恋愛事件簿

その3





―――目撃者、不二周助。



「不二はさ、おチビのコト好きだよね〜?」
「…相変わらず唐突だね、英二」
3年6組に席を置くテニス部員の不二と菊丸。
同じ部活に属していて、しかも2人ともがレギュラーともなれば、仲良くない訳が無い。
つい先日の席替えでは、偶然にも席が隣同士になり、2人は授業中でもこうしてこっそり会話をしている。
ただし、2人の会話は長くは続かない。
決して仲が悪い訳でなく、お喋りに夢中になるのは良くない事で、学生の領分が勉学と運動だと、自分達もしっかり理解しているからだ。

「で、どうなの?」
コソコソと身体を近づけてくる。
両目は爛々と輝いていて『早く教えろ』と、強請っている。
「知っているのに聞いてくるんだ、英二って」
結構、性格悪いよね。
穏やかな笑みを一変させて、不二はトーンを低くして静かに言い放つ。
「にゃ?」
最後は菊丸の耳に届かなかったのか、キョトンとして不思議そうに首を傾げていた。
「…英二は何が知りたいのかな?」
菊丸の性格は重々承知している。
兎に角お祭り騒ぎが大好きで、周囲をかき回すだけ回して、自分はちゃっかり蚊帳の外。
でも、プラス思考の明るい人柄、人気者になるのが良く判る。
そんな性格が時には羨ましく感じて
しまう。

「や、別に…」
何が?と聞かれるとマジで困る。
特に深い意味合いは無い。
不二の本気がいつ噴火するのかが気になるだけで。
「越前君の事は好きだよ。でも彼には『特別』がいるから…」
「と、特別って!」
驚いた拍子に、ついつい声を荒げてしまった。
「声が大きいよ。英二」
ジロリと黒板の前の教師に睨まれたが、不二はニッコリと微笑を返しただけだった。
今は数学の時間。
数学の教師は部活の顧問である竜崎スミレ。
少しばかりなら融通が利くのか、スミレは『仕方ない』と、溜息を吐いて黒板に向かう。
不二も菊丸も成績が悪い方ではない。
特に不二は手塚や大石と同じく、学年で常にトップクラスに君臨している模範生徒の一人である為、捲くし立てて怒るのにはまだ早い。
「ゴメン、ゴメン…で、誰?」
音を立てない様に両手を合わせて、謝りつつも質問を繰り返す。
「そんなの、僕が言う訳無いでしょ。それに知らない方が良いよ」
菊丸に話せば、あっという間に広がるのは目に見えている。
好きな相手を困らせたくない。
非常識になれるほど、良い性格はしていない。
聞いたとしても大きなショックを受けるに決まっている。
「ちぇっ、不二ってばイジワルだにゃ」
「…英二だって、越前君を好きなクセに」
呟くように口に出した言葉に、菊丸の身体は途端に固まった。
冷や汗がタラリと一筋だけ背中を伝った。
「…知ってたの?」
「……誰だって気が付くよ」
あれほどまでに、リョーマにラブラブビームを出しておきながら、誰も気が付かないなんてオカシイとは思わないのか?
どうやら他人のコトはものすごく気になっても、自分のコトはお構い無しらしい。
「なーんだ…俺って判りやすいんだ」
「ほら、お喋りはここまでにしよう。チョークが飛んでくるよ」
竜崎は黙って黒板に数式を書いているが、いつ、その手元のチョークが飛んでくるのかわからない。
テニス部の顧問を長年しているが故に、コントロールの腕前はかなり正確だ。
的にされればクリーンヒットは必至。
不二も菊丸も大人しくチョークを受けたりしないが、逃げれば後が怖い。
この後の部活を考えれば、ここは授業に専念するのに限る。
「ほいほい…大人しくベンキョーしましょ」
目の前のノートを開くと、シャープを握った。
「そうだね」
にこりと微笑むと、不二は正面を向いた。
ここで会話は終了したが、菊丸の頭の中はリョーマの『特別』が気になって仕方が無かった。
聞き出したいのはやまやまだけど、不二は案外口が堅いので絶対に言わないだろう。
リョーマに至っては、言う訳が無い。
残るのは、仲の良い2年生レギュラーの1人と、1年生の3人組。
「…知ってるのかな?」
2年生レギュラーである桃城は、ついこの間までリョーマと共に帰っていた。
帰っていたよりも、買い食いしてただけだったけど。
今は1人で帰っている…どうしてなんだろう?
桃城は『あわよくば…』と、リョーマに接していたが、リョーマにはその気は無い。
一人っ子のリョーマは、桃城を兄の様な存在だと思っていたからだ。
可哀相だけど、兄から恋愛に発展する可能性はゼロに等しい
1年生の3人組は、悪いがただの金魚のフン的存在。
ついでに、女子テニス部に属している、長い三つ編みをしている顧問の孫も同じ。
リョーマが自ら進んで自分の話はしないだろう。
「知らなさそう…あ…」
手塚は知っているんだろうか?
不二は知っているけど、手塚はどうなんだろう?
…気になる。
「ちょっと聞いてみよっかな」
「…英二」
「にゃに?不二」
「そろそろ本気で飛ぶよ…」
「にゃ!それはマズイ」
慌てて机に広げたノートに、黒板に書かれた数式を書き込み始めた。

