5 子ども

報告者:岡崎、斉藤

課題図書

①柏木惠子『子どもという価値―少子化時代の女性の心理』中公新書1588(2001)
②赤川学『子どもが減って何が悪いか!』ちくま新書511(2004)
③佐藤淑子『イギリスのいい子 日本のいい子 自己主張とがまんの教育学』中公新書1578(2001)
④諏訪哲二『オレ様化する子どもたち』中公新書ラクレ171(2005)
⑤宮淑子『先生と生徒の恋愛問題』新潮新書289

課題図書の紹介

①柏木惠子・子どもという価値―少子化時代の女性の心理 序:★★  破:★★★ 急:★★
 子どもに価値があるのは当たり前のことか。子は親と一心同体であると考え、宝である子どもの健やかな成長のために出来る限りのことをするのは親の自然な情愛か。本書は、発達心理学の権威である著者が、現代において「子どもを持つ」とはどういう意味があるかを問い直している。従来の子ども研究が「子どもの発達にとっての親」という観点からなされてきたのに対し、180度視点を転換し「親にとっての子ども」を研究の切り口とすることを通じて、現代の人口問題を親にとっての心の問題として分析していることが本書の特徴である。
 第1章では、我々の考える「子どもの価値」が、実は世界的に、また歴史的に見ると普遍的なものではないことを複数の調査結果基づき示している。第2章では、少子化問題が深刻視されるなか、問題の本質は、子どもを「つくる」時代の到来に伴い、女性にとっての子どもの価値が大きく変化したことであると主張している。第3章では、現代において人が子どもを産むことを選択する理由を多面的に分析している。続く第4章では、女性の心理の変化の背景として、①女性の長寿②医学の進歩による受胎コントロール③産業構造・労働市場の変化④女性の高学歴化と心理発達を挙げ、それぞれにつき検討している。最終章では、子どもが親のエゴに左右される等、子どもを「つくる」時代において新たに生じている問題に焦点を当てている。
 少子化という人口問題が、子どもを持つことが女性にとって絶対不問の価値を持つものではなくなり、こどもを持つことの有用性とコストを秤にかけるようになったこと起因するものだという指摘が興味深い。最終章は問題を列挙しているにとどまり、結論としてのまとまりに欠けるという印象を持ったが、そのうちの「子育て支援」から社会で子どもを育てる「子育ち支援」へという指摘は、これからの少子化対策を考えるにあたって一つのヒントとなると感じた。(岡崎)

② 赤川学・子どもが減って何が悪いか! 序:★★★  破:★★  急:★★
本書は、少子化が進行すれば日本が危ない、男女が仕事と子育てを共に分かち合う「男女共同参画社会」が実現すれば少子化が止まる、という言説を、まことしやかに語られる「トンデモ言説」であるとして、鋭く批判する。本書前半では実証的なデータを用いてこの言説を反証している。第5章以降は、そもそも子どもをつくるかどうかは当事者の「選択の自由」に任されているのだから、政府が介入すべきではなく、むしろ出生率低下を与件として「負担の分配」に配慮した制度設計を行うべきである、と終始明快な主張を繰り広げている。  

③ 佐藤淑子・イギリスのいい子 日本のいい子 自己主張とがまんの教育学 序:★★  破:★★   急:★
礼儀正しい、我慢強いなどと特徴づけられてきた日本人の子どもに、近年、「キレる」現象や公共の場面での傍若無人な振る舞いなどの問題行動が目立っている。本書において筆者はこの現象の要因を、対人関係における「自己抑制」型のパーソナリティを育む日本の伝統的な教育文化にあると分析する。「自己主張」と「自己抑制」を等しく重視するイギリスとの教育・しつけの比較を、多面的な調査やいくつものエピソードを織り交ぜながら行った上で、「自己主張」と「自己抑制」の両方の側面を発達させるための幼児教育のあるべき方向性を示している。

④ 諏訪哲二・オレ様化する子どもたち 序:★★ 破:★★★  急:★★
5册の中で唯一、教師という現場の視点から子どもを見たものである。戦後の社会が「農業社会」「産業社会」「消費社会」という順番に変化したとして、消費社会的近代の中で、子どもは自分の主観が客観的に通用するはずだと思うようになり、自分と教師を対等な存在として見なすようになったと指摘する。後半では、尾木直樹や和田秀樹などの学者・評論家の言説を批判的に取り上げ、子どもの変化に学校が追いついていないとする学校批判が当たらないことを述べ、これからの普通教育として、子どもは個性化の前に社会化される必要があるとする。(斉藤)

