3 教育格差

報告者:奥村、吉岡

課題図書

①苅谷剛彦・教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか(中公新書 2006)2009
②青砥恭・ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所(ちくま新書 809)2009
③佐藤大介・オーディション社会韓国(新潮新書473)2011
④和田秀樹・新学歴社会と日本(中公新書ラクレ312)2009
⑤三浦展・下層社会―新たな階層集団の出現(光文社新書221)2005

課題図書の紹介

①苅谷剛彦・教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか 序★★ 破★★ 急★★★
 近年、手と手をつないでゴールする小学校の運動会にイメージされる、行き過ぎた「結果の平等」、これは「機会の不平等」であるとして、日本的教育の在り方に疑問が呈され、議論の的となっている。しかし、この議論の前提となっている戦後日本に特徴的な平等観、その歴史、成り立ちが忘れられており、結果、様々な誤解を生んでいる。本書では、義務教育における、教職員や施設・設備といった教育資源の配分に着目しながら、日本教育の歴史を掘り起こし、戦後日本の「平等」の意味を探ることを主たる目的としている。著者の苅谷氏は高名な教育社会学者であるが、本書を氏の教育研究上の一つの区切りとすると述べられており、力が入った内容であると言える。
 概略を示すと、プロローグ「平等神話の解読」では、先に述べたような本書の目的と手段を説明しており、第1章では、文部省と日教組の安易な対立構図、二分法的発想を否定し、日本教育が抱えていた問題を指摘している。第2章では、戦前の日本が教育の地域間格差に悩まされていた事、そして日本が戦後参考にすることとなるアメリカの教育財政論議の歴史が述べられている。第3章では日本の戦後の教育システムが理想と現実の乖離に苦しみ、折り合いをつけていく過程が示されている。第4章では一定の空間的地域的範域における義務教育の平等が目指され、都道府県の強い意志も相まって、地域格差が縮小する様が述べられている。第5章では戦後日本教育が行った標準化が批判を浴びながらもますます進行する様子が示されている。エピローグでは安易な二項対立図式を想定して安易な批判がなされている現状に警鐘を鳴らし、歴史を踏まえる事の重要性を主張している。
 全体として丁寧に書かれており、章のまとめを挟むなど親切な内容だが、箇所によってはくどく感じる事もあるかもしれない。教育費の配分に着目する視点は鋭く、論旨は分かりやすい。現制度の背景を示すと同時に、曖昧なまま叫ばれがちな「平等」を分析し相対化した一冊でもあり、教育論議に与える影響は大きいだろう。  

②青砥恭・ドキュメント高校中退―いま、貧困が生まれる場所 序★★★ 破★ 急★★
 センセーショナルなタイトルを掲げた本書は、貧困層の子供が底辺校に囲い込まれ、多くが高校を中退し、就職口の少なさからまた貧困層に至るという負の連鎖を示し、問題を提起している。筆者は教員経験を持つ一方で若者の支援団体の代表であり、その立場から新自由主義政策を批判し、高校の義務教育化を初めとする解決策を提案している。挙げられた事例は過酷かつ凄絶であり、特に行政に携わる方にとっては一読の価値がある。

③佐藤大介・オーディション社会韓国 序★★ 破★ 急★
 本書は、幼い頃から様々な場面で厳しい競争に晒され、失敗するともう敗者復活はないとされる韓国の実態を伝えた一冊である。本書を読むにあたっては、韓国の抱える課題と日本のそれは非常に似通っており、決して対岸の火事ではないと意識する必要がある。著者はソウル特派員であり、その経験を活かした実態に寄り添ったレポートは、重苦しいながらも読み物として非常に興味深い。

④和田秀樹・進学歴社会と日本
「かつで日本は学歴社会であった。しかしこれからは学歴ではなく実力がモノを言う社会に鳴る」という考えをひっくり返そうとする一冊。本書の主な内容は、まず第1章から第3章で日本の学歴格差の現状、日本の学歴社会というイメージが虚像であること、海外ではより明瞭な学歴社会が形成されていること、また数学の能力を重視する新たな評価を軸とした新学歴社会と言うべき流れが国際的にあることを指摘し、第4章で学力格差克服のための手立て・分析を、第5章では「新学歴社会」を生き抜くための「処方箋」を加えている。