「…本当に英二には困ったもんだね」
漸く授業に身を入れた菊丸に、不二は小さく笑みを零す。
不二も再び身体を正面に向かせ、白いチョークに彩られた黒板を見つめた。

世の中知らない方が良い事があるのだ。
リョーマの『特別』には不二でも決して敵わない。
悔しいが、負けを認めざるを得ない。
不二が『特別』を知ったのはつい最近。
不穏な動きをする二人に気付いたのも、つい最近だった。
きっと誰も気付かない些細な行動を、不二の瞳はしっかりと見てしまった。

瞬きほどの一瞬の間に絡めあう互いの指先を。
離れた指先を惜しむように、そっと握り締められた互いの手を。
掠め取るように触れたのは、『特別』の大きな手。
触れてきた大きな手を当たり前の様に受け止めたのは、リョーマの小さな手。
見なければ良かった。
確かめなければ良かった。
リョーマのベクトルが自分には絶対に向かないのを知ってしまうのなら。
不二は珍しく諦めの良い男になった。
しかし、ここで諦める菊丸では無かった。

菊丸がリョーマと手塚の関係を知るのは、この後の部活の時間で。



―――発見者、菊丸英二


「おーい、手塚」
部活の時間まであと10分。
ホームルームを終えた菊丸は、不二を置いて先にコートに登場し、既にコート内のフェンスにもたれ、腕を組んで時間を待っていた手塚に近寄った。
「何だ、今日は不二と一緒ではないのか?」
コートの入口で己の名前を呼ぶ相手を見れば、菊丸が笑顔で軽いステップを踏んでいた。
『嫌な予感』と、いうものは本当にあるものだ。
怪し過ぎる笑顔がそれを壮大に物語っていた。
全く動こうとはしない手塚に、菊丸の方から軽い足取りで近寄ってきた。
「ちょーっと、聞きたい事があってさ」
「聞きたい事?」
ニコニコと笑顔を見せる男に、眉間に皺を寄せて不審な目を向けた。
「手塚はおチビの特別って知ってる?」
菊丸の突拍子の無い言動には、大石では無いが神経が病みそうだ。
鋭い所があるのは確かだが、鈍い所も同じ様にある。
「…それを知ってどうするつもりだ?」
「ってコトは、手塚は知ってるんだにゃ?」
キラーンと目が輝いたのは、きっと見間違いではない。
面白い事が大好きで堪らないこの男は、こうしてすぐに顔に出る。
本当にわかり易い性格。
「…あぁ、知っている」
「じゃ、教えて」
「だから、どうするつもりだ」
「…ちょっと、からかってみよっかな…なーんてね」
エヘ、とちょっぴり可愛い子ぶってみたが手塚には全く効果無し。
逆にもっと口を閉ざしてしまった。
「そんな理由で俺が教えると思うのか?」
「…思えません」
「ならば、諦めろ」
ピシリと言い切ると、手塚は菊丸から離れて行った。
幾分か怒り口調だったので、さすがの菊丸でもそれ以上は突っ込めない。
手塚を怒らせたら部活中は延々とグラウンドを走らなくてはいけなくなる。
絶対それだけは勘弁して欲しい。
しかもその直後に部活が始まってしまったので、聞く機会は皆無に等しくなった。

「ちぇっ、何か消化不良ってカンジ」
「どうかしたんすか?英二先輩」
「なーんだ、桃か…」
「桃か、じゃないっすよ
端で自分の番を待っていると、同じように待っていた桃城が隣に立つ。
コート内では、さっきまで話していた手塚と不二が打ち合っていた。

この2人の乱打は普通ではない。
あらゆる場所に打つし、それをいとも簡単に打ち返してしまう。
2人ともが化け物だと思う。
近付けない2人の強さは、この青学テニス部の強さを際立てている。
「…あっ、おチビ…」
2人の乱打を見ていると、反対側にリョーマの姿が見えた。リョーマも同じように2人を見ていた。
初めは目線だけを動かしてボールを追っていた。
ボールに飽きると、顔を動かして身体の動きを追っている。
おチビならこの2人と対等にやれるんだろうな)

