ケンジの物語 旅立ち3

 小1時間ほど歩いて、ようやくボクたちは家に着いた。
「ここだよ。入って」
「……って、ここモエギジムじゃないか」
「そうだよ。でも、ボクの家なんだ」
 シュンは、驚いたようだった。しかし、訓練しているポケモンやトレーナーたちを見て、目の色が変わっていた。
「お帰りなさい、ケンジくん」 
 新人トレーナーに訓練をつけていたスズナさんが、ボクたちのところへやってきた。
 昨夜話をしてから、今朝はろくに顔を合わせていなかったので、ちょっぴり気恥ずかしかった。シュンが一緒で良かったと、ちらりと思った。
「ただいま、スズナさん。友達泊めてもいいかな。ポケモンセンターが満員で泊まれないんだ」
「初めまして。シュンといいます」
 スズナさんはうれしそうに笑った。
「ケンジくんのお友達なら、大歓迎よ。何日でもゆっくりと泊まっていってね。お父さんも喜ぶわ」
 ボクは、顔が赤くなるのを感じて下を向いた。確かに、ボクに普通の友達ができれば、父さんの思惑通りだろう。
「ありがとうございます。でも、ポケモンセンターに空きができれば、そっちに移りますから……」
「遠慮しなくていいのよ。うちはこの通り、普段から大勢人が出入りしているから気兼ねはいらないわ」
「シュン、ボクの部屋へ行って荷物を置いてこよう」
「そうね。6時になったらダイニングルームにきてちょうだい。ごちそう用意しておくわ」
「ありがとう、スズナさん」
 それだけ言うと、ボクは自分の部屋に向かった。
「お母さん、ずいぶん若いんだな。しかも美人」
「血はつながってないんだ」
 ボクは、ジムにある自動販売機で買った炭酸飲料を、缶のままシュンに渡した。
「サンキュ」
 プルトップを引き上げて一口飲みながら、シュンは意味ありげににやりとした。
「はーん、そういうわけか」
「何が?」
「悩んでるんだろ。美人のお母さんのことで」
「なっ!?」
 不覚にも耳まで赤くなっていくのが感じられて、ボクは焦った。
「ちがう! 全然、そんなんじゃないんだ」
「ムキになって否定すると、余計あやしいぜ。大丈夫、誰にも言わないからよ」
 シュンは完全に誤解していた。
 確かにスズナさんは美人だし、優しいし、優秀なポケモントレーナーだけど、シュンの考えているようなことなんて……。
 あまり考え込むと深みにはまるような気がして、ボクは話題を変えた。
「シュンは、いつから旅をしているんだ?」
「まだホンの1カ月ほどさ。バッジも1個しかゲットしてない。悪いけど、モエギジムのバッジ、狙わせてもらうぜ」
「スズナさんは手強いぜ」
「愛だな」
 シュンは、またにやりとした。だが、すぐに真剣な表情になった。
「世界一のポケモンマスターになるんだ。俺は頑張るぜ」
 シュンは、真っ直ぐな瞳をして言い切った。その言葉に迷いはなかった。
 ボクはまだ開けていない缶を持て余して、ベッドの横のサイドテーブルにおいた。
「とりあえず、明日はモエギの森で修行をかねてゲットしたいんだ。ケンジもつき合えよ」
「ああ、いいよ」
 あの日以来、モエギの森には入ってなかったが、シュンと一緒なら父さんも反対しないだろう。
「……腹、減ったな」
 時計を見ると、6時10分前だった。
 ボクたちは、ダイニングルームへ向かった。

 翌日は雲ひとつない快晴。絶好の観察日和だった。
「薬は全部持った? 気をつけて行ってきてね」
 スズナさんは、ボクにしびれ粉や毒の粉、さらに傷薬などをどっさりと持たせた。
 正直言って重かったけど、以前のことがあるので無下に断るわけにもいかず、全部リュックの中に入れてきた。
「愛だねぇ」
 シュンは、またにやにや笑っていたけど、ボクは聞こえないふりをした。
 昨夜も父さんは帰ってくるのが遅かったので、スズナさんにモエギの森に行くことを伝えてもらった。
「お友達と一緒なら、行ってもいいって。お父さん、シュンくんのこととても喜んでいたわよ」
「……ありがとう」
 頬を紅潮させてうれしそうに話すスズナさんを見ていると、なぜか胸が重苦しくなってきて、いつもより不愛想になってしまった。
 少し寝坊したので、父さんとはすれ違ってしまった。
 以前は毎日ずっと一緒にだったのに、最近は1日1時間も一緒にいない。
 これも、父さんのいう「普通の家庭」の父と息子の姿なんだろう。
「何考え込んでるんだよ」
 シュンが、いきなりボクの顔をのぞき込んだ。
 にやにや笑いを引っ込めて、真剣に心配してくれているようだった。
「別に、なんでもないよ」
 ボクは苦笑いして答えた。
 あって1日しか経っていないシュンを心配させるほど、ボクは深刻な顔をしていたんだろうか。
「ホントになんでもないんだ」
「そうか?」
 シュンは、それ以上つっこんで訊こうとはしなかった。
 やがて、背の高い木がボクたちから太陽の光を遮り始めた。
 モエギの森の入り口だった。
「シュンは、どの辺に行きたいんだ?」
「そうだな……。ヘラクロスやカイロスのいる辺りを教えてもらえるかな」
 ボクは、地図とコンパスを出して位置を確認しした。
「よし、こっちだ」
 ボクたちは、細い獣道を歩き出した。

