2 地域・まちづくり

報告者:倉信、萱原

課題図書

①山崎亮・コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる(中公新書 2104)2012
②嵯峨生馬・地域通貨(NHK生活人新書102)2004
③松下圭一・日本の自治・分権(岩波新書新赤版425)1996
④矢作弘・大型店とまちづくり―規制進むアメリカ、模索する日本(岩波新書新赤版960)
⑤菅谷明子・未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告(岩波新書新赤版837) 20032005

課題図書の紹介

① 山崎亮 コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる(2012) 序★★  破★★  急★★★
 本書の副題として「自分たちで『まち』をつくる」とされている。ここからもわかるように本書は、地域の住民たちが主役となって自分たちの暮らす地域をもりあげていく過程を、「よそ者」の山崎氏の観点から描いている。著者の山崎氏は孤立死や無縁社会というつながりの弱くなった地域特有の問題に対して自ら解決するのでなく、住民が解決できるように手伝うというスタンスをとっている。
 本書は第一章「なぜいま『コミュニティなのか』」において無縁社会や孤独死が成立してしまった時代背景やそれを解決するアプローチの仕方が概略的に示されている。第二章においてまちづくりの具体的なアプローチ方法が示されており、行政が主体となって行うまちづくりの限界について触れられている。第三章ではまちづくりの具体例がいくつも紹介されている。第四章ではコミュニティデザインの方法について主役となる住民へのアプローチについて説明されている。本書は地方出身の私にとっては共感できる場面がいくつもあり、またまちづくりを行う際の具体例もわかりやすいため非常に読みやすい本であった。
 個人的に興味を持ったのは第三章の具体的事例の紹介である。本書のテーマとなっているまちづくりには中心となる人材が必要不可欠であり、人材の発掘・育成がうまくいった地域が成功事例として取り上げられている。まちづくりの中心人物をやる気にさせれば、まちづくりは成功するものとも考えられる。しかし後学のためにもまちづくりの失敗例も取り上げてほしい。また失敗した事例においてなぜ失敗したのかという分析もあってしかるべきだと思うのは私だけではないはずである。(倉信)

「孤独死」や「無縁社会」という言葉がよく口にされるように、人口減少・高齢化が進む日本においては「つながり」が一つのキーワードとなっている。本書は、このような社会の中にコミュニティをどう作っていくかというデザインの方法論や、コミュニティデザインを行おうと思った動機・背景に関して論じたものである。著者の山崎氏はまちづくりのワークショップなど50以上のプロジェクトに関わっており、他にも『コミュニティデザイン』(2011)を著している。
 第1章「なぜいま『コミュニティ』なのか」では、人口減少社会におけるコミュニティの衰退とそれに伴う課題、そもそもの「コミュニティ」のあるべき姿に関して論じられている。第2章「つながりのデザイン」では、建築物を「つくらないデザイナー」がいかにしてコミュニティデザインを行っていくのか、その際にどのように住民を巻き込んでいくのか、について述べられている。第3章「人が変わる、地域が変わる」では、事例をもとにして、プロジェクト参加者の心境の変化やプロジェクトから得られた学びが述べられている。最後に第4章「コミュニティデザインの方法」では、ファシリテーションの方法や地域住民との接し方、行政との付き合い方などが述べられている。
 コミュニティデザインにおいては、地域住民をうまく巻き込んで彼らが主体性を持った形で議論をし、合意形成を行っていくかが非常に重要になる。この点に関して、第4章における記述が、実体験に基づくものであるが故、非常にリアリティと説得力がある。またコミュニティの重要性が問われるようになった背景も、著者がもともと建築家であったことから少し視点が偏りがちであるが、日本の社会構造の変化やそもそも「公」とは何かという思想的な側面からも論じられており、非常に興味深い。(萱原)  

 

②嵯峨生馬 地域通貨(2004)序★★  破★★  急★★
本書はまちづくりを行うための一手段として「地域通貨」を提案している。地域通貨とは何かという最も基本的な問いに対して本書は冒頭部分において、「特定の地域やコミュニティで利用できる価値の媒体」と答えているが答えになっていない(と私は思う)。一章で地域通貨の説明、二章で国内外の地域通貨の紹介、三章、四章で地域通貨の課題と展望について述べている。まちづくりの一つの手段として地域通貨が紹介されているが①と異なり成功例だけでなく試行錯誤していく様子まで詳細に説明されていた。またここでも①と同じく住民参加が必要不可欠であると力説されていた。(倉信)

③松下圭一 日本の自治・分権(1995)序★★★  破★★★  急★★
本書は発刊されたのが1995年とほかの二冊と比べてやや古いが学ぶべき点は多くある。著者は地方分権推進派の立場から日本の中央集権的な統治機構を批判している。そしてそういった統治機構を改めて地方に権限を渡すべきと主張するとともに住民の政治への参加が必要不可欠と主張する。本書は日本の統治機構とからめてまちづくりを論じており、①②とは異なる観点からまちづくりを考えることができる。(倉信)

