小浜藩  関ヶ原合戦の後、京極高次が若狭一国を与えられ近江大津から入ったことに始まる。

京極家→酒井家

京極家 近江大津から
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 京極高次 たかつぐ 慶長5年(1600)〜慶長14年(1609) 京極高吉の子
9万2千石
二代 京極忠高 ただたか 慶長14年(1609)〜寛永11年(16345) 京極高次の子
11万3千石
                                                                          出雲松江へ

酒井家 武蔵川越より
歴代 藩主 よみがな 襲封年 出自 石高
初代 酒井忠勝 ただかつ 寛永11年(1634)〜明暦2年(1656) 酒井忠利の長男
12万3千石
二代 酒井忠直 ただなお 明暦2年(1656)〜天和2年(1682) 酒井忠勝の四男
11万3千石
三代 酒井忠隆 ただたか 天和2年(1682)〜貞享3年(1686) 酒井忠直の長男
10万3千石
四代 酒井忠囿 ただその 貞享3年(1686)〜宝永3年(1706) 酒井忠隆の長男
五代 酒井忠音 ただしげ 宝永3年(1706)〜享保20年(1735) 酒井忠直の二男(越前敦賀藩主酒井忠稠の二男)
六代 酒井忠存 ただあきら 享保20年(1735)〜元文5年(1740) 酒井忠音の三男
七代 酒井忠用 ただもち 元文5年(1740)〜宝暦7年(1757) 酒井忠音の四男
八代 酒井忠与 ただよし 宝暦7年(1757)〜宝暦12年(1762) 酒井忠音の五男
九代 酒井忠貫 ただつら 宝暦12年(1762)〜文化3年(1806) 酒井忠与の子
十代 酒井忠進 ただゆき 文化3年(1806)〜文政11年(1828) 越前敦賀藩主酒井忠香の六男
十一代 酒井忠順 ただより 文政11年(1828)〜天保5年(1834) 酒井忠貫の二男
十二代 酒井忠義 ただあき 天保5年(1834)〜文久2年(1862) 酒井忠進の六男
十三代 酒井忠氏 ただうじ 文久2年(1862)〜明治1年(1868) 酒井忠欽の三男
十四代 酒井忠禄 ただとし 明治1年(1868)〜明治1年(1868) 酒井忠義(忠禄)再勤

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