⑤ 宮淑子・先生と生徒の恋愛問題 序:★★  破:★  急:★
 なかなかびっくりするタイトルだが、タイトルの通り、昔から現在に至るまでタブー視されている学校でも教師と生徒の恋愛、とくに性愛という領域に踏み込む一冊。教育委員会の発表やマスコミの報道が「わいせつ行為」と「恋愛」を混同していると指摘し、教師と生徒の性愛を経験した当事者へのインタビューを通して、この手の問題では蔑ろにされがちな当事者の真意を知り、スクールセクハラと恋愛の境界線を考えている。境界を明確にするのは難しいが、それを探る中で教育委員会の処分の決定などに関わる行政・立法の問題も見えてくる。(斉藤)

コメントⅠ

 5冊を内容で大きく2つに分けると、①②が少子化現象を中心に論じているのに対し、③④⑤はもっぱら教育を話題にしている。
 少子化に焦点を当てる2冊の中でも、①は少子化という人口問題を女性の心理、子どもの価値の変化から捉えなおすことに重きを置いており、②は少子化と男女共同参画社会を切り離し、少子化を食い止めようとするのではなく、少子化による問題を社会で各世代が平等に背負う政策の必要性を語る。両方とも、少子化という「数」の変化に飛びつくのではなく、目を向けるべきものが他にあることを主張している点で共通していると言えよう。
 一方、③④⑤は、教育という面から子どもを捉えている。①②が論じる対象が「子ども」という抽象的な存在であるのに対し、③④⑤では、より具体的状況の下での子ども——③は家庭の中の幼児、④⑤は中学高校の生徒——について考える。③④はそれぞれ幼児教育と(学校での)普通教育の新しい方向性を模索していて、⑤は子どもや教育それ自体というよりは、恋愛に対する目や行政の基準の曖昧さなど社会の問題を捉えようとしている。
 このように、「子ども」と一口で言っても、少子化のような現象として現れるものなのか、一人一人の子どもに目を向けるのか(さらにその中でも、社会と子ども、親と子ども、学校と子どものようにどの関係を中心に置くのか)など、土俵がいくつもある。「子ども」について考える時は、そのような子どもの多面性を理解し、どの立場に立って見ているのかを頭においておく必要があると感じる。

 

コメントⅡ

 子どもに対して法が何をできるか。コメントⅠで述べたような子どもの多面性を考えると、子どもそれ自体だけではなく、子どもを養育する親や、子どもが集まって教育を受ける学校など、様々な角度からの法(政策と言った方が正確かもしれない)が関わってくる。④や⑤からは、学校教育の内容、制度を整えることや、行政の基準を明確にすることなどが考えられそうだ。少子化という社会現象に注目すると、①は少子化を女性の心理の問題として見ているが、例えば女性が働きやすい環境を作るような法によって女性の心理に働きかけ、そこからさらに社会構造すら変えることができるかもしれない。
 しかし、他方、②は法を作ることによって、子どもを産むという選択肢が産まないという選択肢に比べて不自然に強調されることを指摘しており、興味深い。そこからは、法がたとえ何かを「できる」としても、「すべき」なのかという疑問が生じる。法は国民を規律するが、その法によって、自分の生き方を自ら選べない環境になることは許さるべきではない。
 今後、子どもに、親に、学校に、社会に、法が何をできるか。「できる」としても、「すべき」なのか。子どもという、個人だけではなく社会にも密接に関係するテーマを扱う際には、とくによく検討しなければならないところだと思う。

ディスカッションの概要

はじめに、必読本の「子どもの価値」というテーマとの関連で、母親の仕事と子育ての両立について議論した。母親が家庭に入ることのデメリットとして、子供以外への視点がシャットアウトされる、母親に日常的に過大な負担がかかるという指摘があった一方で、子育ての責任を自分で担いたい、子育てのアウトソーシングには限界がある、等の意見も聞かれた。続いて、少子化問題とその対応策について問を投げたところ、出生率の低下を所与のものとした制度設計をしつつ、子どもを持ちたいという個々人の支援を工夫するべきだという意見で大方一致した。さらに、今後少子化とどう向き合っていくべきかについて議論が移った。結婚を促進させる仕組み、子育てを担う主体を高齢者や学生に広げる等の仕組みづくりや、企業の給与体系を見直す、等の独創的な意見が出た。最後は、一夫多妻制が許容されるかという議論が盛り上がり、一人ひとりの結婚観を話し合った。
時間が許せば、必読ぼんに関連して自分自身が子どもの価値をどのような点に見出すかについて、あるいはどのような親子関係が望ましいと思うかについても訊いてみたいと思った。