恋愛事件簿

その5





―――事件簿 其の弐『母親と息子』


「お帰り国光。あら、いらっしゃい。越前君」
今日も恋人の自宅に泊まるリョーマは、玄関先で母親の彩菜と偶然出会った。
とびっきりの笑顔と共に。
まだ数度しか訪れていないが、リョーマの顔と名前はしっかりとインプットされていた。
「ただいま帰りました」
「お邪魔しまーす」
泊まる時は必ず一度家に帰り、菜々子に「今日は泊まってくる」と伝言し、着替えを持って家を出る。
その時は手塚もついて来るのだが、絶対家に入れない。
家にはもちろん父親の南次郎がいるから、面倒な事になるのは目に見えている。

きっと手塚を見れば、テニスをしようと捕まえられて放してもらえない。
南次郎としてみては男のくせに、そんじょそこらの娘っ子よりも数倍可愛い自慢の息子。
普段は放任主義なのに、近寄る男や女には厳しい対応しかしない。
厳しいよりも、大人気ない方が近い。
子供っぽい悪戯から、汚い大人のやり方で、リョーマに言い寄る奴等を抹殺していた。
リョーマに友人が少ないのも、多分この父親の影響が高いからだろう。
そんな中で手塚は南次郎に認められた数少ない人間の1人なのだ。
だから、ちょっかいを出したくなるのだ。
一応は大切に育てた息子を取った相手に、ちょっとした可愛い(?)意趣返し。
手塚も南次郎の気持ちが何となくわかるので、進んで家に入ろうとはしない。
だがしかし、手塚の家族も似たようなもの。
南次郎とはちょっと違った面倒な事になるのだ。
手塚の家族はリョーマを気に入り過ぎているから。
自分の息子の何十倍も可愛いリョーマの世話を焼きたくて仕方がない。
好きな食べ物を聞けば、必ず夕食に出す。
好きなお菓子を聞けば、デザートに出す。
入浴剤を入れた風呂が好きだと聞けば、大量の種類の入浴剤を購入してくる。
えびせんべいが好きだと聞けば、好きな味を何袋も購入してくる。
「母さん、今日は越前を泊まらせたいのですが」
「あら、そうなの?嬉しいわね」
両手を合わせて、それはそれは嬉しそうに微笑んだ。
「寝る場所は部屋で構いませんので」
「ま、それじゃお布団を準備しないと。あっ、その前に今日の夕食は何にしようかしら?」
リョーマの好物を視野に入れて、メニューを考える。
ウキウキ気分でキッチンへ向かってしまった。
なんだか音符やらハートマークが飛び交っていたのは、目の錯覚か?
「相変わらずっスね」
「普段は大人しい人なんだが、お前が来るとな」
「俺のせい?」
物静かな母親も、リョーマが来ると少女みたいにキャピキャピと歳も考えずにはしゃいでしまう。
男親とちがって女親は、いつまで経っても可愛いモノが大好きらしい。
「先に部屋に行くか」
「うん、そうする」

「お邪魔するわね。はい、お菓子とジュース」
部屋に入り荷物を置くと、やっぱりというか、思ったとおりに母親がやって来た。
ジュースの差し入れに始まり、クッキーや煎餅やチョコレートなどのお菓子類。
食事前にお腹が一杯になりそうなほど持って来る。
少しならいいが、多すぎる間食は良くない。
次々に運ばれてくるお菓子を部屋の入口で断るが、性懲りも無く何度も来るので参ってしまう。
「…母さん、好い加減にして下さい」
「あら、いいじゃない」
「良くありません」
部屋の中央でぺたんと座っているリョーマは、2人の様子をハラハラと見守っていた。
普段の不遜な態度からは想像出来ないほどに大人しくなっている。
一応は好きな相手の親の前なので、子猫ほどの大きさの猫を被っているのだ。

だがしかし、それを抜きにしてもこの2人の会話は心臓に悪い。
恋人の実母に対する態度は、自分が言うのも何だけど、かなり厳しいと思う。
品性方向な手塚国光からは想像不可能なほど。
しかし、おっとりした性格の彩菜は、それをさらりとかわした上、反撃までしてしまう。
だから余計に手塚の態度がキツクなる。
堂々巡りをしているのは本人達もわかっているのだが、どうにも止められない。
「越前は今が大切な時期なんです」
成長期の身体には、あまり余計な物を与えたくない。
身体はかなり細いが、筋肉はしっかりついている均等の取れた身体だ。
抱き締めるのには丁度良いサイズだから、あまり大きくなって欲しくない。
縦ならまだ良いが横に大きくなられては本気で嫌だ。
「少しのお菓子くらい大丈夫よ」
「だから、これのどこが『少し』なんですか」
これで何度目になるのか、幾度と無く勧めるお菓子の量に眉を吊り上げる。
「だって食べてくれないじゃない」
「だからって何度も持って来なくてもいいんです」
何時までも続きそうなやり取りだった。
(今日もスゴイ…)
ドアの親子の会話を他所に、リョーマは出されたジュースに口をつける。
いつも飲み物だけは好きなファンタでは無くて、果汁たっぷりのジュース。
コーヒーや紅茶に比べれば、飲み易いからイイ。
今日はリンゴのジュースだった。
(…いつもだけど、こんなに買ってくるのかな?)
2人のやりとりを仕方なく見つめながらも、リョーマは考えてしまう。
お菓子は大好きだが、これほどの量を食べる胃袋は申し訳ないが自分は持っていない。
特に恋人が心配するので、出来るだけこの家では食べないようにしている。