溜息を吐きたい気分になった菊丸に桃城は「あっ、そう言えば」と、小声で尋ねた。
「英二先輩…越前って部長と付き合ってるって噂、ホントなんすかね?」
「へ?」
間抜けな返事と共に桃城を見れば、自分と同じようにリョーマを見ていた。
桃城の突然の言葉には、耳を疑ってしまった。
「それ、本当?」
そんな噂、全然聞いたコトが無い。
がしっと肩を掴み、噛み付かんばかりの勢いで桃城に確かめる。
「いや、だから噂っすよ、英二先輩」
ははは、と笑い桃城は一歩だけ後ろに下がる。
まさかここまで喰いついてくるなんて、予想もしていなかった。
鬼気迫る菊丸の姿は、試合ならともかく部活中では滅多に見られない貴重なものだ。
乱打をしていた手塚と不二も、大声を出した菊丸をチラリと見た。
同じ様に反対側のリョーマも不思議そうな顔。
急いで『何でもない』と、ジェスチャーで示すと、3人は菊丸から視線を外した。
「噂…にしては何だかな…」
もしかして?と、逸る気持ちを抑えられない。
これは早速確かめてみなくては。
「早く終わらないかな〜」
「英二先輩、不気味っすよ?」
悩んだ顔をしたり、いきなりニヤケたりして、見た目は百面相状態だった。
部活が終わるのを待ち侘びている菊丸に、手塚の叱咤が飛ぶのはこの後すぐ。

「ほへ〜、終わったよ〜」
「何で俺まで走らされるんすか?どう考えても英二先輩のせいっすよ」
「まぁまぁ、たまにはいいじゃん」
手塚は余計なお喋りをしていた菊丸と桃城に、グラウンドを走らせていた。
たったの10周だったので、それほど疲れはしなかったが、巻き込まれた桃城にはたまったものではない。
着替えの為に部室へ入れば、1年生のコート整備もボール集めもとっくに終わっていて、既にもう数人しか残っていない。
「さっさと着替えて帰りましょう」
「今日はちっと用事があるんだにゃ」
「そうなんすか?」
珍しいっすね。
菊丸と桃城は気が合うのか、最近は帰りを共にする確立が非常に高い。
のろのろと着替える菊丸に対し、猛スピードで着替える桃城。
「じゃ、お先に失礼しまーす」
バッグを抱えると、桃城は部室を出て行った。
「それじゃ、お先に〜」
「お疲れ様したっ」
桃城の後を追うように、次々と部室を出て行く部員達。
残ったのは手塚とリョーマと菊丸のたったの3人。

「珍しいっスね、菊丸先輩がこんなに遅いなんて」
珍しい人物の姿にリョーマは「あれ?」と少しだけ首を捻っていた。
「おチビだって、まさかだけど…いつも?」
「そうっスよ」
当初はさっさと帰っていたハズだ。
こんなに遅くなるなんて、絶対に理由があるハズだ。
…その理由は一つしか無い。
チラリと部室にある机を見れば、手塚が部誌を書いていた。
ここからでは背中しか見えないが、これは決定的だろう。

(リョーマの特別は手塚なんだ)
手塚が自分に『特別』を教えなかったのは、自分が『特別』だったからか?
失恋が決定になった今、菊丸の心を占めているのは、ただの『好奇心』になっていた。
「手塚!」
呼び掛けられて、手塚は後ろを振り返る。
声に出さないが、『何だ?』と目が訴えている。
「おチビの特別が分かったよ」
手塚に言った一言に反応したのはリョーマだった。
「俺の特別ってなんスか?」
「エヘヘ〜、おチビが誰かさんと付き合ってるって噂があるんだにゃ」
知ってた?
得意気に腰に手を当てて、エッヘンと鼻高々に胸を張っている。
「誰かって…部長のコトっすよね」
「にゃ!にゃんでハッキリ言うんだよ〜」
サラリと言うリョーマに、口を尖らせてブーブーと文句を言ってきた。
「何で俺が文句言われなくちゃいけないんスか?」
リョーマとしては、こんな態度に出られるなんて心外だった。
こんな逆ギレされるなんて反則だ。

「だって、そんな…」
こんなに簡単に白状するなんて、しかも、今に始まった状態じゃない。
ま、まさか…この2人って、最近じゃ無くって、もっと前から?

