5.文学作品
報告者：大石、中村
課題図書
�‐�森陽一『村上春樹論』（平凡社新書、2006）
��工藤庸子『フランス恋愛小説論』（岩波新書、1998）
��山田永『日本神話とアンパンマン』（集英社新書、2006）
�け┣賤杞案察�Jポップの心象風景』（文春新書、2005）
�ド杙椡冤�『マンガを解剖する』（ちくま新書、2004）
課題図書の紹介
�‐�森陽一『村上春樹論』 序：★★ 破：★ 急：★★
世界の人々に受け入れられ大ヒットした「海辺のカフカ」。人々がそこに求めた「癒し」の根底にあるものは何か。本書では物語の背景、登場人物、作中でカフカ少年が読む様々な小説からその設定に隠された意味を明らかにしていく。この小説はオイディプス神話を下敷きとし、神話の登場人物の役割が二層に分有されたパラレルワールドとなっている。一章では母親と子どもの関係性における言語習得と自我の芽生えに言及し、母に捨てられ健全な成長過程を経ていないカフカ少年が「父を殺し母と姉を犯す」行為が致し方のないこととして受け入れられてしまうことへの危惧が述べられる。二章では作中でカフカ少年が読む『千夜一夜物語』と『流刑地にて』から、物語の根底に女性嫌悪と法と暴力の問題が提起され、海辺のカフカは処刑小説であると結論づける。続く三章では夏目漱石の作品群をテーマに、二章までに提起された問題−すなわち言葉によって女性の表現に対し異様なまでの権力的暴力が執行されること、個人的な暴力が戦争の論理と短絡的に結合されること−これらが致し方のないこととして描かれる物語設定を詳しく掘り下げていく。四章五章では、物語の根底にある女性嫌悪と歴史の否認の結合について言及し、物語精読のまとめに入る。物語をとおして私たちが「癒し」を感じた背景には、少年の罪を自然性欲の問題にすり替え、処刑、戦争、暴力を女性の抱く性欲に責任転嫁し、それらを物語のなかで否認し消去することで正当化する論理構造がある。そして小森は「海辺のカフカ」が、精神的外傷を責任の構造的な転換と記憶の消去によってなかったことにしようしており、言葉を操る人間が積み上げてきた歴史に対する裏切りであると言う。本書では言語や法や歴史と結び付けられて女性嫌悪の問題が提起されるが、論じるにあたってヨーロッパ宗教的価値観や精神分析論や心理学、神話学などが少々混乱気味に引用されている。総じて、９・１１と「海辺のカフカ」の世界的大ヒットを一連の現象として結びつけ村上春樹の本質に迫った嘆賞すべき一冊である。（大石）
2002年9月11日に刊行された村上春樹氏による小説「海辺のカフカ」が多くの日本人に「癒し」や「救い」をもたらす作品として受け入れられたことに、著者の小森は大いに危惧を感じている。小森によればこの「海辺のカフカ」という作品に見出される「癒し」や「救い」の正体は、戦後日本の記憶の消去と歴史の否認による「言葉を操る生き物としての人間」に対する冒涜であり、作品に一貫する主題として女性嫌悪と昭和天皇の戦争責任の免除があると主張する。本書はその論拠を、「海辺のカフカ」とそれに先行するテクストとして用いられた物語との関係を明らかにしながら展開する。小森の批判の中心は、小説の中で、カフカ少年が人間としてのタブーを破ることをその不幸な生い立ちから「いたしかたないこと」として認容されていること、カフカ少年とナカタさんから記憶と合理的思考能力を奪うことによって本来二人が持つべきであった自我というものに対する処刑を行っていること、カフカ少年とナカタさんが損ねられた要因とフィリピン戦でのある男性の死を女性である佐伯さんや岡持先生が性的な欲望の主体になったことのみに負わせていることである。そしてそれらから導き出されるのは、国家の名による殺人の正当化と昭和天皇の免責、小説という表現手法そのものに対する処刑、女性嫌悪といった主題であり、このような作品を「救済」の作品として受け入れた「2001年 9.11」後の国々に共通するある種の社会的な精神的病理を見過ごすわけにはいかないと小森は主張する。「海辺のカフカの精読」と言うには小森自身の歴史認識が色濃く描かれていることへの戸惑いは否めないが、小説を問題意識を持って読み分析し思考する手法は見事であると言えよう。（中村）
