2010/10/06 追加
erudition-0064
ジェッディン・デデン……お経にも聞こえる歌の中身

試訳:
1.
ジェッディン、デデン、ネスりン、ババン      先祖も 祖父も 子孫も 父も
ジェッディン、デデン、ネスりン、ババン      先祖も 祖父も 子孫も 父も
ヘプ カはラマン テュルク ミッれティ      全ヒーローたる トルコの国民よ
オルドゥーらルぇン、ペクチョク すザマン     汝の軍団たちは あまた時代を超え
ウェルミシティれー デュニャヤ シャーン     世界に栄誉を轟かす
オルドゥーらルぇン、ペクチョク すザマン     汝の軍団たちは あまた時代を超え
ウェルミシティれー デュニャヤ シャーン     世界に栄誉を轟かす

2.
テュルク ミッれティ、テュルク ミッれティ    トルコの国民よ、トルコの国民よ
テュルク ミッれティ、テュルク ミッれティ    トルコの国民よ、トルコの国民よ
アシク イれ セウ ヒューリイェティ       汝の自由を享受せん
カはレト ワタン デュシマヌぇヌぇ        汝祖国の敵を打ち負かし
チェクシン オ メるーンすジーっれティ       かの敵に絶望を与えん
カはレト ワタン デュシマヌぇヌぇ        汝祖国の敵を打ち負かし
チェクシン オ メるーンすジーっれティ      かの敵に絶望を与えん


Wikipediaの和訳と異なる点など:

