あうちすむ - みその生い立ち
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みその生い立ち
2007-05-12 20:40
0歳 誕生
1984年(昭和59年)5月19日、名古屋市の産婦人科で生まれてしまいました。忌まわしい誕生日です。 この日以来、家庭は大いに呪われてしまいました。
2歳 致命的な事故が起きる
2歳のころ、名古屋の自宅2階のベランダで遊んでいる最中、誤ってアスファルトの地面に転落してしまいました。 救急車が到着したときには呼吸停止の状態だったらしいのですが、搬送中に息を取り戻したとのことです。
このとき死んでいたほうがよかったと、つくづく思います。
3歳 多動症を思わせる行動が目立つ
2歳から3歳にかけて、いま思えば明らかに問題児といえる行動がみられました。 玄関の扉のガラス部分を蹴って壊したり、家の前で施行されていた道路工事のセメントに泥を塗りつけたり、 真冬の小学校の授業参観のときについていった際、プールの中に侵入して、浮かべられていた凍結防止用の 発泡スチロールの上を渡ろうとして水没し騒動になったりと、いろいろなトラブルを起こしていました。
しかし、このときの行動を、発達障害であると疑う人はいませんでした。
豊田市の今の住居に引っ越しました。
幼稚園 運動音痴な天才児
天才というのは年齢を基準としたものです。幼稚園児にしては頭がよい、という意味です。 アスペルガー症候群でなくても「博士」とか「天才」と呼ばれる幼児はいますが、 みその場合は障害のゆえにそう呼ばれていたのです。別に珍しいことではありません。
身近な昆虫や植物、恐竜や熱帯魚などに関する知識が多かった時期です。
運動だけは苦手で、自由時間にできるのは屋内で遊ぶことでした。教室でずっと絵を描いていたり、 粘度で鳥やイルカなどの形を作ったり、女児たちとままごと、似た気質のある男児と戦隊ヒーローのなりきり遊びなどをしました。 ほかの多くの男児が運動場でドッジボールなどをして遊んでいたことを考えると、やはりこのころから運動の素質に欠けているのがわかります。
短距離走だけは速くて、ほかの男児の追随を許さなかったのが印象的でした。ようするに道具を用いたスポーツが苦手なのです。
変な性癖(?)も根強く、ぬいぐるみを抱いていないと一人で眠れないとか、母のブラジャーを握っていないと気が済まない、 シャンプーを嫌がる、トイレのあと水を流すのを拒む、、、など、異常な行動が数多くみられました。
小学校低学年 いじめで学校嫌い
一番嫌な思い出は、上級生からの「いじめ」でした。何かと因縁をつけられやすく、いじめの標的としてみられていました。「体育」の授業は苦手で、いろいろ嫌な経験することが多かった時期です。
授業中は頻繁に発言をするなど、意欲的な姿勢を示していました。この点はよい評価を得られていたようです。
小学校中学年 やっぱり体育が嫌い
成績だけを見れば優秀なので、とても「障害」のある子どもとは思えない様子でした。しかし徐々に授業中の発言が減り、 わざわざ自分から意見を述べることをバカらしく思うようになってきた時期です。
不満のありそうな体育があると、仮病を利用して休むことが頻繁に行なわれました。
小学校高学年 オカルト...漫画...マジシャン...(片思い1)
小学4年生のときに祖母が病死し、物心がつくようになると、タロット占いや心霊写真をはじめとする「オカルト」に強い興味を抱くようになりました。 「占い師」や「マジシャン」のようなキャラとして有名になり、ちょっとしたブームを巻き起こした時期です。
漫画やイラストを描くのが日常的で、追随者たちが現れ始めてきました。これはこれで楽しかったと思います。 プリントの余白や裏を見つけては絵を描き、ノートを用意して物語を描いたり、それを交換したりもしました。
手先の器用さを発揮できたのがカードマジック。手品用のトランプを買ってきて、マジックの本を読みながら 夢中になって遊んでいたものです。これにも多くの追随者が現れ、かなりのブームになったのを覚えています。
中学1年生 環境の変化への対応に追われる...