ぐるぐると色々な考えが、浮かんでは消えていく。
「えー、ワケがワカンにゃい〜」
「…菊丸、少し落ち着け」
「そうっスよ」
「な、何で、二人ともそんなに冷静なんだよ?」
良く考えれば、自分だけがこうして慌てている。
当人達は至ってケロッとしているから、それが余計に気になる。
「…別に本当だし。そろそろ誰かにバレるかなって思ってたから」
「特にお前には隠す必要性が無いからな」
「…そ、それって…」
「お前も好きなのだろう?」
不二と菊丸と自分は、結局は同じ穴の狢。
同性で、しかも同じ人に恋をしているのだから。
ぐっ、と息を詰らせる菊丸に、手塚は不敵な笑みを浮かべていた。
「リョーマ、こちらにおいで」
不敵な笑みのまま椅子から立ち上がると、リョーマを呼んだ。
一度も聞いた事の無い優しい声で。

「うん」
リョーマは菊丸から離れ、手塚の横に立つ。
頭一つ分も違う身長の差も、2人には何の障害にもならない。
横に立てば、手塚の手が自然にリョーマの腰にまわされていた。
「リ、リ、リョーマって呼び捨て?まさか、おチビも手塚の事を…」
それに驚いた菊丸は、裏返った声を出してしまった。
恋人なんだから、ファーストネームで呼び合うのは自然な関係。
部活の2人しか知らないから、名前に対しては全く想像していなかった。
「当たり前だろう」
「菊丸先輩、怖いっスよ」
2人の普通な反応にクラクラしながらも、菊丸は何とかその場に立っていた。
ちょっと噂の真相を確かめようとしただけなのに、どうしてこんなにラブラブなのを見せ付けられなくてはいけないんだ。
「…噂じゃ無かったんだ」
「あぁ、そうだ」
目の前の恋人としての2人。
時折交わす視線には熱い何かが含まれている。
「…不二も知ってるんだよね…うわ〜何か怖い…」
「不二は俺に直接聞いてきた。その頃はもうリョーマと付き合っていたからな」
「直接って、不二らしいな。そっか…」
不二が俺に言わなかったのは、優しさからなんだろうな。
あぁ、なんかこんなコマーシャルあったな、『半分は優しさで出来てる』って、じゃ残りの半分は何なんだろうってさ、どう考えても薬なんだけどね。
でも不二は…。

(不二はああ見えて、天使の笑みで悪魔な発言をするから。発言ならまだしも、行動にも移しちゃうんだよね。なんであんなにキレイな顔してるのに、性格と全然合ってないんだろう?世界の七不思議の一つにしてもいいんじゃない?あ〜あ、手塚に何か報復でもすんのかにゃ?うわ〜、南無阿弥陀仏〜、何つってね…)
あまりのショックに現実逃避を企んでみるが、これは正真正銘の事実。
しっかりと認めなければいけないのだ。
「そうなんだ…ちぇっ、おチビがお手付きだったなんて悔しいな」
「悔しくても現実だからな」
「菊丸先輩の気持ちは嬉しいけど、ゴメンなさい」
リョーマはペコリと小さく頭を下げて謝った。
この時、不意に悟ってしまった。
2人が本気で想い合っていると、真剣にお互いを想っていると。

―――諦めろ!

決して言わないが、そういう意味が含まれている。

―――諦める。

選択肢は最早それだけしか残っていない。

「現実か…」
手塚の本気は、思っていたよりも本気だった。
恋に溺れる手塚の姿は到底想像出来ない。

リョーマもやっぱり想像出来ない。
「ま、お前達が幸せならいいんだけどね」
「心配するな、俺達なら大丈夫だ」
「そうそう、大丈夫だよ」
「…そうですか…」
茶化すつもりで言ったのに、2人とも全く違った反応しかくれない。
ちょっと俯いて一つだけ大きな溜息を吐いた。
「でも、あんまりバラさないで下さいよ」
「言えないよ…」
「お前は口が軽いからな…心配だ」
「言わないよ…」
本音は言いたくて仕方が無い。言うとしても、テニス部の極一部しかいないけど。
しかしながら、二人が付き合っているのを知ったのと同時に、自分の気持ちを知られてしまった。
下手な事を言えば、何倍にもなって返ってくるに違いない。
手塚とリョーマを怒らせたら、部活に出られなくなってしまう。
仕方ないから、暫くは見守っていよう。


関係者で発見者の菊丸英二。
目撃者の不二周助。
加害者は手塚国光。

いろんな意味で被害者の越前リョーマ。

リョーマを狙っていた3人の男の関係は、簡単に説明すればこんな感じだった。





不二まで登場。