「久しぶりだな…」
こんなに早い時間に、自分の家に戻るのは本当に久しぶりだった。
最近は毎日のように手塚の家に行き、軽く汗を流し、家族と食事をする。
食事が終われば部屋に向かう。
部屋に入れば2人きり。
両親や祖父の部屋とは、ほぼ対角線上に位置する為、物音を気にする事は無い。裸になって熱く抱き合えば、そこは2人だけの世界へと変化する。
手塚の部屋はとても中学生とは思えないほどシンプルな空間で、大量の本を収納する棚と、趣味の釣りで使用する多くの釣竿を入れるガラスケース、机とベッドとタンス、壁にはインテリアにもなるルアーのコレクション。
テレビも無ければ、リョーマの好きなゲームも無い。
初めは「つまらない部屋」と感じていたが、裸になってしまえば室内の模様なんて関係無い。
部屋の中で行われるのは、会話かセックスだ。
身体を求め合う行為は、別に嫌いではない。
むしろ、好きなのかもしれない。
身体を繋げている間は、互いの事だけしか考えられなくなるから。
身体の奥まで浸透する少し低めの声と、指や舌を使って快感を引き出す動きに、行為中は思考回路が何時もショートしてしまう。
一度では済まないこの行為は、いつもトロトロに蕩けてしまうまで続けられる。
そして最後に風呂に入り、手塚に送られて帰って行く。
自分の家は今や、『寝る』、『起きる』、『朝食を食べる』たったそれだけの場所。
それ位に手塚の家の方が、居心地のいい場所になっていたのだと実感する。
「はぁ…何だか家が遠い」
リョーマは幾分か、いつもより重い足取りと気分で、我が家へと帰って行った。
「あら?今日は珍しく早いのですね」
自宅へ戻れば、キッチンから従姉妹の菜々子がひょっこりと現れた。
珍しくこんな早く帰って来たリョーマの姿に本気で驚いて、思わずこんな言葉を口に出してしまっていた。
「たまにはね…」
少しばつが悪そうに、ボソリと呟いた。
「何か御用でもあったのですか?」
「別に何にもないけど」
従姉妹からも言われてしまうほどに、普段の帰宅時間は中学生にしてみては遅い。
どこで何をしているのか、理由を話した覚えは無いが、きっとどこかで気が付いているのかもしれない。
女の勘と言う説明し難い感覚は、五感と言われる直感的感覚とは違う第六感で、特に男性関係にはかなりの正確さで発揮する。
「お夕食はどうします?」
「食べるよ。…あれ?親父は」
きょろりと辺りを見渡しても、両親の姿は無かった。
母親はまだ仕事かもしれないが、父親はいつも家にいるのだから、姿が無いのが気になった。
「今日は檀家のお宅へ行っていますよ。お帰りは遅くなるそうですわ」
「ふーん、たまには仕事してるんだ」
こんな事をあの父親に言えば、「お前もたまには定時に家に帰って来るんだな」と、返されるに違いない。
『子供は親の姿を見て育つ』
まさにその通りで、リョーマの歳相応らしからぬこの性格は、父親からしっかりと受け継がれているのだ。
「私は夕食の支度をしますから、着替えたら降りて来て下さいね」
菜々子はにっこりと微笑みながらリョーマに伝えると、キッチンへ戻って行ってしまった。
「わかったよ」
素直に返事を返し、自分の部屋に荷物を置きに階段を上がって行った。
部屋に入ると、ドアの直ぐ横にバッグを置く。
「…怒ってるかな」
溜息混じりに呟きながら制服を脱ぐと、ハンガーに通して壁に掛ける。
近くに置いてあったトレーナーとハーフパンツに着替えて、ベッドへとダイブした。
枕を掴んで、胸へと引き寄せてぎゅうっと抱きかかえると、少し寂しげな笑みを浮かべた相手の顔を思い浮かべる。
あんな顔をさせたいワケじゃないのに。
本当はもっともっと一緒にいたいのに。
こうしていても、手塚の事ばかりを考えている。
他の事が思い出せない位に。
テニスだけに情熱を傾けていた手塚。
その情熱がいまや自分に向けられている。
しかもテニスでは無く、恋愛対象としてなのだ。
誰もが憧れる人物に、心の底から想われているという強烈な優越感。
だからこそ感じる一抹の不安。
それがじわじわと膨らんで今に至る。
「…こんなに好きでいいのかな…」
もし別れるなんて言われたら、自分はどうなってしまうんだろう。
哀しくて泣いちゃったりして。
身体中の水分が枯れるまで泣いちゃうかも。
それとも…あの人を殺して自分も死ぬ?
…それはダメだよな。
あの人は俺と違って、死んだら悲しむ人が多すぎる。
テニス界にとっては大打撃にもなりかねない。
「…バカだな…俺」
枕に顔を埋めて、自分の考えを反省すると、がばっと起き上がった。
「先にシャワー浴びてこよ…」
それで馬鹿な考えをする頭でも冷やしてこよう。
こうして家の風呂場に入るのも久しぶりだった。
「…何かしたのだろうか?」
自宅へ戻る道程は、いつもよりも長く感じた。
ぶつぶつと独り言を言いながら家に入ると、キッチンで夕食の準備をしていた母親の彩菜からは「今日は越前君と一緒じゃないの?」と聞かれてしまった。
何となく予想は出来ていたが、まさか実際に面と向かって言われるとは思っていなかった。
休前日はお泊りと決まっていて、平日も半分以上はこの家に来ていた。
それが当たり前のように感じるのに、時間はさほど掛からなかった。
だからリョーマは手塚家にとって、無くてならない人物になっていたのだ。
「はぁ…」
部屋に戻ると少しだけ乱暴にバッグを置いた。
学生服を脱いで皺にならないよう綺麗にたたみ、タンスの上に置く。
軽い服装に着替えると、ベッドに腰掛けた。
いつもはこのベッドにはリョーマが座っている。
何時の間にか、ここがリョーマの指定席になっていたのだ。
「俺がしつこいからか…それとも…」
頭を抱え込んで、自分の行動を反省する。
しつこいと言うのは行為の事で、家に連れてくると毎日の様に求めていた。
部活で疲れているのにも係わらず、その身体を余す事無く貪ってしまう。
それもこれも、好きだから。
一分でも一秒でも一緒にいたいから。
きっとリョーマもそう感じていてくれていると、自分の中で良い方向に変換していた。
実は自分の思い違いだったのか?
本当は嫌々、付き合っているのでは?
今まで気付かなかっただけで本当は…。
「まさか嫌われたのか?いや、それは」
有り得ない考えが、頭にビッシリこびり付いて離れなくなっていた。
この日を境に、2人は学校以外の場所で会う事が無くなっていた。
|