舞い散るそれは百合の花
―It which dances and breaks up is the flower of a lily―

第一草「SAKURAドロップス」
第一幕〜Reunion under the moon〜

 フェイヨンの街の西の片隅にあるあまり豪華とは言えない、よく言えば瀟洒な造りの宿屋の三階にある自分の部屋に、一日の狩りを終えてリリーが戻って来たのは日も随分と傾いた頃だった。
「はぁ〜。疲れた〜〜〜」
 部屋に入って扉のカギを閉めてそうぼやきながら、カギをベットの脇の丸テーブルに置き、手荷物の入ったリュックを床にボスンと置いてベットに倒れこんだ。
 安宿とはいえベットには弾力がある。押しては返す宙に浮かぶような弾力とまではいかないまでも、充分に柔らかい。その柔らかさをもっと体感しようとリリーはベットの上で何度もごろごろと転がる。
「う〜〜。早く着替えなくっちゃ。こんなことしている場合じゃないよ〜〜」
 そう言いながらもなおもベットの上で転がり続ける。ごろごろ、ごろごろ・・・
「あ〜〜〜もう!」
 このままではきりが無い。自分に言い聞かせるように一際大きな声を上げて上半身だけを起こした。
「ふ〜。早く着替えてお風呂入ってご飯食べよ」
 ベットに座りながら頭に装備している『猫耳』をはずし、ベットの脇にある丸テーブルにそっと置く。
 この『猫耳』。一見ただの飾り物にしか見えないが不思議なことに意外と守備力が高い。それに。
「この猫耳。これをくれたあのお方は間違いなく『夜魅』さまだった・・・」

 この冒険を始めて早々プロンテラの南郊外で男に危うく襲われそうになった時に助けてくれたプリースト。それが夜魅だった。あの後、真っ直ぐフェイヨンに向かうはずだったが途中で立ち寄ったイズルートの『月之宮家ご用達』の武器屋の店主に兄、乃百合の行方を聞いたところ砂漠の街モロクに居た、という情報を得て急遽進路をモロクに変えた。しかし残念ながら出会う事が出来ず、最初の目的地であるここフェイヨンに辿りついたのが今から一ヶ月前のことだった。
 兄を探す旅に出てからすでに三ヶ月。当初は情報を集めて街々を回る考えでいたが、よくよく考えてみると兄は相当なレベルの騎士である。今の自分じゃ辿りつけないような場所にいるかもしれない。少しでも強くならないといつまでたっても兄を探し出すことが出来ないのではないか、と考えたリリーは今すぐにでも兄を探しに行きたい気持ちを殺して、ここフェイヨンで自己鍛錬の日々を一ヶ月過ごしている。

 狩りを続ける日常。一ヶ月も続けば生活のリズムはいつしか一定になってくる。そんな変わらないはずだった今日のお昼。宿屋で買ったお弁当を木陰で広げて食べている時、目の前を通りかかったプリーストが何やら考えながら目の前にいたタヌキに似たモンスター、スモーキーを叩いた。戦闘よりも考えることに夢中で今が戦闘中であることなど気がついていないようだった。電話をかけながら電話機の脇に置かれたメモ帳にぐるぐると形にならない落書きを書いている、そんな感じだった。自分が必死になって倒しているスモーキーを片手間で片付けると、プリーストは何やら慌ててテレポートで何処かへ飛んで行ってしまった。その時長い緑の黒髪の間からちらりと見えた横顔は間違いなくリリーの憧れの人夜魅だった。リリーは話し掛けようと思って慌てて駆け寄ったが間に合わず、その場には『猫耳』だけが残っていた。