��工藤庸子『フランス恋愛小説論』 序：★★ 破：★★★ 急：★★
本書はラファイエット夫人「クレーヴの奥方」、ショデルロ・ド・ラクロ「危険な関係」、プロスペール・メリメ「カルメン」、ギュスターヴ・フローベール「感情教育」、コレット「シェリ」の5作のフランスの恋愛小説を、まず作品を読み、背後に広がる時代を解説し、そのなかで生きた人間として作家像を浮上させるという形で論じたものである。フローベール以外の4人は貴婦人や軍人、官僚など執筆を生業とした人間ではなく、そうした作家たちを取り上げることで当時のフランスの時代の空気というものが生き生きと読み手に伝わってくる。また宮廷社会に続く18世紀の市民社会においてプライヴァシーという概念が誕生し、そのなかで19世紀には近代的な個人というものが生成されるプロセスが、5つの作品を通して漠然とではあるが見てとれる作りになっている。特に「カルメン」が「男性優位社会」の中で書かれたものであるのに対し、時代が進むにつれ「感情教育」では民法を基礎とした家族制度とそれに対する契約違反としての姦通という19世紀的な発想が登場し、「シェリ」では家族制度と父権を基盤とした市民社会の秩序のきしみがみてとれるというジェンダーをめぐる視点の解説が興味深い。（中村）
��山田永『日本神話とアンパンマン』 序：★★ 破：★★ 急：★
日本最古の文学作品である古事記を中心とした日本の神々の世界と、日本人ならだれもが知っている『それいけ！アンパンマン』の世界。山田は二つの物語設定やキャラクターに共通する構造を明かしていくことで、現代人にはあまりなじみがなくなってしまった日本の神話をわかりやすく紹介している。神々に対応するアンパンマンの登場人物、高天原と葦原中国の関係に対応するパン工場と街、黄泉の国とばいきん城という異界など、物語構造が類似しており、その指摘は斬新な内容となっている。筆者が脱線や妄想を広げており滑稽な印象も受けるが、季節ごとの行事などに受け継がれてきた日本人の思想にまで言及されており、学問的には大変興味深い一冊である。（大石）
�け┣賤杞案察�Jポップの心象風景』 序：★★ 破：★★ 急：★
鳥賀陽はアメリカに次いで世界第二位の音楽市場を持ちその75％をJポップが占める（2002年当時）ことに注目し、「なぜ日本人はこんなにもJポップが好きなのだろう」という疑問と「Jポップが一歩国境を越えれば全く需要がない」という事実から、日本人の意識の下には何か日本文化に独自の集合的な無意識が横たわっており、それに歌や歌い手がフィットしたときに日本人はそれを好ましいと感じCDを買うという集団行動を起こすのではないかと仮説を立てる。日本に暮らす者なら誰もが知る歌手8組を取り上げ、例えば松任谷由美には古代神道のアメノウズメを重ね、GLAYには日本経済が実現できなくなった成長物語が託されていると解説し、ザ・ブルーハーツは物質万能主義からの救済を求める人々にとっての宗教であると分析する。あまりにも生活に浸透しているためその浸透の意味するところをあらためて考えることのない音楽が（そして音楽に限らずおそらく文学や美術なども）、実は日本人の内的世界を探求する「窓」として考察に値することを示唆しているという点で日本を深く知る間口を広げてくれる1冊と言える。（中村）
�ド杙椡冤�『マンガを解剖する』 序：★ 破：★★ 急：★
マンガの本質とは何か。本書は言語論、絵画論、身体論、科学論の４つのテーマからなり、テーマごとに特徴的なマンガ作品をとりあげ、そこで用いられている様々なマンガ技法と類比させながら、論じていく。4つのテーマを総じて「マンガは脳と一体化したメディアである」ことを導いている。例えば、絵画論では線による形の認識からマンガが脳の側頭葉つまり視覚情報を記号として処理し理解する機能をメディア化したものであることが語られる。トピック別にみると議論の質に差はあるものの、類比のために少女マンガから青年マンガまで幅広くマンガが引用されており楽しい内容である。また随所にマンガをめぐって筆者の人生観を表す名言がちりばめられており、はっとさせられる。他の４冊に関連させて論じるのは難しいが、人生において私たちのわくわく感を高めてくれるお勧めの一冊である。（大石）
