恋愛事件簿

その6





―――事件簿 其の参『言葉にならない想い』



「手塚はさ、おチビのどこが好き?」
「いきなりだな…」
部活中に有るまじき会話を交わすのは、リョーマの恋人である手塚と、リョーマに想いを寄せる菊丸。
内緒話の様にしているが、2人は正面を向いたままで全く視線を交わしていない。
それもそのはず、目の前には好きな相手がプレイをしているから。
華麗なフォームで向かってくるボールを打つ姿に、真剣そのものの眼差しを向ける。
リョーマの相手をしているのは大石。
こちらはリョーマに恋愛感情よりも、親類の様な心配の眼差しを向ける人物。
テニス部の中では、かなりの常識人で通っている。
「手塚にだってさ、おチビを好きになったワケくらいあるんでしょ」
「当たり前だ」
行き当たりばったりの感情で、同姓を好きになったのでは無い。
「俺はね、まず顔が好きでしょ。女子なんで目じゃないほどすんごくカワイイし。で、身体のラインもかなり好きだにゃ〜。小さくって細くって、抱き心地なんてホントにサイコーだもんね。それからね、あのすんごく勝気でクールぶってるくせに、ちょっと茶々を入れるとすぐにムキになっちゃうトコも好きなんだな。おチビって案外単純だからな。それから…」
「…菊丸、もういい」
ともすれば、いつまでも続けそうな菊丸に、手塚はストップを掛けた。
「え〜、まだこれからなのに」
波に乗ってきたところで止められた菊丸は「もっと言いたい」と、駄々をこねる。
「お前は俺に聞きたかったのではないのか?」
「うにゃ?あ〜そうだった」
ぽりぽりと頭を掻いて、へにゃりとした笑みを作る。
当初の目的を忘れて、自分の『リョーマのどこが好き?』を、かなり熱を込めて話した事に、少なからず恥ずかしい気がして、恐縮してしまう。
「俺はあいつの全てが好きだ」
「はぁ?全てって何?」
「全ては、全てだ」
その言葉に自分の耳を疑った菊丸は、隣の男の顔を凝視してしまう。
理由というには、なんとも簡潔な言葉。
「好きになれば悪い所も何故だか良く見えてしまうな。何と言うのか…本当に不思議なものだ。まぁ、部活に遅刻するのは良くないが」
痘痕もえくぼ。
惚れてしまえばその欠点までも良く見えてしまう。
「ほへ〜、手塚も丸くなったモンだにゃ」
感心した様に軽く手を叩く。
「馬鹿にしているのか?」
青筋を立てる一歩手前になりそうなほど、手塚の表情はかなり険しい。
「まさか、ちょっと感動しました」
これ以上は刺激を与え過ぎてもいけないと、すぐに言い訳をしておいた。
(手塚ってほんと真面目な男だったんだよな〜)
この男をここまで変えたリョーマにも、心の中だけで拍手喝采を送っておいた。

「手塚、英二。何をしてるの?」
リョーマ達の横のコートで一頻り汗を掻いた不二は、二人のどことなく楽しそうな雰囲気に誘われてふらりと近寄って来た。
「…不二か」
また余計な奴が来たものだ。
最近、菊丸と不二がいるだけで1本の枝で出来ていたはずの話が、数本にも数10本にも広がってしまって最終的には収拾が付かなくなる。
不二を見た瞬間、手塚の眉間には深い皺が出来ていた。
「あっ、不二。お疲れさん」
「ありがとう英二。それで君達2人はここで一体何をしていたの?」
「話をしていただけだ」
「そうそう、おチビについてね」
「越前君について?」
ニッコリと常の微笑みを浮かべていたのに、菊丸の口からリョーマの名前が出ただけで、厳しい表情に変貌してしまう。
リョーマが手塚の恋人なのは重々承知しているが、好きな気持ちを捨てるつもりは無い。
「あっ、別に変な話じゃないよ。手塚にちょっと聞いていたんだ」
「手塚に聞いたの?英二が?」
慌てて話の矛先を手塚に向けようとしたが、その思惑に不二は全く乗って来なかった。
「えと、おチビのどこが好きなのかなーって」
「越前君のどこがって?そんなの全部でしょ?」
当たり前の事を言わないで。
菊丸にそう言うと、一足先に休憩に入る為に、コートから出て行った。
「…不二も手塚と変わんないにゃ」
「お前もな…」
珍しく不二が入ってこなかったのは、手塚も少々驚いたが、下手に話を続けたくなかった。

どこが好き?
何が好き?
聞かれても即座に答えられない。
本当はどうして好きになったのか、いきさつがしっかりとまとまっていない。
何本もの糸がぐちゃぐちゃと絡み合っていて、どんなに懸命に直そうとしても、もっと絡んでしまう。
だから、時々考える。
リョーマが自分の1年の頃とかぶっているから?
だから、同情にも似た感情で付き合っているのか?
本当は何とも思っていないのでは?
否、それは違う。
心が欲し、身体も欲していた。