 リリーは夜魅の事をこの三ヶ月の間忘れたことは無い。恩人という事もあるが、切れ長の目、すっと通った鼻筋、ふくらんだ唇に細いアゴの線は理想的な美人で、腰まで伸ばした艶やかでさらさらとした黒髪がその整った顔立ちを引き立ていた。それに凛とした雰囲気は同じ女性とは思えないほどカッコよく、その印象が強くの心の中に焼きついていた。男性だけでなく女性でもきっとぽーとなるに違いない、とリリーはいつも思っていた。
 その憧れの夜魅の美しい横顔を拝見できたことは嬉しかったけれどあの時のお礼を言いたかった。けれど、とリリーは思う。
「これでお話するきっかけできたよね?」
 丸テーブルに置かれた『猫耳』を見つめながらそっと呟く。そして夜魅の事を考えながらいつの間にかその頬を赤く染めていった。
 どのくらいそうしていただろうか。傾きかけていた太陽はすでに地平の彼方へ沈み、街には夜の帳が降りていた。
 はたと気がついて慌ててベットから降りて服を脱ぎながら、クローゼットを開けて脱いだ服をその中にあるバスケットに放り込む。気がつけばハンガーに吊るしてあるアコライトの聖衣服は残り2着しかない。バスケットを横目で見るとずいぶんと洗濯物が溜まっていた。クローゼットの中の片隅にタオルをかけて隠してある下着も残り少ない。
「明日は洗濯してから狩りに出かけるようだわ・・・」
 はぁとため息が漏れた。宿屋のサービスにはさすがに洗濯までは含まれていない。いや。洗濯をされるのは嫌なのだが。自分の下着を見ず知らずの人間の手で洗濯されたくは無い。かといって面倒だし・・・そんな矛盾した考えを頭の中でぐるぐる交互に考えながら着替えを終えて、自室にある浴室の扉を開けた。
 安宿にしては各部屋にはユニットバスがついてる。そのあたりが人気の秘密なのだろうか?この宿屋は多くの冒険者が利用する定番の宿になっていた。
 しばらく浴室内のユニットバスを覗きながらリリーはう〜んと考える。今日は疲れたし久しぶりに温泉にでも入りに行こうかしら、そんな事を考えていた。

(う〜ん。う〜ん。よし!決めた!今日はわたしの力ではないけれど『猫耳』手に入れたし記念に温泉に入ろう!!

 石鹸、シャンプーそれと下着を洗面器の中に入れて、宿屋が洗濯して置いてくれてあったバスタオルと普通サイズのタオル(タオルだけは宿屋から毎日洗濯したての物が支給される)を洗面器の上に被せてそれを右手に抱え持ち、左手でベットの脇にある丸テーブルの上に置かれたカギを掴み、部屋を出てカギをかけた。
 宿屋を出て小道をてくてく歩いて行く。街外れに宿屋がある為辺りは月明かりのみで薄暗く、それに時折風に吹かれて道の両脇に生えているちょっと背の高い雑草がざわざわと音を立てるものだから、今にもお化けが出てきそうな雰囲気である。自分はマリア様に見守られている身なんだ、と言い聞かせながら先へと急いだ。リリーがあまり銭湯を利用しないのは宿屋に戻ってから出かけるのが面倒な事と、この小道が夜になるとちょっと怖いせいであった。
 しばらく歩くと小道が二股の分かれ道になる。右へ進路を取れば街中へ出る。左へ進路を取れば目的の銭湯に辿り着く。その二股の別れ道にはマリア像が立っていて、毎日狩りに出かける前、狩りを終えて帰ってきた時にアコライトやプリーストは誰でもその像へ祈りを捧げていた。当然リリーも日課になっていた。マリア像の前に歩み寄り、そっと目を閉じて両手の指を胸の前で組み、
「今日も一日つつがなく過ごすことができました。いつでも温かく見守って頂きありがとうございます」
 と、マリア様に祈りを捧げて歩き出したその時、不意に背後から、
「お待ちなさい」
 と呼び止められた。マリア像の前であったことから一瞬マリア様にお声をかけられたのかしら?と思うほどその声は凛としてよく通る声だった。
 内心慌てふためいたが淑女としてそれを表面に出してはならない。平静を装いながら体を声の方に向ける。顔だけ向けるのは淑女としては失格だと、リリーは母親から厳しくしつけられていた。
 体を相手に向けて、ニコリと微笑みながら
『ごきげんよう』というのが淑女のたしなみではあったが、その声の主を見たとたんリリーは言葉を失った。跳びあがるほど驚いたのにも関わらず身動き一つ取れないのは、淑女としての教育を受けてきたからという訳ではなく、その驚きの度合いが大きすぎて思考が行動に結びつかない為であった。