実は小学校に入学したときから、中学校へ上がるのは不安に感じていました。環境が次々と変化することを予測し、恐れていたのです。
小学校のときのマニュアルが通用しない場面が多く、担任教師との相性もよくありませんでした。 小学校と違って教科で担任が変わるため、担任によって評価が非常に異なり、どのように行動すればよいのか 考え込んでしまうことが多かったです。僕は安定を求めていましたが、それは叶いにくいことでした。
成績は相変わらず優秀で、問題があったとすれば、やはり「対人関係」だということがよくわかります。
中学2年生 全盛期はこのころか?(片思い2)
入学当初から怖い教師とされてきた男が担任でした。けれども実際には相性がよかったのです。 彼は僕に対しては頭が上がらない。そんな感じでした。ようするに彼は「あら探し」ができなかったのです。 僕を注意しようとすれば、それはそのまま彼に返っていく。僕を叱ることは無意味なのです。
しかし、このような考えに至ってしまうこと自体が、対人関係を難しくさせる原因の一つなのです。 一生このまま時間が止まっているなら最良ともいえる時期でしたが、時間は常に流れていて変化していきます。 環境が不変的なものになっていたら、この時期が全盛期だったといえるでしょう。
∴ここからtanasinn
以降、tanasinn
以降、tanasinn
以降、tanasinn
学校へ行こう、なんつったりして。
中学3年生∴不登校、高校断念だdd∴∵( ・)∴∴∵∴∵
体育だけでなく「数学」が徐々にできなくなっていました。もともと小学校のころから「暗算」ができず、 アナログ時計を見ながら計算していたほどです。テスト用紙には時計の絵を描いていましたが、これは暗算をするためだったのです。
誰もが「高校」進学を考えるさなか、僕はまったく関心を持っていませんでした。もう、ついていけませんでした。
夏休みが終わっても、もう学校へ行かず行かず行かず行かなく行かなく行かなく行かなく行かなく行かなくなりました行けませんでした行けませんでした。∴∵∴∵∴∵はじめは先生たち∴∵驚いて笑っていましたが∴∵( ・)∴∵僕は本当に行く気を失ってってって失っててててて∴∵( ・)∴∵( ・)∴∵∴∵引きこもって絵を∴∵ずっと絵を∴∵( ・)∴∵絵を絵を描いていたの∴∵∴∵絵を∴∵絵を絵を絵を描いていた∴∵の∴∵∴∵( ・)∴∵( ・)∴∵∴∵∴∵∴∵( ・)∴∵将来の夢=漫画家∴∵将来の夢=漫画家∴∵将来の夢=漫画家∴∵将来の∴=∵画家∴∵∴∵将来の
∴学3生∴∵おともだちおともだちおともだち
ぼくがずっと がっこうをやすんでいると おともだちがまいしゅうのように やってきたの。おともだちは せんせいからいけといわれて ぎむかんから やってきたの。
ぼくは おともだちを うらなってあげたり えをみせてあげたり うらなってあげたりえをみせてあげたりうらなってうらなってうらなって へたくそなえを へたくそなえを がっこうでさらすんだね
そのうちせんせいもきて ほごしゃとはなしをしていく
わざわざせんせいもきて ほごしゃとはなしをしていく
さんがっき
ふゆになった
みんなそろそろ こうこうにゅうし たいへんだね
みんなそろって こうこうにゅうし ひっしだね
みんななんのためにいきているの
そつぎょうしき
みんなでそつぎょうしきのあさ しゅうだんでむかえにきてくれて たのしかったね
ちゅうがっこうのそつぎょうしき そつぎょうしきそつぎょうしき
このときのみんなが さいごのおわかれになったね
さいごのさいごのさいごのさいごのさいごのそつぎょうしき みんなでいって たのしんできてね
そつぎょうしき みんなでいって たのしんできてね
そつぎょうしき みんなでいって たのしんできてね
そつぎょうしき みんなでいって たのしんできてね
そつぎょうしき みんなでいって たのしんできてね
そつぎょうしき みんなでいって たのしんできてね
そつぎょうしき みんなでいって たのしんできてね
