。
「待ってて。今取って来るから」
 そう言って慌てて今来た廊下を戻って行く。その後ろ姿を見送りながら先ほどの乱譚の言葉をリリーは思い出していた。

『少し落ち着いて考えてみたら?案外その方がいい方法を思いつくものさ』

 その言葉を頭の中で何度も繰り返しながら自分に落ち着けと言い聞かせた。
(今はわたしがしっかりしなくちゃ。今夜魅さまを守れるのはわたししかいないのだから・・・)

 やがてドタドタという音とともに中年女性が片手に握られたカギを突き出して、じゃらじゃら言わせながら駆け寄って来た。手際よくカギを外してドアを開けたのを確認して、リリーは中年女性の脇から部屋に入った。内心夜魅がよく好んで飲んでいるダージリングティーの香りを期待したけれど、その香りも人影も無かった。試しに浴室のドアを開けてみたけれど、そこにも夜魅の姿は無かった。
(ここにもいない!)
 落ち着かなくちゃ、と思ってもあてが外れた事とまた振り出しに戻ってしまった事、そこから生まれた焦りがリリーの心を急き立てた。後ろで何かわめいている中年女性を置き去りにしてリリーはまた走り出した。

 二股の小道に立つマリア像へ一礼をして道を左へと折れる。この先には銭湯がある。一気にそこまで走っていったけれど、暖簾がしまわれていてどうやらまだ店を開けていないようだった。しかし、引き戸が少し開いていたのでそこから中の様子をうかがうと、中に人が歩いているのが見えた。躊躇なくその中へ入り、従業員と思われる男を捕まえて、わtしよりも少し背が高くて、わたしよりももっと美人で、腰まで伸ばした綺麗な黒髪が特徴のプリーストを見かけませんでしたか?と一気にまくし立てた。男はしばらく考えた後、今日はまだお客さまをお通ししていないからこちらには来ていないと思いますよ、と丁寧に答えて一礼した。リリーも同じように一礼してまた走り出した。

 二股の分かれ道まで戻ってきた所で、肩で息をしながらマリア像を見上げて、胸の前で両手の指を交互に組み心を静める為に目をつむる。まさか絶望のあまり早まった事を・・・。『最悪の事態』がふとリリーのまぶたの裏をかすめた。

(落ち着いて。落ち着きなさいリリー。まだ探していない所を考えるの。この街でまだ探していない所をよく考えて・・・そうだ!お堀!あの辺りはまだ探していないし、まずはそこを探そう。もしそこにいなかったらもう一度路地裏を探してみよう。お店を一軒一軒しらみつぶしに探せば見つかるかもしれない。でもそれで見つからなかったら?)

 再びリリーの頭に『最悪の事態』という考えが浮かんできて、慌てて頭を振ってそれを追い出した。

(もしこの街で見つけられなかったらプロンテラ大聖堂へ行こう。アルベルタまでは歩いてすぐだし、そこで船に乗ってイズルートまで行けばここから歩いて行くよりもずっと早くたどり着けるはず。そこで 『紅薔薇ロサ・キネンシス』さまと 『黄薔薇ロサ・フェティダ』さまに この件をご報告しよう。お二人の力ならば全国に散らばるアコライト、プリーストを全員動かせるはず。そうすればきっと見つけられる・・・よし!わたしは落ち着いている。落ち着いて次のさらに次の行動を考えられる。きっとちょっと前のわたしだったら泣いているだけで何も出来なかったかもしれない。でも今は違う。少しだけ強くなれた。それも全部夜魅さまのお陰だ)
 
うっすらと目の縁に溜まった涙を指で払い、再びリリーは走り出した。きっとまた夜魅のあのどこか懐かしい笑顔に出会える事を信じて。

 再び大通りを東へと突っ切る。フェイヨンの街の周りをぐるりと囲む外壁。その外壁の一部が東南のちょうど角になっている辺りのみ切り崩されている。そこにはお堀を見下ろすことの出来る土手へと上がるのに階段が設けられていた。階段を登り、土手に上がると一定の間隔で桜の木が植えられている。数千年前、戦乱が終結したことを祝って、当時の人々が植えたものだった。外壁の切り崩しもこの時出来たものである。戦乱の世の中ならば外敵の侵入を防ぐ為に作られた外壁を切り崩すなど考えられない事であったが、平和な世の中には外壁は無用である。以来、この切り崩しは『平和の象徴』として修復されることなく今に至っている。

 リリーは土手を駆け上がり、まず視線を東へ向ける。その視線の先には白く彩り始めた数本の桜の木と先ほど恐怖を体験したあの森が彼方に見えるだけで夜魅の姿は無い。
 今度は西に顔を向ける。南門へと通じる橋の橋脚部分の円弧が土手を器用に避けていて、身をかがめると西端まで見ることが出来た。膝を折って土手の向こうまで目を凝らすが夜魅の姿は見えない。
 もしかすると平均的に並んでいる桜の木の今自分が立っている場所からはちょうど死角になっていて見ることが出来ない方の幹に寄りかかっているかもしれない。一本一本探して見るのをとりあえず後回しにして、今度はその場からお堀の水面へと視線を移した。

 水面の一部が干上がり川底が現れたそこに背の高い雑草が生えている。今度は西から膝を伸ばして東へと顔を動かしながら雑草の生えるままになっているその場所に目を凝らす。

 リリーの顔の動きが止まる。雑草の緑の中に一際目立つ黒い髪。見知ったあの艶やかな長い黒髪を見つけた瞬間その方向へ土手を駆け降りて行った。

 

2003年7月26日 公開

協力
英語訳:ミセス・ロビンソン

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