(ピアノの演奏による反響でガラスを割る事は)ピアノの弦(を)切るよりマシですね
上記は、本ページの表ページ蔵書表の十野七『放課後のピアニスト』主人公「響レミ」のセリフであるが。「響レミ」なる人物は実際にピアノの弦を飛ばした事がないか、あっても作者「十野七」氏の力量不足のため伝わらないか、いずれかであると思われる。
比較として上げるのは(拙著で心苦しいが)我門 隆星『熱情王(デト・トネドラ)の生涯』の主人公トロウスに関しての言及である。
ファルク(=ピアノに該当)の演奏時は激情的な鍵盤の操作により弦を弾き飛ばす(切れる、などという生易しいものではない)。
さて、いずれにリアリティの軍配が上がろうか?
まず、ピアノの弦が「切れる(跳ぶ!)」事をするには、ピアノという楽器の力学的メカニズムを知る必要がある。
- 弦を、思いっきり引っ張る。どれぐらいの強さで引っ張るかと言うと、アップライトピアノ一台を、弦一本で釣り上げられるぐらいの(弦そのものも張力そのものも)強度である。
- 鍵盤を押す。押した強度に応じて、綿みたいな道具(ハンマー)が張りつめた弦をポンとたたく。
- たたかれた弦が「ぽろん」と音を出す。
……当然? ところが、ここに、「共鳴」という問題が発生する。
音は空気の振動である。幸か不幸か、楽器というものは空気を振動させて、音を出す。ところが、震動は、金属疲労も引き起こすのである。
そして、弦(ピアノの弦は金属製)の耐久度を超えた振動が加わった時、破断が起きる。金属の破断、それは「切れる」というよりも「破れて」「断たれる」という現象である。そして、「破断」した弦はどうなるか?
弦は張力から解放される。張力から解放された弦は、切り口を上に、「ばいぃぃーん」と跳躍するのである。アップライトの場合は、少し飛び跳ねた後、弦と弦の間にからまる事が多い。つまり、切れた弦を張り替える際、ずるずるぅっと引っ張って(その際、あちこちの弦を「がらがらぱらぱら」音を鳴らしながら)弦を引っ張りだす事になる(上から「しゅるしゅる」と引っ張れば、簡単に引き出せる)。一方のグランドピアノの場合、弦の下に潜り込む事はあまりなく、並んだ弦の上にだらしなく横たわっている。
ピアノの弦が「切れる」のは、以下のような場合である。
- スフォルツァンド……一時的にきわめて大きな音を叩いた。ちなみに、私の場合、70%近くが、このケースとなる。ハンマーの力に共鳴の力・金属疲労の三拍子が揃って、弦はめでたく、弾き飛ばされる。
- 純粋な金属疲労……ある日突然、「ぽん」と叩けば、なぜか弦が飛ぶ。……このケースは、きわめて珍しい。理論的には発生しうる。金属疲労による破断は、ある意味、運に左右される事がある。非常に年老いたピアノ(しかも湿気の多い場所に置かれた物)は、弦をいつ飛ばしても不思議はない。ただ私の経験からすると、このようなケースは極めて稀である。私自身、「スフォルツァンド」もしくは後述の「初期不良(?)」のケースしか経験していない。……私の経験不足? それは否定しない。一日8時間練習するような酔狂な真似はしていないし、ピアノの耐久試験をやったわけでもないからである。
- 「初期不良(?)」……実は、どの作家・評論家も、このケースを無視している。これは、アップライトで発生するかどうか、未検証である。したがって、グランドピアノに限られるかどうかは、定かでない。一般に、出荷したてのグランドピアノは、共鳴板と弦が、まだなじんでいない。つまり、買いたてのピアノは、「過度に響く」ことがある。「過度に響く」すなわち振動が強すぎると、想定外の力が弦に加わることとなる。つまり、買いたてのピアノでグリーグのピアノ協奏曲を弾いた日には……第一楽章のカデンツァの部分で「ばしぃぃぃぃん!」と弦が跳ぶ事にもなりかねないのである。
さて。『放課後のピアニスト』には上記ケース2「純粋な金属疲労」によるグランドピアノの弦の破断が描写されている。その描写が正しいかどうか、検証して本ページを終ろう。
- 顧問教諭がピアノの鍵盤を「ぽん」と叩く。
- 「ばつん」と音がする。
- ピアノ本体から無言で揺れている、破断した弦。
……いくつかの誤りがある。
まず、「ぽん」と叩いてから「ばつん」という音が出るように描写されている。これは、漫画の制限でいたしかたないが、実際には、「ぽバツーン」という感じになるはずである(パイプオルガンと異なり、ピアノのキー操作と実際の音が発生するのはきわめて短期間で済む)。
実際にはピアノの弦の素材の相違により、高音部・低音部で微妙に「破断の際の音」が異なる(私はほぼ全音域で、まんべんなく弦を飛ばしている)。
高音も低音も、「ばしぃいいいん!」に近い音がした。なお、隣の弦に触れて何らかの音が発生しているはずではあるが、「他の音」は「切れた音」に紛れて聞こえにくいことの方が多かった(というか、「スフォルツァンド〜!」という意識が大きいので、そこまで気が回らなかった)。
また、破断した弦が直立して揺れているような描写があるが、それはやはり漫画の制限というものであろう。実際は、おそらく、重力に抗しかねて、弦の上にだらしなく寝そべっているはずである。ちなみに、そのまま弾こうとすると、破断した弦が他の弦にかかっているため、ほぼ全部の音に雑音が入る。
そのまま演奏を強行すれば、「本気モードではない響レミ」が演奏するよりも「物理的に極めて汚い」音が発生する。
通常は、調律師(+メーカー)の後学のため、「破断した弦はそのままにしておくよう」要請される。
ところが、それをやると、ピアノの演奏は調律師(+メーカー)が該当の弦を張り替えるまでピアノを触れなくなってしまう(下手に触ると、「物理的に汚い」音が出る)。
……予備のピアノを買え?
それは無茶というもの。ではどうするか?
私の母は、「簡単」と言わんがばかりに、工具を取り出した。そして、おもむろに破断した弦の残骸をペンチで切り取り、取り除いたのである。
「しばらく注意してね」
と言って。そう、破断した弦の残骸を取り除けば(そしてパワーを十二分にセーブすれば)ピアノの操作続行が可能である(ピアノは一つの音に2〜3本の弦が張ってあるため、一本破断したとしても、とりあえずの操作続行が可能である)。
「……今月はまた多いですねぇ」とメーカー。
「てへw」と私。
……てな事を、学生時代の私は、よくやらかしたものである。
(……とりとめもない回想になってきたので、とりあえず)以上。