たいしたことのないこと / つれづれにぽこあぽこ

ミス○○

2003.06.20

 なんでもミスユニバースに日本人が入賞したらしいですね。 宮崎京さんが5位入賞でしたっけ?

 個人的にはあまり興味がないのですが、 こういうときに思い出すのが 「外見だけで女性に優劣をつけるような催し物は反対!」 と称える集団ですね。 でも、このように何かに反対する集団は、たとえば 卒業式では国旗・国歌に反対するけど、 オリンピックやワールドカップでは反対しない というように、 「催し物の規模が大きくなると反対できない」 の法則があるようなので、 団体の主張はもっぱら地方の「ミス○○」などに向きがちです。

 さて、ここで、 外見で人間(特に女性)に優劣をつけることはそんなに悪いことなのか?  ということについて考えてみましょう。

 私は、上記反対集団は大切なことを忘れているような気がするのです。 つまり 「世の中には外見はすごい自身があるけど、 内面には全く自信がない」人もいるという可能性。これです!

 反対集団は「外見でなく内面で評価しろ!」と言いたいのでしょう。 でも、それは内面にある程度自信のある人の言い分ではないかと思うのです。 己の武器が外見しかない人の自己アピールの場を奪う権利はないはずなのです。

 そもそも、 外見の魅力というのはパッと見てわかる、派手でわかりやすいもの。 でも、時間とともに薄れていく。言うなれば花火のような魅力です。 それに対して内面の魅力というのは、 派手ではないけれど、 触れてみると気づいて、じわじわと効いてくる。 時間による衰えが少なく(または全くなく)、 どんどん磨いていくこともできる。 例えて言うなら、適切ではないかもしれませんが、 「湯たんぽ」みたいな魅力でしょうか?(意味わからない?)

 魅力の種類が全く違うので、 当然、それを発揮する場も違うでしょう。 派手でわかりやすい魅力は、派手でわかりやすい場で、 大勢の人に向けてアピールすることができるのに対し、 地味だけどぽかぽかと温かい魅力は派手な場でアピールできるものではありません。 でも、その人の近くにいる人がしっかり評価してくれるはずです。

 あ、内面的な魅力でも、 知性ってやつは派手に表に向けて出すことができますね。 もちろん「ミス○○」とは全然別の世界でアピールすることになりますけど。

 ある人が持っている(世の中を渡っていくための)武器のひとつに「外見」があります。 それ自体は正当に評価されるべきで、 他人がとやかく言うことではないのではないでしょうか?  「外見」は人が持っているたくさんの魅力のうちのたったひとつなのです。

 どちらかというと、 外見の魅力をアピールする場が少ない、 つまり「ミスター○○」という催し物が少ない男の方が不利かもしれません。 (まあ、市場原理の問題でしょうがないけど)

 あ、もちろん「ミスター○○」なんて催し物があっても私は出ませんよ。 男を外見で判断するような催し物なんてとんでもない!


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