東アジア圏

報告者:瀬戸・河崎

課題図書

①田中史生『越境の古代史』
②比嘉政夫 『沖縄からアジアが見える』
  ③ 松尾龍之介『長崎を識らずして江戸を語るなかれ』
④坂本龍彦 『孫に語り伝える満州』
⑤加藤聖文『「大日本帝国」崩壊』

課題図書の紹介

①田中史生『越境の古代史』序:★★★破:★★急:★★
本来なら今回の課題本。学校で学ぶ日本史のように「現在の日本」という枠の中で日本史を捉えるのでなく、「人の交流」により古代東アジア史を検証していく。
 この本は後述する『「大日本帝国」崩壊』と同じように現在の「一国史」理解の危険性を指摘し、朝鮮半島、また中国も含めた関係性の中で倭の歴史を叙述していく。特にこの本では朝鮮半島の情勢変化に強く注目しており、その中で各国が倭に対してどういう政策をとり、それが倭の内政にどう対応するのかというのを丁寧に描いている。
 基本的に叙述内容も納得できるものが多く、日本史を学ぶ上で突然出てきていたような事件に対しきちんと正面から考察を加えようとしていると思う。一つの仮説としてとてもおもしろく読める本であった。

②比嘉政夫 『沖縄からアジアが見える』序:★★破:★★急:★
本書では、沖縄と日本・中国・東南アジアとの関係について著者が実際に体験したエピソードを多く交えつつ著されている。著者は沖縄に関する研究を専門とする社会人類学者・比嘉政夫である。ジュニア新書として出版されているためか、平易な語り口で非常に読み易い一冊となっている。
 一方で冗長な語り口という印象を受ける読者も少なくないかもしれない。ただ、琉球の島々は、東シナ海の南北に、あるいは東西に通り過ぎていった様々な文化の通り道としての役割を果たしてきた。このため、著者は琉球の島々の文化の一つ一つにはアジアの文化を探る上での糸口が潜んでいると考えている。その意味で、社会人類学者としてのみならず一沖縄県民として日本、中国、東南アジアにまで影響を及ぼす琉球の文化を幅広く紹介した本書は青少年が「アジア」を理解するに際して意義のあるものだと言えるだろう。

③松尾龍之介『長崎を識らずして江戸を語るなかれ』序:★破:★★急:★
本書は江戸時代における「長崎」の影響力の大きさを具体的な長崎への遊学者の例を挙げながら強調して描いていく。まず、序章で「鎖国」はあくまで江戸時代後期に生まれた概念であり、実際には文化の交流があったことを志筑忠雄の例をひきながら述べる。そして第一章から第四章までで幕府のとった「外交」策とその舞台であった長崎について叙述し、最終章では長崎を訪れた遊学者をあげていくといった流れで展開する。
 だが、印象的なタイトルと比べて物足りなさを感じた。「鎖国」概念の説明はもう使い古されているように思えるし、本人が長崎出身ということもあり、長崎に過度に肩入れしているような印象も受けた。というのも本書の大部分においては長崎というより「江戸」の幕府がとった外交策について述べており、単に長崎は外交の主要舞台であったという印象しか受けないからである。また、対馬の宗氏やさつまの琉球支配について全く言及なく、単に長崎しか触れていないということに違和感があった。
 とはいえ、私も長崎出身ということもあり、長崎が最終章で列挙されている数々の遊学者を生み、またそこから各地に文化が伝播されていったという説明は少し誇らしさを感じるものであり、客観的に見ても一定の説得力があるように思われる。

④坂本龍彦 『孫に語り伝える満州』序:★★破:★急:★
本書は、その表題通り、著者が自分の孫に手紙を書くという設定で自らの満洲での体験とそこでの様々な想いを語り伝えるものとなっている。著者は、満州で第二次世界大戦の敗戦を迎え、その後新聞記者となった坂本龍彦。『沖縄からアジアが見える』同様岩波ジュニア新書であり、語り口は平易であるが、著者の過酷な経験が赤裸々に語られており、満洲をめぐる歴史を見つめ直すうえでの重要な一冊である。

