某国営放送が擁する某N響がブルックナーを取り上げた時、彼の「交響曲第7番」を制作者側は躊躇せず選曲した。私に言わせれば「……7番?」となる。では、「何を聞け」と言うのか。ある好楽家の提唱した理論「スケルツォの法則」を検証してみよう。
ブルックナーの交響曲を初めて聴く場合:- 「スケルツォ」と呼ばれる楽章を聴く(8番と9番ならば「第2楽章」、それ以外の交響曲ならば概ね第3楽章)。
- そのスケルツォが気に入れば、全曲を聴く(気に入らなければ、別の交響曲の「スケルツォ」を聴く)。
- ……すると、その交響曲が気に入ると思うお。
……はい、不正解! 大外れ! 私は、そのスケルツォの法則が、ぜーーーんぜん当てはまらない。抜粋してみると……。
- 交響曲第9番第2楽章……このスケルツォ自体は大好きである。ところが……。曲が悪いとは思わない。後味の悪さは「チャイコフスキーの悲愴」級とも言える。これならば、「シューベルトの未完成」の方が余程「完成している」と思われる。いや、決して悪くはないのだが。
- 交響曲第5番第3楽章……スケルツォ自体は悪くない。ところが第1主題のモチーフは先行の第2楽章の焼き直し。いや、そういう技法は確かにある(私も自作の第2交響曲第2楽章と第3楽章で、第2主題の共通化などといった事もしている)。ただこのスケルツォは全曲を通して聴くところに意味がある。というのも、交響曲第5番は、終楽章に向けてまっしぐらに進んでいく曲。スケルツォだけ聴くならば、第1楽章だけ聴いたほうが雰囲気はつかみやすい、かも。
- 交響曲第7番第3楽章……割とイイ。ところが。「……交響曲第5番と何が違うの?」と言いたくなるくらい、雰囲気が似ている(通常、この交響曲自体が、人は「第8番と似ている」と言うそうな)。そこで第1楽章を聞くと「うげっ?」となる。第2楽章の長〜い長〜い子守唄wを聞き、ボワエェェェっと鳴り響く第4楽章が終わる頃には、最晩年・指揮直後に朝比奈隆自身が楽屋で漏らしたとかいう感想が頭をよぎるだろう、「ブルックナーの7番は長すぎる」と(ちなみに物理的な長さは8番の方が長い。が主観的には7番の方が長く感じられる)。
- 交響曲第4番第3楽章……唐突に始まり、唐突に再スタートし、唐突に静かで奇妙なトリオが流れ唐突に再スタートし……という曲。悪くはない。だがフランツ・リストの酷評によれば「狩かはたまた鶏のコケコッコ」という事になる。悪くはない。だが、この曲を聴いてから第1楽章を聞き、第4楽章が終わった日には……「ん? この曲、もう終わり?」と思っても致し方なし。
交響曲8番のスケルツォについては割愛する(つか、もうイイだろうw)。
そもそもスケルツォは「諧謔曲」と和訳される。「うけけけっ」と「戯れ」るような曲、である。確かにブルックナーの交響曲はどれも長い。長い中で「スケルツォ」部分は、いずれも、「あまり長く感じない」作りにはなっている。しかし、考えても見よ。「ベートーベンの第9」と言った場合に、第2楽章スケルツォを真っ先に思い浮かぶ者がいるであろうか? 普通、例の「歓喜の歌」であろう(私のような偏屈は、第1楽章になってしまうかもしれないがw)。そもそも、「スケルツォ」を楽曲の代表選手として聴くという事自体に無理がある。では、何を聴けと言うのか。簡単。
クラシック音楽の作曲家の作品は、交響曲第5番をまず聞け
という事に尽きる。
モーツァルト(交響曲40曲以上)? ハイドン(交響曲100曲以上)?
聞く必要なし!後回し。下手に聞き始めると抜け出せなくなる。
ブラームス?(交響曲4番まで)
これまた、聞く必要なし!後回し。
何人かの作曲家の交響曲第5番を聞いたら……。
次に、その作曲家の一つ前の交響曲もしくは一つ後ろの交響曲を聞け
となる。
たとえば、ブルックナーならば4番「ロマンチック」か6番。ベートーベンならば4番か6番「田園」、チャイコフスキーならば4番か6番「悲愴」となる。
逆に言うと、
この段階に達するまでブラームスを聞くなという意味でもある。さて(まだまだ続くよ)。
次に、その作曲家の最後の交響曲を聞け
となる。
ここで、ようやくハイドンとモーツァルトということになる。ハイドンもモーツァルトも、最後(の方)の曲(ハイドンならば100番台、モーツァルトならば39・40・41番「ジュピター」)を聞けば、その作曲家の個性が、おぼろげにわかる(はず、ここまで来れば)。この段階で「ハイドンが良い」「モーツァルトが良い」となれば、躊躇せずにそちらにどうぞ。ちなみに交響曲だけでもかなりの数に上る。その中で何が良いかは後述の方法で聞いて、思い切ってその二人の大家の作り上げた大海原に泳ぎだして問題がない。
ブラームス? もう一度「交響曲第4番」を聞け。聞いた? ならば、次(まだまだまだまだ続くよ)。
次に、その作曲家の交響曲第1番もしくは交響曲第3番のうち、そこらのレコード屋・CD屋で最も入手しやすい曲を聞け
となる。
いや、実は、ここに到るまでに、すでに「あ、この作曲家イイ」「何、この作曲家、キライ」というのが(食わずぎらいながら)、大体決まってくる。正直、これ以上続ける意味もあまりないのだが。
ブルックナーならばたぶん3番(この段階で「0番」とか「無効交響曲」とか言われても解らないだろうし、通販サイトで見ない限り、「1番」はお目にかかれない、というか下手するとブルックナー自体置いていない)。ベートーベンならば1番か3番「英雄」(たぶん英雄しか置いていない)。ブラームスならば1番か3番(どちらもたぶん置いてある。どちらでもどうぞ、つか、4番を2度聞ける人ならば、どちらでも問題なく聞ける。逆に、4番を2度聞けない人間は「ブラームスなんか……」となっているはず)。チャイコフスキーならば1番か3番(しかし、チャイコフスキーの5番と4番か「悲愴」を聞いた者ならば、「チャイコフスキー・らぶらぶ!」となっているか「この甘ったるい曲、何?」となっているはず)。……で。ここで反則を一つ。ここまで来て「どれもダメだった」と言う人は、「バッハのシンフォニア1番」を聞いてみよう(今までの奴らと違って、数分で済む。つか、普通単体では存在しないので、「ピアノ曲」とか「平均律」とかで売っている。なければ、「管弦楽組曲」を全曲聴いてみるでも可)。「……やっぱり、バッハだよね」となれば、バッハ・ヘンデルあるいはバロック音楽の道へとどうぞ。つか、「ロックの音楽が好き」な人は、かなりの確率で「バッハを受容可能」という説があるので留意しておいて良い。
さて、ここまで来れば、どんな阿呆でも、各作曲家に対する自分なりの感想が持てる(はず)。さて。最後に今日ならではの方法。
Wikipediaで作曲家の作品一覧を表示させて、「気になった・良さそう」と感じた交響曲を聞け
となる。
ここで、ようやく、「試聴可能」な通販サイトが利用できる。ちなみに、「試聴可能通販サイト」の「試聴できない」CDは、一般に「ヒドイ」「メタメタ」「金返せ」「小学校から出直せ」というシロモノと見て間違いがない。