マリア像のある二股の分かれ道を昨晩とは違う方向右へと折れてしばらく歩くとフェイヨンの繁華街へと出る。ルーンミットガッツ王国の首都プロンテラから比べればはるかに小さいこの街ではあったが、広大に広がるフェイヨンの森の中に位置する為、多くの冒険者や行商人たちが体を休める為に必ず立ち寄る街であった。フェイヨンの北側の小高い場所にあるこの街を管理する中央宮へと通じる大通りではそこかしこで行商人が露店を開き、多くの冒険者が行き交い賑わいを見せている。
大通りを南に進路を取れば、南側にだけある堀に掛けられた橋を通って南の出入り口に通じそこから外に出られる。街の周りを外壁が囲み、南ともう一つ東にしか出入り口が無いのは、この街は千数百年前ルーンミットガッツ王国の辺境防衛都市として始まった都市であり、防衛の意味が薄れた今でもその名残を濃く残している為である。
リリーと夜魅の二人は喧騒を眺めながら大通りを歩いていた。このまま大通りを横切ってフェイヨンの東にある出入り口へと向かうはずだったが、
「ちーとばかしすいまへん」
二人の間に突然腰をかがめ手のひらを上下させて手刀を切りながら男が割り込んできた。夜魅はまるで見えていないようにその男をよけて先に歩いていくので、リリーも横目でその男を見ながら夜魅の後ろを歩いて行った。
「ち、ちーとばかし待っておくんなはれ」
慌てて男が素早く二人の前に回り込んで来た。
「なあんもシカトする事は無いでっしゃろ。ね?」
嫌らしい笑いを浮かべながら男は両手の手のひらをこすりつけている。見たところ男はリリーと同じくらいの年齢で『男の子』と表現した方が正しいだろう。
短めの髪は少し青みがかっていて毛先が少し外にはねている。整った輪郭の中には切れ長の目と高い鼻が綺麗に調和していた。顔だけ見れば美少年に見えるが、身軽に動けそうな服はほこりっぽくて綺麗とはいえず全体の印象を悪く見せていた。
どう見ても夜魅の知り合いともリリーの知り合いとも思えない男の子は二人の前で相変わらず気持ち悪くなるくらいの愛想笑いを浮かべていた。
「わいは、名はヒロロ、姓はマロヤカとぬかすしがあらへんシーフや。このしがあらへんシーフとちびっとの間付き合ってもろてはくれしまへんかね?」
相変わらず愛想笑いを浮かべているがその目は油断ならないくらい不気味に光っていた。夜魅はそんな男の子なぞ見えない、何も聞こえないといった素振りで目の前にいるにも関わらずそのまま歩き出し、体をぶつけて突き飛ばしながら先へと進んで行く。自分からシーフって普通言うかしら、と思いながらリリーは慌ててその後を追った。
「人をシカトするんもたいがいにしてもらえしまへんかね?」
ヒロロと名乗った男の子が再び二人の前に回りこんで来た。顔からは愛想笑いが消えて少し赤みがかった顔色からわずかに怒気がにじみ出ていた。夜魅はふぅと小さくため息をついて仕方ないなと言う表情を隠しもせずにヒロロに、
「アタシたち急いでいるから、ごきげんよう」
それだけ言うとさっさと歩き出した。
「ええ加減にしねーか!人を舐め腐りやがってーな!ぶっ殺したる!!」
ぶっ殺したるとは穏やかではない。夜魅はちらりと声の方に目を向けると、ヒロロは懐からタガ−を取り出して身構えていた。傍らに居たリリーに、
「離れていなさい」
と言って夜魅は辺りを見る。土産物屋だろうか、壷に木刀が何本かささっていた。それを見て夜魅は、
「借りるわね」
と言って木刀を手に取り、ヒロロに向かって身構える。気がつくと周りには騒ぎを聞きつけて人の群れが出来上がっていた。その中にリリーも混じって不安そうな表情を浮かべていた。いくら夜魅が強いとはいえ相手は見るからに身軽そうなシーフである。プロンテラ南郊外でリリーに絡んできたあの剣士はいかにも鈍重そうで、速度増加を使っても夜魅との攻撃速度の差は埋まらず撃退出来たのかもしれない。でも今回の相手はもしかすると夜魅の攻撃を鮮やかにかわすかもしれない。胸の前で両手の指を組みリリーはマリアさまに祈りを捧げた。
(どうか夜魅さまにお怪我がありませんように)
「どうしたの?かかってこないのかしら?」
相手に木刀を突き出しながら夜魅は不敵に挑発する。ヒロロは顔を真っ赤にして怒りにまかせて飛び上がった。リリーの予想以上にその動きは素早く驚く程の跳躍力だ。
夜魅は腰を落として右足を相手に向かって突き出し、木刀を腰の脇にまるで鞘に納刀するかのように当てて、右手で柄を握り左手で木刀の刀身を掴む。夜魅は瞬時にその構えを取って相手をにらみつけた。東洋出身の『月之宮』家の長女リリーはその構えが先祖の故郷の剣術の一つ抜刀術であるという事を一目見て気がついた。それ程夜魅の構えはプリーストとは思えないほど見事な物だった。
ヒロロは夜魅の頭上でタガ−の柄を両手で持ち、刃先を夜魅の頭上に向けて一気に落下する。夜魅は頭上を見ることなく半歩引いた瞬間、再び右足を突き出しながら木刀の刀身を左手の手のひらの中で走らせた。突然目標物が目の前から消えて驚いた表情を見せたヒロロであったが、次の瞬間苦悶の表情に変わる。頭上から迫り来るヒロロの右脇腹を夜魅の木刀は捕らえていた。そのまま夜魅は腰をひねらせながら木刀を振り抜く。防御することもかなわずまともにその一撃を受けたヒロロはそのままはるか後方まで飛ばされて、受け身も取れずにお尻を空に突き出す無様な格好で地面を舐め、二、三度痙攣した後動かなくなった。