コメント��
�，鯆未犬鴇�森は、虚偽の言葉による暴力の正当化は言葉を操る生きものとしての人間にとって最大の冒涜であり、人間同士が暴力を介在させずに関わる術が言語であると主張する。そして文学作品が時に暴力を正当化し、暴力による死者への応答責任を放棄する可能性があることを指摘した。そのような視点を持って他の4冊を読むと、��では日本文学の原点としての日本神話に日本人の心の原型が、また�い任錬淵櫂奪廚�流行する背景に日本文化に独特の集合的無意識があることがわかる。また�△任脇�本との対比としてフランスにおいて家族制度というものが登場し市民社会にその意識が浸透していくのを恋愛小説からも読めることがわかる。�イ魯泪鵐�の手法に関して考察したものでありこの流れの中に位置づけることは難しいが、小説、神話、音楽、マンガとそれぞれに形態は異なっても、いずれも言葉を介して我々の意識を形成したり無意識を表出したりし、時には記憶を消去するものとして働いていることに気づく。
コメント��
１、村上春樹論において指摘された、海辺のカフカが処刑小説であるという結論は検討すべき問題である。「千夜一夜物語」における王の合法的なレイプや、「流刑地にて」において処刑機械を操る権力者が法になってしまう危険、法による暴力の問題に関して議論の余地がある。小森の言う「自立した言葉を操る生き物としての人間になっていくうえで最も重要なことは、そこから分化してしまった他者に対して言葉で自分の思いや欲望を伝え理解し納得してもらうことである」に対して、女性を犯して自ら法律となって処刑を行う王や、国家が戦争を正当化することによって、数万年かけて人類が言葉で構築してきた根源的なタブーが小説のなかそして現実世界において簡単に破られてしまうことが問題である。
２、もうひとつの論点は性的欲望の主体としての女性の位置づけである。女性の性的放縦自体が罪であるという枠組みは現在のわれわれの価値観を内在的に縛っているのではないか。�´△砲�いてキリスト教的文化圏が性的欲望を抑圧し女性の罪として姦通を位置づけてきたが、文化圏が変わるとその禁欲的価値観は相対化される。
カフカ少年がタブーを破ることが許され、性的欲望の主体となった佐伯さんが処刑されるべきものとして、小森が指摘する村上春樹の描き方の問題のみによらず、読者が自然に受け入れてしまうことにも問題があるのではないか。
３、法律に表されている日本人の伝統的な価値観とは比較法的に判断して分かるものかもしれない。ヨーロッパの法律の根底にある宗教的、神話的価値観とは何か。法律の相違に関して検討を加えることで我が国の価値観を浮き彫りできるのではないだろうか。
ディスカッションの概要
共通本に関しては、フィクション性と現実性を混同して現実の立場からフィクションである「海辺のカフカ」を批判する小森の手法に関して、「海辺のカフカ」に登場する主題はそのまま現実世界での村上春樹の主張という訳ではなく、あくまで小説内の特定の空間におけるものであるのだから、テクストとは異なるものとしてのコンテクストとして共通本を想定するならば小森の手法には疑問があるとされた。
次に「村上春樹論」のなかでたびたび指摘された女性嫌悪に関して、女性蔑視が現在の法に見られるかという議論があり、「強姦罪」は男女双方に対する差別であるとか、再婚禁止期間が長いことは女性への差別であるという指摘がなされた。また「姦通罪」は歴史的に道徳を法的に強制するものとして存在していたということが言われた。
最後に、法の正当性に文学作品は果たして作用しているのかという議論がなされた。法に歯向かわず従っているという時点で、その時代の人々の無意識が法に反映されていると考えることができるが、現行法を正当と思うマジョリティの意識や価値観の形成の幼いころからの読書経験が影響している可能性あるという結論だった。