「うわー、いるいる!」
「だろ。今は食事中のようだな」
 あちこちの木々に、樹液を吸っているヘラクロスやカイロスがいた。
 ボクは倒木の上にのって、双眼鏡を出して観察を始めた。
「右側の木にとまっているカイロスは、だいたい高さ1.5メートル。その隣のは高さは同じだけど、角の直径が太いようだな。…
…ん? その奥の木にいるカイロスは、1.8メートル。かなり大きいぞ」
「よーし、その大きいカイロスからいただきだ」
 シュンも、倒木の上にのってモンスターボールを取り出した。
 そのとき、突然足下がぐらぐらと揺れだした。
「なんだ?」
「地震か?」
 倒木の下の地面に、いくつかの穴があけられていた。穴からは何かがひょこひょこと顔を出している。
 ボクたちは、倒木ごと穴の中に転がり込んだ。
「いってー」
「なんなんだ、一体」
「ディグ、ダグ、ディグ、ダグ」
 倒れているボクたちの横を、ディグダが通り抜けていった。
 かなり深い穴、というよりも洞窟で、どこまで続いているのかわからなかった。
「この穴、ディグダが掘ったのか?」
「すごいぞー、これは」
 ボクはリュックから懐中電灯を取り出した。ディグダの来た道を照らしてみるが、全然先が見えない。
「どこまで続いているのか、ちょっと調べてくる」
「おい、待てよ。俺のカイロスは……」
 シュンは上を見上げたが、穴が深すぎてちょっとやそっとでは出られそうになかった。
「……仕方ねーな」
 シュンは、渋々ボクの後についてきた。
 シュンには悪いけど、ボクは久々にわくわくしていた。
 時々ディグダとすれ違う。彼らはどこからきたのか。どこへ行くのか。じっくりと観察したかった。
「ケンジ、ちょっと待って」
 しばらく歩いたところで、シュンがストップをかけた。
「どうしたんだ?」
「ほら、あそこ」
 シュンは前を指さした。懐中電灯の光の輪の中に、ダグトリオがいた。
「せっかく穴に潜ったんだ。1匹ぐらいゲットさせてもらうぜ」
 シュンは、モンスターボールに手をかけた。
「いけ! フシギダネ」
「ダネダネッ」
「フシギダネ、つるのむちだ!」
 フシギダネのつるのむちを、ダグトリオは穴に潜ってかわした。そして、フシギダネの足下から突然顔を出した。フシギダネは、ぎりぎりで後ろに下がってダグトリオの攻撃をかわした。
「フシギダネ、宿り木の種だ!」
 フシギダネの背中から、勢いよく宿り木の種が飛び出す。
 今度はダグトリオもかわしきれなかった。種から伸びた蔓にぐるぐる巻きにされて、身動きがとれなくなっている。
「いけーっ、モンスターボール!」
 シュンの投げたモンスターボールはダグトリオを吸い込み、静かに揺れていた。
 やがて、その揺れもおさまった。
「よし、ダグトリオ、ゲットだぜ」
 シュンは、ボクにVサインをした。
「やったな、シュン」
 そのとき、頭上にぱらぱらと土が落ちてきた。
「なんだ?」
「……もしかして、今のバトルで地盤がゆるんだのかもしれない」
 ボクたちは急いで走り出した。だが、なかなか出口が見えない。土はだんだん塊となって、ボクたちの上に降り出していた。
「シュン、ダグトリオを出すんだ!」
 ボクは、走るのをやめて言った。
「ダグトリオに穴を掘らせるんだ。急いで!」
「よし、いけ、ダグトリオ! 穴を掘って出口を作るんだ!」
「ダグ、ダグ」
 ダグトリオは、シュンの命じたとおり、穴を掘り出した。
 ボクたちは急いでその穴に潜り込んだ。背後では、土の崩れていくスピードが速まっていた。
「ケンジ、明かりが見えた! 出口だ!」
 先に進んでいたシュンが、振り向いて言った。ボクは頷いて、四つん這いのまま急いで出口に向かった。
 穴の外に出たとたん、地響きがして穴の中から土混じりの風が吹き出した。
「助かった……」
「ダグトリオ、ご苦労さん」 
 シュンはダグトリオをボールに戻し、改めて周りを見回した。
「どこだ、ここは?」
 ボクは、リュックから地図とコンパスを取り出した。
 モエギの森の東はじにあるモエギ山が、今はボクたちの西側、目の前にある。
「まずいな……」
「何が?」
「ディグダの地下トンネルを歩いているうちに、山を越えちゃったんだ」
「ダグトリオに、また穴を掘らせるか?」
「いや、それはやめた方がいい。バトルとさっき穴を掘ったので、ダグトリオはもう疲れ切ってるはずだ。無理させちゃいけない」
「じゃあ、山を越えるのか」
「それも無理だ。この山は結構険しいんだ。ちゃんとした装備も無しに登るのは危険すぎる」
「じゃあ、どうする?」
「……山の南側に川が流れているんだ。その川はモエギシティの街の中まで続いているから、川伝いに行くのがいちばんいいと思う」
「よし、じゃあ早速行こうぜ」
 気の早いシュンは、もう立ち上がっている。
 ボクも、地図とコンパスをリュックにしまいながら立ち上がった。