「抜かば斬れ。抜かずば斬るなこの刀。ただ斬ることに大事こそあれ」
夜魅の決め台詞を聞いた瞬間、固唾を飲んで見守っていた群衆がどよめいた。その群集の輪を抜けてリリーは心配そうな表情を浮かべながら夜魅に駆け寄り、
「お怪我はありませんか?」
と尋ねる。
「ええ。大丈夫よ」
夜魅は息一つ切らすことなくニコリと笑った。
流石は夜魅さま、とリリーは思うが心に妙な引っかかりを覚えた。確かに一次職と二次職ではその戦闘力が異なる。しかし相手はシーフという戦闘職。夜魅は聖職者であり当然非戦闘職である。法術を使うなりすれば倒せるかもしれないが、それでも一撃で撃退出来るかというと難しい。プロンテラ南郊外でも剣士を撃退して見せたがその時も一撃だった。およそプリーストの戦闘力では無い。
それに抜刀術を体得しているという事。その名前と緑の黒髪からして夜魅も自分と同じく東洋出身であるという事がうかがえるし、もしかすると自分と同じように父親から東洋剣術を習っていたのかもしれない。そう考えれば夜魅が抜刀術を知っていた事に説明がつく。しかしとリリーは思う。もし自分が夜魅の立場だったらとっさに抜刀術を選択出来たであろうか?しょせんは道場の中の剣術。いざ実戦でとなったら難しいだろう。となれば夜魅は少なくても剣を持って闘った経験があるという事になる。
抜刀術は相手を一瞬で斬り殺す暗殺剣。鞘の内にて飛燕すら切り落とすという攻撃速度があれば敵がどれ程素早く動こうがその動きさえ見切ってしまえば斬るのは容易い。ヒロロの攻撃速度がどれほどのものか分からず、下手に飛び込めないあの状況では最も安全な選択であった、そして、その選択をより安全な物とする為にわざと相手を挑発して先に動かしその動きを見切るという冷静な判断力。これらの事がら推測すると夜魅は剣士として剣を振るっていた事があったのではないか?そう考えれば総ての事に説明が出来るとリリーは考えたが憶測の域を出ない。かといって本人に聞くのもはばかられた。どこぞの名探偵のようにアゴに指を当ててリリーは考え込んでしまうが、
「何ボケっとしてるの?」
と言って顔を近づけてくる夜魅を見て、恥ずかしいやら照れるやらで顔を真っ赤にしてそれ以上考える事が出来なくなった。今、目の前で自分の顔を覗き込んでいる夜魅はどこからどう見てもプリーストであり、その事実は疑う術も無い。不毛な推理は時間の無駄だとリリーは自分の中で結論をつけて、
「いえ。なんでもありません」
そう言って頭を横に振った。夜魅はちょっと腑に落ちない表情を浮かべたが、すぐいつもの表情に戻って土産物屋の方を振り返った。
「お騒がせしました。この木刀のお陰で助かったわ」
ニコリと微笑みながら木刀を差し出す夜魅に、
「いや。見事な一撃じゃったわい」
店主はタバコから紫煙を上げながらその木刀を受け取った。
その店主に一礼して二人は東の出入り口を目指して再び歩き始めた。
―数分後―
「ちーとばかし、いつまで寝てんねんの?ええ加減目を覚ましぃ!」
脇腹にめり込んだつま先の激痛でヒロロは目覚めた。
「ちょ、おんどれはもっとまともな起こし方がでけへんのか?」
痛む脇腹を押さえながらヒロロは立ち上がった。いつの間にか彼の目の前には年の頃十三くらいの目がパッチリした可愛らしい女の子のノービスが腰に手を当てて立っていた。
「あんたちうわけや。こないなとこで寝てんねんな。見てみぃ。道行く人みんな笑っとるやんか?」
「何ぬかしてやがるちうわけや。男の粋ってヤツは女には分かりまへん。妹が口だすんやない!」
「アホ!そないな事分かりとうないわ!」
「っとおめえの相手をしてん暇やなんて俺にはねえや。へろろはとっとと家に帰りな!ぐぶうわ!?」
今度は気がつくとみぞおちにノービスの鉄拳がめり込んでいた。
「あんた、うちの名前間違えへんで。へろろってどなたはん?うちの名前は紅葉やって何べん言うたらわかるん?お〜?」
「お、俺が悪かったや。ぜ〜ぜ〜・・・。お願いや。行かせておくんなはれ。仇うたな俺の面子にかかわんねん」
「あぁあん?さっきのプリーストの事か?せやったらうちがぽいぽいと倒しといたで」
「・・・ホンマか?」
「いつまでこうしてんつもり?女のケツばっかり追っておらへんではよぉ稼ぎに行きぃ!」
紅葉に背中を叩かれて、ヒロロは渋い顔で歩き出しやがて街の雑踏へと消えていった。
「ホンマ、普通にしとったらかっこええし優しいんやけどな。ヒロロ兄ちゃんは・・・。いっちゃんねきにうちのような可愛い女の子がおるんに・・・。ホンマアホやで。ヒロロ兄ちゃん」
少し火照った顔で紅葉はその場で回れ右をして、今日の昼食の食材を仕入れるべく市場の方へ向かって走って行った。
2003年6月6日 公開
協力
英語訳:ミセス・ロビンソン
大阪弁指導:心斎閣
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