④矢作弘・大型店とまちづくり―規制進むアメリカ、模索する日本― 序★★  破★  急★★
本書は、日本における大型店の過剰な郊外進出とそれに伴う旧来の商店街の衰退と、アメリカで地域社会と自治体が主体となって大型店の進出を規制していこうとする動きを対比させながら、経済活動という切り口からまちづくりに関して論じたものである。アメリカは日本に比べてより「資本主義的」であり大型店による効率化が進んでいると思われるが、実は地域デモクラシーが尊重されているというのが興味深い。(萱原)

⑤菅谷明子・未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告― 序★★  破★★  急★★
 本書は、ニューヨーク公共図書館での事例をもとに、「図書館」が地域のインフラとしてコミュニティの活性化に大きく貢献していることを論じたものである。インフラの中でも「情報」を担うという観点から、インターネット社会における図書館のあるべき姿に関しても論じられている。(萱原)

コメントⅠ

 上記の三冊の本についてコメントをしていくが内容から受けた印象はまちまちだった。①と②は実際にまちづくりにかかわる人が筆者であったが、③は学者(本学の教授)が著者となっている。
そのせいあってか①と②はまちづくりの具体例や海外の事例の紹介などイメージのしやすい内容だった。一方で③は学者の先生が書かれているということもあって理論的な内容が多く内容が前2冊に比べてやや難しかった。また①と②は近時の事例を紹介していたのに対して、③は日本の自治の歴史を論じている部分も多くまちづくりに対する視点も短期の時間軸と長期の時間軸で異なっている。
課題図書①②はまちづくりにおける実践的内容となっており、一方で③は実践を支える理論的教科書といった位置づけだと思われる。どの三冊もよくまとまっていたが個人的に気になった点がある。三冊とも共通して住民の参加がこれからは必要だと述べているものの住民参加のための具体案についてもう少し厚く論じてほしかった。①と②は最後のほうで触れていたが住民参加こそが、これからのまちづくりの鍵である以上あえて失敗例も交えながら説明するべきではないだろうか?また③については住民参加のための具体案は、皆無だったと思われる。

 

コメントⅡ

三冊の本を読んでまちづくりの法律の関係について考えてみたい。従来日本のまちづくりは、江戸時代の一時期を除き基本的に住民は、法律によって規律される客体として存在していた。日本にはオカミ文化が根強くこのために積極的に政治に参加する姿勢がないとの指摘は個人的に共感した。
 かつては政府が主導してまちづくりに取り組んでいたが、現代では住民主体の流れになっている。しかし政府本当のところ自らが主導してまちづくりをすすめたいのではないか?住民たちもまちづくりに対して消極的に構えているところもあるのではないかといった疑念もぬぐえない。そのためにあえて失敗例を出したうえでまちづくりの在り方を考えてほしいと私は思う。
これからは住民がよりまちづくりに参加していくことが求められることになるが、その時の政府や法律の役割は何なのだろうか? また外国にまちづくりに関する実体法があるとして文化的背景のことなる日本にとって、その法律がどの程度参考になるのかも慎重に考えていかなければならないのではないだろうか?

ディスカッションの概要

 ディスカッションに際しては大きく、①「地域(社会)」「まちづくり」「コミュニティ」といった言葉から連想されるイメージ、②(共通本を読んだうえで)「コミュニティデザイン」のエッセンス・本質とは、③東大法学部でコミュニティをデザインするには、という3つの論点のもと、議論がなされた。
 ①に関しては、市町村といった行政区分と対比をしながら、コミュニティの要素が議論された。コミュニティでは「何かを共有している意識」や、利益と権利義務関係といった「核」となるものが存在し、それゆえ「参加する」という主体的な行動が必要であるとされた。
 そのうえで②に関して、コミュニティデザインにおいては「イシューを探す」ことが重要であるという議論がなされた。一人では対応できないような問題解決のほとんどを、「お上」たる行政が行っていたことによりコミュニティの希薄化が進んでいったことから、「大型店の進出による商店街の衰退」や「少子高齢化と人口減少」といった行政には見えにくい問題を明らかにしていくことが重要であるとされた。同時にコミュニティデザインには「住民の主体性」も必要不可欠であり、意見をよく聞き吸い上げて「コミュニティ改善の回路を正常化する」ことも重要である。そのためには住民に等しくチャンスをつくり、自分もコミュニティの一員であると気付かせて、「自分と等しくある誰か」のために何かをするという意識を芽生えさせることが重要であるとなった。
 最後に③に関しては、まず「シケタイはコミュニティたり得るか」という議論がなされ、結果的にはイベントなどを通して「顔が見える関係」を築くところから始めるべきだとされた。またコミュニティデザインに積極的に参加する人へのインセンティブの付与も必要だとされた。
 今回は二回目ということでまだ試行錯誤の中での議論となったが、議論はそれなりに盛り上がったものとなったように思う。ただファシリテーターとしては、議論の終着点を見定めきれずに終盤の論点設定にあたふたしてしまったのが課題であった。