8 恋愛

報告者:近藤、井上

課題図書

①中村隆文『男女交際進化論「情交」か「肉交」か』(集英社新書、2006)
②田中優子『江戸の恋―「粋」と「艶気」に生きる』(集英社新書、2002)
③牛窪恵『「エコ恋愛」婚の時代―リスクを避ける男と女』(光文社新書、2009)
④清水孝『裁かれる大正の女たち―〈風俗潰乱〉という名の弾圧』(中公新書、1994)
⑤ミュリエル・ジョリヴェ『フランス 新・男と女―幸福探し、これからのかたち』(平凡社新書、2001)

課題図書の紹介

①中村隆文『男女交際進化論「情交」か「肉交」か』(2006) 序★★★破★★急★
『明るい男女交際』のように生徒手帳に登場し、淡く初々しい学生時代を思い起こさせる「男女交際」という言葉は、もとは福沢諭吉が文明の進展のために掲げたものだった。本書では、明治期から大正にかけて男女交際が社会通念として成立する過程と並行して、上流階級に色濃くあった男尊女卑文化が徐々に変遷し、女性知識人層が出現するまでを描いている。
 第一章では、男子学生にあたる書生には遊女と遊ぶか(軟派)、学生同士の同性愛(硬派)しか選択肢がなかった。第二、三章では、福沢が男女同権や風紀改善のために「肉交」と「情交」が均等な男女交際を唱える。一方で女学校が成立し、教会で男女が出会う場が成立する一方で「肉交」は嫌悪され、精神的な「清潔なる」男女交際が奨励されることとなる。基督教に脅威を覚えた仏教界も、五障三従の教義を改め女子教育に乗り出す。第四章では理論・文学としても恋愛精神論がもてはやされるが、第五章の恋愛哲学にとって代わられる。第六章では、根強く残る「学問をするのは嫁に行けないから」という偏見を覆し男女同権を達成すべく奔走する、オールドミス改め「新しい女」たちへの視線の変化を論じている。筆者として何か判断を下している本ではなく、現代とあまりに違う当時の常識を認識することができる。(井上)
 
「男女交際」という言葉には、いろいろな印象を持つ人がいて、決してその意味は辞書を引いても分からない。けれどなんとなくみんながこんなもんだよね、と想像する男女交際のイメージはある。そういった男女交際のイメージがつくられていく、過程を明治から大正にかけて考察した一冊である。明治以前にはそもそも「男女交際」なる言葉はなかった。それ以前の男尊女卑の世界では、恋愛は「硬派(男子学生同士)」と「軟派(遊郭での買春)」であった。そこから、明治の初めに福沢諭吉が男女同権の考えから、両者が対等の「男女交際」という言葉を作り推奨した。キリスト教への仏教の対抗から女性の知識人も増え、次第に女性の社会的地位が上昇していったが、未だに、知識人階級級の女性を疎む風潮も存在した。一方で、男女平等の恋愛でもその中心が「情交(精神的触れ合い)」なのか「肉交(肉体関係)」なのかという議論も起こった。そして、「情交」が中心であるという議論の中で、徐々に知識人女性が「新しい女」としてその地位を確立していった。現在の恋愛観が当然のものでないことを気づかせてくれる本でした。(近藤)

②田中優子『江戸の恋―「粋」と「艶気」に生きる』(2002) 序★破★★急★
 本に対して、それ以前の江戸の恋を各論的に紹介した本。テーマごとに、恋の手本、初恋、恋文、心中、めおとなどの章からなる。①では、江戸の恋は男尊女卑の暗い恋であるかのような印象をうける。しかし、この本では「江戸には恋があふれている。」と語られる。その恋とは、真剣なのにどこかでふっと肩すかしの「粋」で、地に足がついていない現実世界からはぐれている「艶気」な恋であるという。階級社会かつ男尊女卑の、恋をするにはいろいろな障害のある時代だったかもしれない。しかし、恋をしている自分を冷静に眺め、いつか必ず別れがやってくると覚悟しながら、それでも冗談っぽく楽しむ江戸の恋をたたえる本。  

③『「エコ恋愛」婚の時代 リスクを避ける男と女』(2009) 序★★破★★★急★
 車やおしゃれに力をいれ、告白し、交際してもどっぷりはまらない。そんな恋を「草食系男子」などの言葉を作った筆者は「エコ恋愛」と呼ぶ。そして、筆者は恋愛と結婚を分け、結婚を夫婦で効率よく生活をし、共に子作り・子育てするための便利なシステムと考えると、そのように、大恋愛をしようとするのではなく、婚活をし、ネットやお見合いパーティーで手軽に結婚しようと考えるのは、合理的な選択であるという。それについて筆者は経済統計などと結婚率などの関係を根拠に、経済的に豊かな男性がやはり、結婚だけを考えれば有利などと説明を加えている。そして、少子化のなどについてもこういう現状を認めたうえで、対策を考えるべきだという。

④清永 孝 裁かれる大正の女たち (1994)  序★★破★★★急★★★
 ①の本に続く大正時代に出現した「新しい女」たちは、風俗潰乱を恐れる当局が広告や演劇を厳しく規制する中、抑圧された日々の憂いを雑誌に投稿するなど社会に波を起こす。忍耐と辛抱・か弱さとたおやかさを婦女の徳とする知識人や新聞は、これに激しく反発した。その批判は服装や妻の化粧にまで及び、軍国主義体制下の統制に近付いていく。男女同権など理屈が通らぬ、不倫は女性側が悪いものだ、女子教育とは女性が良妻賢母となるよう「無学な低級者」に育てるものである……など当時の言説やその裏にある男性上位社会の根深い思想を、筆者は読み取り、民主主義へ向かう庶民のエネルギーと対比させて鋭く批判する。