⑤加藤聖文『「大日本帝国」崩壊』序:★★破:★急:★
⑤結果的に今回の課題本となった。これもいわゆる「現在の日本」でない立場から歴史を捉える試みであり、具体的には日本が第二次世界大戦前に作り上げていた「大日本帝国」の1945年8月15日に着目している。各地域における現地の人々と在留日本人それぞれについて丁寧に描いている部分に好感が持てた。
 とはいえこの本は歴史書であり、筆者の主張は終章にまとめられており、これまでの「日本史」に対して疑問を投げかけている点に『越境の古代史』との類似性を感じた。昨今大きく叫ばれる「正しい歴史認識」のためにこれまでの一国史を超克した広く深い歴史の理解が必要だと筆者は述べているが、個人的には正直この本が描くほぼ五年以内の歴史を追っていくのも大変だったし、草の根レベルでの歴史認識の共有は不可能じゃないのかな、とも思った。
⑤本書は、「大日本帝国」が崩壊した1945年8月15日当日とその後の期間に、日本・朝鮮・台湾・満洲・南洋群島・樺太の各地域において、「大日本帝国」の権威が如何に崩壊し、新しい政治体制に移行していったかを描いた一冊である。著者は、近代以降の東アジア国際関係史を専門とする歴史学者・加藤聖文である。
中国において日本軍が何をしたのかや、朝鮮や台湾で日本がどのような植民地支配を行なったのかを知ること、ではなく、第二次世界大戦中及び大戦直後の時期に日本列島、朝鮮半島、中国大陸で起きた出来事を自身の歴史として受け止めようとすることが、正しい歴史認識を持つために重要であるという筆者の持論が適切に反映された書になっていると言える。
大戦後70年弱が過ぎた現代においても、東アジアにおける歴史認識の対立は各国間で避けて通れない問題となっている。当時の東アジアにおいて少なからず大きな影響力を持っていた「大日本帝国」の崩壊を受けて諸地域で起こった出来事を正確に理解することは、東アジアの将来を担う若者にとっては必要不可欠なことであろう。


コメントⅠ

今回取り上げた新書は東アジアの相互理解の必要性を謳い、その一方で現在の歴史理解に対して疑問を呈するものが多かった。東アジア、特に日本と中韓との関係は領土問題や戦後賠償問題などが争点になる中、民間レベルでも大きく悪化しているように思える。今回はこのような問題に深く踏み入ることはしない(したくない)が、一人ひとりが個人レベルで東アジアの国々に対してどのような感情をもち、どのように理解しているのか話してみたい。
 また、Ⅰや書評に書いたこととも共通するが、歴史教育には他の科目との兼ね合いなどから必ず限界がある。一部を恣意的に抜き出して子どもたちに“正しいもの”として教える虚構が歴史であるという考え方もあるだろう。ここで問題となるのはどう抜き出すか、なにを優先するかという問題だろう。
 私も「正しい歴史認識」の共有は対外関係の改善のための一つの有効な手段であると思うし、もし可能ならば教育によって実現できたらいいなとは思うが、どのように教えるべきか、時間が足りるのかということに対しては疑問符がつく。また、歴史自体が解釈するものでしかない以上、そもそも認識の共有は果たせるのだろうか。 (瀬戸)
東アジアの歴史を様々な視点から捉えた5冊であった。
 「東アジア」をひとまとめにして捉えようとする①、⑤と特定の一地域を出発点にその地域と他地域の交流を捉えようとする②、③、④に分かれる。また、②、④、⑤については現代においても「歴史問題」として扱われることの多い地域及び時期の歴史に焦点を当てている特徴も持つ。
 東アジアや、その中の特定の地域の歴史に改めて目を向けることの意味について考えたい。個人的には、特に複数国の絡む歴史について完璧な共通認識を持とうとする試みには限界があると思う。しかしそれでもなお⑤の筆者加藤聖文が述べているように、日本のみならず朝鮮半島や中国大陸で起きた出来事をも自身の歴史として受け止める姿勢は、最低限の共通した歴史認識を形成する上で少なからず必要なものだと感じる。(河崎)