⑤三浦展・下流社会ー新たな階層集団の出現
所得格差が広がる中で、「中の下」に分布する人々のことを「下流」と定義し、「下流社会とはどのような社会であるか」を論じている。著者は自身の体験から、「下流」は、単に所得が低いということだけでなく、コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲などが低いと記している。そして、「下流」層の自分らしさや「ゆとり教育」志向の相対的な高さをあげ、「下流社会」の若い世代の価値観などがどう変わりつつあるのかを論じている。そうして本書後半で、下流社会化を防ぐために「機会悪平等」の仕組みの必要性を説いている。

コメントⅠ

①②は日本の教育格差について論じた書であるが、①は教育社会学者の立場から書かれたものであるのに対し、②は教育格差の犠牲者を見てきた現場の人間の立場から書かれた一冊である。そのためか、①は論理的である一方でどこか乾いた印象を受けるのに対し、②は論理的という印象は受けないながら、情緒に訴えかける切実さを持っている。
 また③は韓国の厳しい競争についてのルポルタージュであるが、一貫して敗者復活がない事を問題視しており、これは②が高校中退者の再チャレンジ制度を提言している事と親和性があると言える。
 時間という観点から見ると、②③が現状生じている問題に焦点を当てているのに対し、①は歴史に着目している。しかし①は現状を深く考察するために必要なものとして歴史を記述しているのであり、むしろ②③より一歩進んだ考察を行っていると言える。
 政策決定過程を考えると、まず②などの具体的な問題があり、同様の問題が起こっている外国を③で参考にしながら、①を前提として議論し、解決策を定めるという流れになるだろうか。①の考察が立派なのは勿論であるが、②で伝えられているような生の現状を無視して議論を進める事は出来ないだろう。

 

コメントⅡ

教育格差は行政が主導して解決すべき問題であり、その手段の一つたる法とは密接な関連がある。実際に、①では戦後の日本において制定された法が、教育格差に多大なる影響を及ぼす様子を記述している。また、法は立法者の理想を示したものであるとも述べ、憲法や教育基本法から当時の教育行政の理想を導出しようとしており、興味深い。
 教育というものは法によって規律される一方で、法を規律する存在たる官僚の卵を育成しもする。すると、教育格差とは法によって規律する側と規律される側を二極化し固定化するものと言う事も出来、規律する側にとってはある種都合がいい状況である事が、教育格差が解消されにくい問題となっている一要因ではあると思われる。しかし②に記述されたように、教育格差で大きな問題となっているのは低学歴層=貧困層の再生産であり、それはもはや教育政策というよりむしろ福祉政策の領域である。その福祉政策すら行われていない現状を考えると、上記要因だけでは足りない事は勿論である。
 法学部に視点を移すと、現代でも法学部は文系の中で上位の学部と位置付けられており、優秀な学生は法学部に向かい、法曹又は国家公務員となる傾向があると言える。この傾向はエリート層の再生産に一役買っていると言え、司法試験や公務員試験に、貧困層に対する優遇措置を取るなどの手段を取ることで教育格差の改善につながるかもしれないが、こうした制度は逆差別だとして韓国で猛反対されたと③で述べられており、実現は難しい。

ディスカッションの概要

 まず議論を始めるにあたり、教育格差が現象なのか課題なのかについて問題提起され、それを機に議論の目標決定に時間が費やされた。
 結局具体的な指針は設定されないまま、モチベーションについての議論が盛り上がった。経済力の低さが学力へのモチベーションの低さにつながる事について疑問が示されたが、確率的には事実と反論された。これに対し、それが不当な理由で教育が受けられないと言えるかと再反論がなされた。
 また学力が高い人が高い給料をもらい、学力が低い人が低い給料をもらうという構造になっている以上、学習指導要領が構造的に格差を生んでいるのであって、格差を改善するには多元的な能力評価システムが必要ではないかという意見が示された。
 また受験サプリなどの出現により、地域間格差、教育機会の格差は改善されつつあり、情報格差の問題となりつつあるのではないかという意見が示された。これに対し、これらはある一定のレベルより上を対象にしており、小学校の時点で躓いている人の救済にはならないという主張がなされた。
 最後に教授から、課題設定の重要性、そして共通本についての見解が示された。 何についての議論か曖昧なまま進んでしまったため、上手く纏められませんでした。議題設定の重要性が身に沁みた議論でした。