最早、『恋』としか言いようが無い。
リョーマは常に自分に『ここが好き』、『ここも好き』と言ってくれるが、自分はいつも『全てが好き』としか返していない。
もしかしたらリョーマは、自分からの告白をあまり期待していないかもしれない。
普段から『言葉が足りない』と、自分ですら思っているだけに。
今更、言葉巧みに想いを伝えても、リョーマがそれを黙って聞いてくれるのかが不安になる。
『本気で言ってるの?』
『どうして今まで言ってくれなかったの?』
『俺の事、本当はどう思ってるの?』
生意気な言葉では無く、頼り無げな声でこんな反応が返ってきそうで怖い。

「こういった類のボキャブラリーは、俺にはどうにも少ないしな…」
「手塚?」
菊丸の問い掛けにも耳に入らないのか、悶々と自答自問していた。
「…家庭環境の違いか?」
お喋りは元々好きではない。必要な会話でも、要所を捉えてなるべく短くしてしまう。
面白味が無いと言われてしまえばそうなのだが、幼い頃からのほほんとした父親と、反対に厳格な祖父を見ていたので、自然にこうなってしまった。
自分の性格はそう簡単に変えられるものでも無い。
「…どうしたんだよ手塚ってば?おチビの番、とっくに終わってるぞ」
「あ…あぁ、済まないな」
腕をつんつんと突かれて、漸く我に返った手塚は菊丸に謝ると、大石と会話をしているリョーマの元へ行く為にその場を離れた。
「ん〜?」
コートに向かっていく手塚の背中を見ていた菊丸の頭の中は、どうにも腑に落ちないモヤモヤとした気持ちが占めていた。
「こんな事…前にもあった様な…あ〜」
一瞬、デジャブかと思ったが、ちょっと思い出してみたら、何てことは無い、少し前に見たばかりだ。
「うわっ、ヤだにゃ〜。似た者カップルって」
しかもまた俺が、ですか?
空を見上げてみれば、あの時と同じ青い空が一面に広がっていた。

「越前、少しいいか?」
大石とリョーマはプレイについて会話中だったが、手塚は2人の間に入り込んでリョーマを誘う。
「手塚?」
「大石、次の番を入れてくれ」
目線はリョーマに向けたままで、手塚は大石に練習を続ける様に厳しく言う。
自分で言えばいいだけなのに、こうして人を使う事も手塚は上手い。
「あぁ、えーと…次は海堂とタカさん。コートに入ってくれないか」
いきなり間に入って来た手塚に、大石は呆気に取られたが、あまりにもそれが自然で何も言えなかった。
「もう俺の番かい?」
「…ッス」
呼ばれた2人は揃ってコートに入り、試合形式の練習を開始した。

「部長、何かあったの?」
「……いや、何も…」
とりあえず練習を見る為にコートの端にいる。
(何なの?一体…)
ちらちらと横顔を盗み見るが、まるでいつもと変わらない無表情からは何も分からない。
『少しいいか?』
そう言われたから大人しく隣に立っているのに、呼び掛けた張本人からは全く話をする様には見られない。
手塚はただ真っ直ぐコートを見つめているだけだった。
折角こんなに近くにいるのに、何度見ても変化の無い横顔と全く動かない口。
この状況が居心地悪いのか、リョーマは手塚の横から去ろうと足を動かした。
「…越前」
完璧に背を向けて歩き出したリョーマに、手塚は漸く口を開いた。
くるりと向きを変えて手塚の顔を見れば、どことなく照れている様な、焦っている様な、彼らしからぬ表情に入れ替わっていた。
不思議に思い、歩いた歩数だけリョーマが戻ると、手塚は意を決して向き合った。
「済まない…俺にも良く分からないんだ」
「分からないって何が?」
自分の感情なのに、どうにも説明出来ない不可解な感情が手塚の胸の中で暴れている。
菊丸との会話から、ずっと暴れている。
「お前はいつも俺に欲しい言葉をくれる。それなのに俺はお前に返す言葉が無い。たった一言だけで済まそうとしている…」
「…好きってコト?」
「あぁ、そうだ」
「別に俺は満足してるよ?く…部長がそういうの苦手って分かってるし」
何だかまた嬉しくなっちゃう台詞を言われた気がする。
でも、気のせいじゃない。

「…俺はお前の全てが好きだ」
「ありがと…でもさ、ここじゃ止めとこ?」
部活の最中に愛の言葉を伝えられても困ってしまう。
周囲は2人の会話を知らないから、こちらを見ている者は誰もいないが、どことなく気になる。
「それもそうだな。ならば、後でな…」
「うん、後でね…」
絡み合う視線はどこまでも優しいものだった。
好きだから、伝えたい言葉がある。
それは口から音として発する言葉だけでなく、感じ取れる言葉もある。

目は口ほどに物を言うから、視線はいつも言いまくっています。





事件簿その3ですね。