 

コメントⅡ

東アジアは歴史上長い間強く結ばれており、現在も貿易などで深い関わりがある一方で、EUのような地域圏化は進んでいない。この背景には政治体制、主義が異なること、台湾や北朝鮮の位置づけが未だにはっきりしていないことなどがあるが、中韓の市場経済のもとでの経済発展などで共通法や組織を作る機運は高まってきている。そのためには歴史問題や対外感情などの障害を乗り越えなければならない。現在もASEANとの協力やFTAなどで経済から統合を進めようとする動きがあるが、その中で乗り越えなければならない問題として他にどのようなものがあるのだろうか。(瀬戸)
 東アジアで共通法を形成しようとする動きが近年日中韓の研究者たちを中心に起こっている。東アジアの国々を「漢字文化圏」と捉えたとき、欧米起源の法体系を受容するにあたっても明治維新以降の日本による翻訳作業が中国や韓国の法体系の樹立に大きな影響を及ぼしている。こうしたことから「東アジア」という括りの中で共通の法体系を持つことが可能であるというのが研究者らの主張だ。
 このような共通法体系を持つことの意義は①で述べられているところの西嶋定生の東アジア世界論や石母田正の国際的契機論からも裏付けることができる。私自身は、歴史に関する共通認識と同様こうした共通法体系を東アジアの国々の間で持とうとする試みには限界があると考える。東アジアを一括りにする考え方を持つこととそれぞれの国にはそれぞれの文化・制度や考え方があることのバランスの取り方が重要ではないだろうか。(河崎)

ディスカッションの概要

 前半部分では東アジアの歴史認識について議論した。現在かなりホットな話題でもあり、各々が自分の考えを持って発言してくれた。結論としてはやはり“分からない”ということだったが、それを認識すること自体に意味があったのではないか。
 “分からない”という結論に至った議論だったが、共有できたこともある。特筆したいのは対立の歴史に固執してしまうことに対しての危機感の共有である。これについてはそもそも歴史教育が邪魔になるという意見から昔のことを昔のこととしてきちんと知る事こそが重要という意見まであったが、いま現実にいる一人ひとりと向き合うことが重要なのだろうなと感じた。また、実際に他の東アジアの友人と議論したことがある経験をもとにして我々が日本人として持つ認識に疑問符を投げかける参加者もおり、様々な視点からこの問題を捉えることの必要性を感じた。他にも戦後史の教育が日本では疎かになっているという意見も出され、現代史を著す難しさについては大村先生にも意見を頂いた。
 一方で東アジアと仏独の比較やインドネシアと中国の対日感情の違いなど結論が出なかった部分もあり、これからの課題としていきたい。
 後半では東アジアにおける共同体の実現可能性について議論した。共通法を前提とした問題提起だったが、EUとの比較などを通して実際は“法”の問題ではなく、“政治・経済”的状況に左右されるものではないか、という意見で一致した。ここでは初めに共通組織を作ること自体が相互理解を生む契機になるのではないかという意見も出され、共通の歴史教科書の可能性についても議論が交わされた。結論はやはり難しいのでは、というものだったが、各々が東アジアについて独自の意見をもっていることが確認できた。
 最後に大村先生が議論をまとめてくださりました。その中で歴史や部分的なものが積み重なる認識の共有の難しさについて自らの経験ももとにして触れてくださり、簡単に解決する問題でないからこそこれからも考えていきたいと感じました。また、法の共有については法学者の観点から意見を頂き、欧米の勢力争いなど学生の立場ではなかなか知ることができない現実を知ることができた。
※今回の議論で多く挙がった“歴史とは何か”という問題については 遅塚忠躬 『史学概論』(東大出版会、2010年)が参考になるようです。