みんなのみんなのそつぎょうしき おわかれのそつぎょうしき
ぼくけっせき
15〜18さい ほんらい、みんなこうこうせいのとき
ぼくはあいかわらず つくえにむかってえをえがいていたよ
ようしを むだにつかって えんぴつで かおばかりえがく
いみないのに
どうせだれもみないしね
おやもみてくれない
ずっとずっとおえかき
ひとりでおえかき たのしかったね
みんなでおえかき
∴∵( ・)∴∵.( ・)∴∵
∴∵∴/ ○ \∵∴∵
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/∵∴∵∴\
/∵∴/∴∵\\
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|∵∵∵/ ●\∵| 全然tanasinnじゃないね。
|∵∵/ 三 | 三| |
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\∵| \_ノ | /
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∵ここまでtanasinn
∴∵( ・)∴∵.( ・)∴∵
∴∵∴/ ○ \∵∴∵
18歳
自殺!!
「感覚異常」のうち「聴覚」にもっとも強い過敏性があった僕は、 中学を卒業して人と話す機会もなく意気阻喪していたとき、不快な音にさらされたことがきっかけで、 衝動的に自殺行為に向かいました。12月24日の午後のことでした。忌まわしい日です。
常備薬の中から致死性の高そうな薬品を選び、それを一気に飲みました。
数時間後、中毒症状が起こり、意識を失いそうになりました。
でも死にませんでした。
死ねばいいのに。
死ねばいいのに。
死ねばいいのに。
死ねばいいのに。
死ねばいいのに。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね∴∵∴∵死ね∴∵∴∵∴∵∴∵しね∴∵∴∵死∴∵死ね市ね氏ね∴∵∴∵∴∵( ・)∴∵∴∵
ともかく、感覚異常というのは想像以上に深刻なのです。ほかの人にとっては何ともない物音が、 僕にとっては猛烈な不快感となり、気を狂わせるほどに影響するのです。そうでなければ自殺なんてしません。
19歳 彼女を求めて...
「生きるなら、生きるにかなった目的が欲しい」─そう思った僕は、縁がないと思っていた彼女を探し始めました。 携帯電話の出会い系サイトで、それは見つかりました。
もう思い出されることもありませんが。
20歳 僕はアスペルガー症候群
初めてできた彼女が行方不明になったのは、僕がアスペルガー症候群ではないかと疑い始めたときのことでした。 彼女がいなくなってしまったのは結局、僕がアスペルガー症候群だったからです。不思議なことではありません。
彼女は、僕のアスペルガー症候群の魅力にひかれ、また、アスペルガー症候群の障害によって去っていったのです。 魅力的であると同時に、どうしようもない障害でもあるアスペルガー症候群。残念ながら僕の恋は終わりました。
21歳 アスペルガー症候群と僕
精神病院でアスペルガー症候群と診断されたのは、2005年9月5日のことでした。
でも、診断されても僕は何も変わりません。
彼女は、もうこの世にいないのだから。
この「彼女」、本当は初めから存在していなかったのかもしれません。僕の妄想が、脳内で彼女を作り上げていた可能性が高いのです。だから、この彼女は「恋愛」にカウントしません。
22歳 WWWで呼びかける
そう、通信技術でWorld Wide Web
普通は「インターネット」って呼んでるよ。
このあうちすむというサイトもそうだし、ブログでもアスペルガー症候群について理解を求めようと、一生懸命に 文章を書いてみんなに読んでもらいました。
それでも、何も変わりませんでした。
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