しかも食事はリョーマの好むメニューばかりが並び、量もとてつもなく多いので、それだけでもお腹が一杯になってしまう。
「もう、そんなに怒らないの。国光は本当に気が短いわね…、一体に誰に似たのかしら?」
だから、こんなに老けて見えるのかしら?
自分の息子ながら、こんなに堅くては後々が心配。
若ハゲになったらどうしようかしら?
増毛とか植毛とかカツラもあるけど、やっぱり偽物で隠すのはイヤだわ…。
その時はやっぱり、全部剃ってもらいましょう。
云々と悩む母親の姿に、手塚は眉間に皺を寄せる。
「一体誰のせいだと思っているんですか?母さんが怒らせているんですよ」
ジロリと睨みを効かせても、やはり彩菜には効果は全く無かった。しかし、ここで引く訳にはいかな
い。

「もう、仕方ないわね…」
彩菜もわかってやっている事なので、一頻り楽しむとその行動を止める。
計画的犯行だと言えば、その通りだった。
可愛いリョーマを独り占めするのだから、これくらいは我慢して欲しいなんて、こんな母親の心情をすんなり理解出来るほど手塚は大人では無かった。
「それじゃ、もうすぐお夕飯出来ますからね。お菓子はほどほどにね」
にっこりとリョーマに向かって微笑むと、彩菜は部屋のドアを閉めた。
「だったら、どうして持ってくるんですか…」
手塚はドアの向こうの母親に、溜息混じりに呟いた。
自分の母親ながら、理解に苦しむ手塚国光だった。
「国光も毎回大変だね」
「まあな…」
ドアから離れリョーマの横に座れば、腕をぐいぐいと引っ張られる。
「何だ?」
「ほら、ちょっとだけいいよ?」
崩していた脚を元に戻し正座にすると、ぽんぽんと自分の太股を叩いた。
その意味を聞くまでも無い。
「…膝枕か…」
「うん、甘えても良いんだよ?」
ね?とちょこんと首を傾げる。
そんな愛らしい姿に、手塚の表情は緩む。
普段のリョーマを知っている者ならば、あまりのギャップの差に空いた口が閉じなくなるだろう。
手塚の前だけのリョーマの姿。
「では言葉に甘えさせてもらうか」
「ん、どうぞ」
ショートパンツから覗く太股に頭を乗せる。
弾力があって柔らかいとは言い難いが、肌触りは高級シルクに匹敵する。
「何だか、夫婦みたいだね」
膝枕を提案したリョーマは、自分がよくされている様に手塚の髪をゆったりと撫で上げる。
これで耳掻きでもあったら本当に新婚さん。
ラブでイチャイチャな新婚生活の一場面の出来上がり。
「夫婦か…それもいいな」
夫婦だったら自分が夫でリョーマが妻と、勝手に決め込んでいる。
「男同士じゃ日本は無理だけどね」
「結婚は無理だが、同棲は出来るぞ」
横を向いていた手塚は、仰向けに体制を入れ替えてリョーマを向き合った。
「同居じゃなくって?」
「同棲だ」
キッパリと言い切る。
“同じ家に住む”といった意味合いは同居も同棲も同じなのだが、同棲は正式に結婚をしていない男女が一緒に生活をすること。
言わば結婚の疑似体験。
「それも、いいね…」
「そうだろう?それにいつも二人きりだ」
今はこうして親に守られているが、何時かは自分の力で生きていく日がやって来る。
その時にも、こうして隣に好きな相手がいてくれたらかなり喜ばしい。
それがリョーマか、それとも違う相手なのか、今はまだわからないが、今はリョーマだけしか考えられない。
「んー、邪魔者がいないってコト?」
「それもあるしな…」
家族や友人の存在は時によっては苛立ちの原因になる。
折角の2人きりを邪魔されるのだけは我慢ならない。
それでなくとも、リョーマに惹かれている奴等が多い。
テニスの試合でその実力をまざまざと見せ付けられ、可憐なその姿態を惜しむ事無く曝け出す。
誰もが、この少年の虜になってしまう。
それは不二や菊丸だけでなく、他校の生徒からも。
「先輩達とか家族の人と一緒にいるよりも、俺と2人きりの方がいい?」
「当たり前だ」
くすりと笑うと、リョーマは手塚の目を自分の手で隠してキスをした。


中学生の2人にはまだ早い先の話。





事件簿その2ですね。