  • どうでも良いことであるが、トルコ語のCは「ヂャ行」に近い発音になる。
    Ceddin Dedenで「ジェッディン・デデン」となる。
  • これまたどうでも良いことであるが、ヒゲ付きC・S、ウムラウト付きUなど
    互換性の関係で正式なトルコ文字を打つと少々問題がある。トルコ文字を考案されたケマル・アタチュルクには申し訳ないが
    (そう、あの人が自分で文字を考案してしまった! しかも、トルコ人に非常に解り易く……)
    蘊蓄の上塗り1:
    ちなみに、ケマル・アタチュルクがローマ字もどきのトルコ文字を作る前までは、アラビア文字風にトルコ語を書いていた。
    それは想像を絶するほど「しんどかった」はずである。
    中近東付近の言語は古来、「子音を重視する」ものが多い。つまり、母音文字が書かれない場合がある。
    一方、トルコ系諸語は、「母音調和」が大原則。
    もしもイスラム教徒に「コーランの詠唱」という習慣がなければ、アラビア風トルコ文字は、極めて簡単な母音文字しかなかったはずである。
    というのも母音調和の規則があるので、少ない母音文字で多くの母音を表現することが可能なはずである。
    トルコ人自身は「多少しんどい」ぐらいで済む。問題は、ウラル・アルタイ語族
    (トルコ系諸語とフィンランド系諸語を含む)以外、母音調和という習慣のない言語出身者はトルコ語学習にかなり支障を来しかねない (フランス語や英語の字母で色々な母音を表現するよりも、複雑な場面を想像されたい)。
    幸いなことに、イスラム教はコーランを詠唱する。きわめて精神性の高い詠唱という行為には、正確さが要求される。
    アラビア語では文字ではなく母音記号で正確になるよう考慮した。つまり、コーランには「詠唱できるよう」配慮がなされている(読めれば)。
    だから、何とか(発音体系が異なるのでかなり苦労するが)アラビア風トルコ文字で書いてかけないではない状態になったのである
    (ただ「下々」には難しいので、ケマル・アタチュルクが「えいやっ」と文字を作りなおした←そっちのほうが解りやすい、のであるが)。
    蘊蓄の上塗り2:
    ちなみに、現代ウイグル語(トルコ語系)は、もっと錯綜している。アラビア・ペルシャ文字を輸入、独自改良した。
    ところが、一時期、中国ピンイン風のローマ字が制定される。しかし、使い勝手が悪かったのか考えた人間がケマル・アタチュルクほど賢く強くなかったのか
    (両方かw)すぐアラビア・ペルシャ式ウイグル文字に戻ってしまった。
    だから、右から左に書く書類と左から右に書く書類が混在するという事態になっている。
    さらに問題は、ウイグル語を話す人々の住む場所である。ロシアと中国(しかも「新疆」自治区)の間。
    当然ロシア側はキリル文字風(ということはキリル文字風モンゴル文字に似たよう)に書く。
    さらに問題は、「新疆自治区」は猛烈な勢いで「漢化」がなされていることである。
    ウイグル語の行く末は、今後さらに混迷を深めることが予想される。
    蘊蓄の上塗り3:
    これがウルドゥー語(パキスタン公用語)となると話がさらに錯綜する。アラビア→(トルコ)ペルシャ→パキスタン。
    問題はヒンディー→パキスタンという流れもある所である。ということで、ウルドゥー語の文字には、
    アラビア・ペルシャ・ヒンディーと三か国語の発音を吸収した分量の文字がある。
    それだけ文字が複雑でも、文法的には、おそらく、トルコ語やアラビア語よりは易しい(易しさではペルシャに負ける、かも)。
    おそらくヒンディー語のデーヴァナーガリ文字あたりを応用すれば比較的簡単にウルドゥー語もペルシャ語も書けるはずであるが、
    イスラム・アラビア語というくくりから、こればかりは致し方なし。
    当サイトはハーチェクなどを一切書かないと明言したので、トルコ語をカナ書きする。
    • 文中の「かな書き『ら』行」はL発音を意味する。
    • 文中の「かな書き『は』行」はHの子音を意味する。
    • 文中の「カナ書き『ラ』行」はR発音を意味する。
    • 文中の「ュ」はウムラウト付きのUで口を丸めたイ(独仏語で出てくるアレと思えば良し)。
    • 文中の「ぇ」は、U(口を丸めたウ)ではなく日本語の「ウ」に近い発音を意味する。
    • 文中の「す」は直後の音がZ(上あごを舌で弾かない!)であることを意味する。
  • ジェッディン(ceddin)はアラビア語由来で「祖先・おじいさん」となる。デデン(deden)は祖父(父・母の父)・何代も前からの祖父。ここで切ると、全然言葉が分からない。文章はまだまだ続く。
  • ネスりンは、これまたアラビア由来で子孫・世代の意、まだまだ続く。
  • ババン(baban)は「父の・に(接尾のnが微妙であるが)」となるので、「父も」の語を入れた。で、文章は、まだまだ続く。ただし、悠久の「ずーーーーーーっと続いてきた」「男系世代」の「おのおのがた」に呼び掛けている言葉である、ということが分かり始める。
  • ヘプ(hep)も微妙な言葉。「すべて・皆・いつも」であるため「全」とした。
  • カはラマン(kahraman)は「勇猛な」という形容詞ではなく「勇士」「ヒーロー」という名詞。
  • 「テュルク ミッれティ(milleti)」トルコとかトルコ国家とか訳されているが、正しくは「トルコ人・国民」と なるはず。milletiには国民・国立・国会……といったニュアンスがある。で、ここまでで「ずーーーーっと何世代も続いてきた、君たち誰もかもがヒーローであるトルコ国民たちよ」という呼びかけであることが、ようやく分かる。
  • 「オルドゥーらルぇン」は複数形である。「軍隊」よりも明確に「軍団たち」と訳してみた。
  • すザマン(zaman)はアラビア語(ザマーン、「時間」)に由来。「多くの時間」は慣用句で「何回も」などと訳しうるはずであるが、
    古文っぽく、またウイグル語を借用してきて、「あまた時代を超え」などと曲訳してみた。そうでもしないと「祖先も父も」ではニュアンスが通じにくいと思ったからである。
  • デュニャヤもアラビア語由来(duniyaドゥニヤー「現世」定冠詞つきで「世界」)。
     なお、日本語の「世界」は本来、仏教用語。
  • シャーンは「名」ではなく、「名誉」の意。ちなみに「シャンるぇ」で「名誉ある」と形容詞になる。
    「名誉」のほかに「栄光」の意もあるので、ここは「栄誉」と訳してみた。
  • ワタン(vatan)はアラビア語由来(watan)。問題は、「ワタン デュシマヌぇヌぇ」の句。
    どちらかというと「祖国の敵を」よりも「祖国よ汝の敵を」に近いと思うので、
    ここは「汝祖国の敵を」とした。ちなみに、この「敵」の語は、単数形である。いかなる理由かはしれないが。
  • オの代名詞は単数形(単数形の「敵」と対応している)。したがって「奴等に」ではなく
    前掲の「敵」の語と合わせて「かの敵に」と訳してみた。
蘊蓄の上塗り5:
#まだやるかw。
映画「アマデウス」によるとモーツァルトは歌劇「後宮からの逃走」をドイツ語で作曲しようとしていた。
「ドイツ語? 論外!」
と周囲の宮廷音楽関係者。「ドイツ語は(きちゃなくて)オペラに相応しくない」とのことで。
蘊蓄の上塗り6:
ドイツ語の詩は、基本的に行単位で「強弱強弱……」アクセントで作られる。
シューベルトの「野薔薇」ならばみーたーりー……となる。……という法則を遵守(墨守?)すると言語的な美醜はともかく、メロディーは作りにくいはずである。
……「大体、トルコ帝国の宮廷を舞台とするのに、なぜイタリア語でなくて、ドイツ語なのだ?」
と言われてモーツァルト(映画では)応えて曰く、
「ならばトルコ語でもイイっすよ、ヒャハハハハ(バカ笑い)」
やれるものならやってみろ、とか思うのは私だけだろうか?
ポルトガル人のルイス・フロイスあたりが日本にやってきて「日本語は悪魔の言語だ」(つまり、それだけ難しい)などと嘆いている。
実は、トルコ語というのは、その日本語に良く似ているのである
(ちなみにトルコ語のほうが、日本語よりも少し難しい)。
いかに天才・神童モーツァルトとはいえ、少し無理ではないか??
ちなみに1200年代のフリードリヒ2世(ホーエンシュタウフェン家)ならば、出来たかもしれない。
シチリアの王様のこのかた、あろうことか、アラビア語を理解したから。
トルコ語も出来たかもしれない。
ちなみに、「トルコ語で『後宮からの逃走』」という理論に従えば、ヘンデルは中世ペルシャ語で「セルセ(クセルクセス)」を書かねばならぬはずである。
ちなみに、ギルバート&サリヴァンのオペレッタ「ミカド」には「ミヤサマミヤサマ」とか「鬼・ビックリ・シャックリと」とか
無意味な日本語が飛び出す。
……蘊蓄はこの辺にしておきませう、ヒャハハハハハ(←アマデウス風バカ笑い)wwww。

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