⑤ミュリエル・ジョリヴェ フランス 新・男と女 (2001)  序★★★破★★★急★★
 副題は「幸福探し、これからのかたち」。カトリック教徒の多い国でありながら1999年にパックス制度を導入し、同性カップルの地位と共に「結婚しない同棲カップル」の権利を認めたフランス。これを選ぶのは結婚の失敗を恐れる気持ちからもある一方で、結婚を男性が女性を利用し続けるためのシステムだと感じてきた女性たちにとって革新的な意義をもつものだった。また、子供をもつことを絶対でなく人生を豊かにする選択肢の一つと捉える発想は、子供のために結婚していたと彼らが考える親世代へのアンチテーゼであるように映る。幸福を掴むために自由を求める男女の結婚、子育て、家事、扶養などに対する価値観を、インタビューを通して知ることができる。

コメントⅠ

5冊とも、時代を経て変化するものとして恋愛観を捉え、経済社会の変遷と関連付けて論じている。時代を追って②江戸①明治④大正③現代日本、および⑤現代フランス、と並べることができるだろう。ここで、結婚・恋愛・性の関係の変化は注目に値する。かつて、結婚と性(妾、遊郭)は別々の機能として社会に存在し、恋愛はといえばしばしば生まれるが儚く終わる、制度の外部にあるものだった。やがて男女が隔絶された上流階級では教育現場で「情交」が奨励され、一方で一般には夜這いなど「肉交」から始まる関係も普通に存在したが、どちらも家やコミュニティの存続を図る結婚制度の強化が目的にあったといえる。近年ではむしろ集団や国家を維持してきた社会規範が弱まり、男女経済格差も縮まる中で、個人にとっては再び結婚・恋愛・性をばらばらに捉えることが可能な社会になってきている。恋愛結婚で、性関係も一人が理想という考えは、実はこれまでの30年ほどにしか当てはまらないのかもしれない。

 

コメントⅡ

文献の内容を広い意味の規範という視点から考えると、きわめて原始的で、人間の本能に基づく営みだと思われた「恋愛」の在り方が、実は法制度や経済状況、文化など社会的条件の影響を大きく受け、時代によって大きく異なっていることに気付かされる。たとえば①の「恋愛は肉体関係か精神的関係か」という議論は恋愛を社会的事象として捉え直そうとする取り組みとも見ることができる。
 ③での結婚観、すなわち「結婚は精神的な結びつきの到達点か、単なる子作りのためのシステムか」という議論は興味深い。ここでは、肉体関係すら欲望から切り離された子作りのための一機能として認識されているが、ここには避妊具の普及によりセックス=子作りが必ずしもなりたたなくなっていること、メディアの普及などにより欲望は他で満たせるようになったことも関係するだろう。結婚することがリスクと捉えられる時代に、恋愛に関するプライベート性、精神性への欲求はこれから高まっていくのかもしれない。

ディスカッションの概要

はじめに、自分たちがもつ恋愛観が社会的な影響の上に成り立っているということを確認するために、男性が女性におごることよしとする風潮について議論した。 やはり男性も女性も単に男性だから一方的に奢るのではなく、ホスト・ゲストやお財布の状況などを鑑みて、払ったり払わなかったりとしていることが多いようである。
 一般的にこの風潮については、世代間に差はあるものの、一般的に女性の方が収入が少ないこと、ドラマや映画といったメディアの影響といった意見がでた。また、どちらかが払っておくことにより次に誘う口実にもなるという意見も出た。やはりある程度の社会的規範がある、父親の影響があるという話もあった。社会的環境が行動の前提となっていることを意識させられる議論であった。
 
次に、結婚と恋愛についての話に移ることとした。
恋愛については、理性を超えた情動的な面と、子孫を残すための本能的な面、さらには子育てパートナーとしての現実的な面という分け方ができるが、これらすべてを一人の相手に求めるかどうかでは人によって感覚が分かれるようだった。
 なぜ結婚するのかについて、結婚とは離れる可能性のある二者を縛って安定を与えるための制度だとの意見に多くの参加者が同調する一方、結婚とは恋愛の究極のかたちだとの論は聞かれなかった。

 最後に先生から、大きく分けて3点のコメントがあった。1点目は文学にみられる恋愛意識の変化について、夏目漱石の「三四郎」や谷崎にちょうど意識の変化を示しているという。2点目は、順序について。女性の人権を訴える広告や、19世紀フランスの例で、恋愛・結婚・出産という順序が自明ではないことが示唆された。そして、3点目はスタンダードとは。日本人の恋愛観には皇室がどうするかが大きく影響しており、スタンダードでないということは、それについて社会から説明を求められることがあるというコメントがあった。

議論を終えて、自由恋愛が当たり前の時代でも「家」という社会制度が守られてきたのは、結婚をステータスと繋げて考えた、伝統的家族観に絡む規範が未だ強く存在し続けているからだと考えた。しかし、多様な価値観が表出して既婚ステータスの価値が絶対でなくなるにつれ、結婚がゴールで恋愛は手段だとの見方は薄くなり、恋愛それ自体の可能性は幅広く認められていくのではないか、と予想される。