 その声の主は月の光を背景に優雅にそこに佇んでいた。

「ぇ?ぇ?ぇ?」
 もうどうしていいの分からない。しばらくの硬直の後、リリーは淑女のたしなみも忘れて、その場できょろきょろおどおどとしてしまう。
「あなたよ。アタシが今呼び止めたのは」
 そこに佇んでいたのは誰であろうリリーの憧れの人夜魅だった。
「あ、あの・・・わたしに・・・えっと・・・そのぉ・・・何か・・・ご、御用でしょうか?」
 最後の方の言葉は今にも消え入りそうなか細い声になってしまった。
「用があるから呼び止めたんだけど・・・あれ?リリーちゃんだよね?」
(うわぁ!)
 リリーは自分の名前を憧れの夜魅から聞いて、まるで天使に祝福されているような幸福な気持ちを味わった。ほんの一瞬しか会っていないわたしの事を覚えていてくれたんだ。そう考えると虹の上でも歩けるような気持ちになってくる。
「違ったかしら?」
 夜魅は頬に手を当ててう〜んと考え込んでしまう。眉間に皺を寄せてもその整った顔立ちは崩れることはなく、高貴な雰囲気をかもしだしていた。本当の美人とはたとえどのような表情をしてもまるでラファエロ・サンツォイの描く聖母のような高貴な雰囲気は失われないものなのだな、なんて事を考えながらリリーは夜魅のその表情に見とれてしまう。
「ごめんなさい。人違いでしたわね。失礼しました」
 そういって丁寧にお辞儀をし、
「ごきげんよう」
 と言って踵を返した。ふわりと緑の黒髪が宙に泳ぐ。そこでリリーはハッと我に返った。絡まった糸が解けてようやく現状を理解することが出来た。
「あ、あの・・・夜魅さま!」
 ついつい憧れの人の名前を叫んでしまう。はしたない、と思ってももう遅かった。
「・・・はい?」
 夜魅はたおやかに振り返る。
「あのぉ、えっと、そのぉ・・・・」
 自分自身のことではあるがもどかしい。緊張しすぎて上手く口が回らない。その様子を観察していた夜魅が「ふふっ」と微笑んで、
「やっぱりリリーちゃん?」
「は、はい!あの、お久しぶりっす!」
 自分の口から変な言葉使いが漏れていることにも気がつかずにリリーはふかぶかと頭を下げた。
「本当にお久しぶりね。どう?元気してた?」
「は、はい!おかげさまをもちましてこの通りぴんぴんと生きておりますです!はい!」
 リリーの頭の中がまたぐちゃぐちゃとこんがらがってくる。普段使わない言葉が勝手に自分の口から発せられ続けていた。
「あっははは〜。このコってばホント面白い!」
 そう言って夜魅は目に涙を浮かべながらお腹を抱えて笑い出した。
「あぅ〜」
 リリーの顔がみるみるうちに茹でタコのようになっていく。
「ご、ごめん。ククッ。笑いが、ククッ、収まるまで待ってて。ククッ」
 そう言うと夜魅はリリーに背中を向けて、肩を震わせながら大声を上げて再び笑い出した。リリーはこの場から逃げ出したい気持ちをぐっと堪えて羞恥に耐えていた。ようやく夜魅は笑いが収まり再びリリーに体を向けて、
「ごめんね。だってリリーちゃん、挙動といい言葉といい可笑しいんだもん」
 リリーは半べそかきながら心の中で、
(ああ・・・憧れの夜魅さまの前でなんたる醜態!)
 と叫んでうつむいた。そんなリリーにお構いなしに夜魅は話を切り出してくる。
「その洗面器・・・リリーちゃんもこれからお風呂?」
 見ると夜魅もリリーと同じように洗面器を小脇に抱えていた。リリーはコクコクと首を上下に動かして質問に答えた。
「じゃあ一緒に行こうか?」
 そう言いながらもすでに夜魅の片手はリリーの手首を掴んでいた。そのままリリーをずるずると引っ張りながら夜魅は歩き出す。リリーはまるでおもちゃ売り場で欲しいおもちゃが買ってもらえず母親に引っ張られていく子供のようだった。

2003年5月17日公開

協力
英語訳:ミセス・ロビンソン

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† Strange term description †
〜のゆりの奇妙な解説〜

○『夜魅』
 このお話のもう一人の主人公です。詳しい事は後にとっておきましょう。

○『フェイヨン』
 先に解説した通りです。ラグナロクの、というよりはこの話にフェイヨンと捉えていただければ幸いです。
 ちなみに、宿屋も銭湯もマリア像もありません。あしからず。

○『猫耳』
 ラグナロクの防具の一つ。その名前の通り装備するとキャラが猫耳をつけてくれます。その容姿が萌えるので高値で売買されています。さらには『うさみみ』にバージョンアップ出来るという萌えに生きる人間の心をくすぐりまくる悩ましい防具です。

○『スモーキー』
 ラグナロクの敵キャラの一種。タヌキに似ていて可愛いんですがレベルが低いうちに間違えて喧嘩売ると確実に殺される恐ろしい獣です。でも『猫耳』の保有獣である為に常に狙われている可愛そうな獣でもあります。

○『聖衣服』
 名前の通りですが、ラグナロクにはこのような防具は存在しません。他の防具を指定するとアコライトのあの姿では無くなるので苦肉の策でこのような名前にしました。

○『ラファエロ・サンツォイ』
 ルネサンス時代に実在した画家です。昔、この方の描く聖母を見て大きな感動を覚えました。読み方が人によってさまざまでもしかすると間違えているかもしれませんがご勘弁ください。

 

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