恋愛のススメ


3. 『味方は多いほうがいい』




「…何でだよ」
ちぇっ、と舌打ちをしながら手塚とリョーマの2人を見ているのは、つい先日不二に続き手塚からの牽制を受けた菊丸だった。
(よりによって手塚なんかと…)
生命感に満ち溢れた2人を見ていると、手塚の話を思い出してムカムカしてしまう。

またしても昼休みの時間に手塚は3年6組にやって来た。
今度は不二に代わり菊丸を連れ出す。
そして部室内での遣り取り。
『俺は越前と付き合っている』
まずは頭の上に重石でも乗せられたかのようなダメージ。
初めは自分の耳を疑った。
何かのパフォーマンスなのかとも思った。
『またまた〜、何、これって懐かしのドッキリってやつ?本物見た事ないけど、こういう場合って、隠しカメラがどっかにあるんだよね〜』
『…俺は本気で言っている。これが嘘だと思うのなら、越前に聞くが良い』
顔色一つ変えないで、手塚は菊丸に言う。
ようやく菊丸も、これが本気だと悟り始めた。
『でも、何か嘘っぽいにゃ〜』
『だから嘘では無いと言っているだろうが。お前には学習能力が無いのか…』
『だって信じられないんだもーん』
未だにどこか疑っている菊丸に、リョーマとの関係を詳しく話した。
『…越前には気安く近寄るな、いいな』
絶対に有無を言わせないその命令口調に、菊丸は思わず頷いてしまっていた。
あの時『俺だって好きなんだ』と言い返したかったが、手塚の迫力に菊丸は小さくなっていただけだった。

「む〜、手塚め〜」
思い出していたら、余計に腹が立ってきたのか、頭の後ろで手を組んで、唇を鳥のように尖らせてぶつぶつと文句を口にしていた。
「どうかした、英二?」
手塚に呪いでも掛けそうなほどじっと見ている菊丸に不二は声を掛けた。
「あっ、不二…もしかして不二もさぁ、手塚から何か言われた?」
「何かって、英二が聞きたいのはリョーマ君の事?それなら聞いているよ」
「じゃ、率直に聞くけど、どう思った?」
動物的な勘は大当たり。
不二も自分同様、手塚から牽制されていたのを知った。
「うーん、まぁ、手塚もリョーマ君も真剣だし、ちょっと手は出せないなぁって思って…」
「思って?」
一旦、口の動きを止めた不二に次を言うように促すが、不二は微笑んだまま菊丸から視線を外した。
外した視線は菊丸が見ていた手塚とリョーマへ。

今はまだ部活が始まる前の短い時間。
手塚は珍しく早くからコートに入って来たリョーマを捕まえて、何やら話をしている。
普通に見れば『部長から説教中の越前リョーマ』の図。
じっくり観察していれば、それは勘違いだとわかるが、2人の関係を知っているのはまだ不二と菊丸だけ。
今までと違う雰囲気に気付くのは、不二と菊丸だけ。

「僕はね、2人を見守る事にしたよ」
手塚の本気と、自分の入る隙の無い2人の関係に、不二は自分が惨めになる前に手を引いた。
この判断に正解は無いが、不二にはこれが得策だった。
たとえこの先、手塚とリョーマが別れても、リョーマが振り向くとは考えにくい。
手塚に勝るものがあれば、それは有り得るかもしれないが。
今の時点で手塚に敵うものが見当たらない。
テニスと勉強をカウントに入れては誰もが不利だが、リョーマが手塚に求めたものは目に見えてわかるものとは違う。
人当たりの良さなんて、これといった好印象にはならない。
「ウソ?マジで?だって不二もおチビが好きなんだろ?何でだよ、そんなの何か不二らしく無い」
声だけでなく、身体全体を使って驚きを表現して、不二を凝視していた。

菊丸がリョーマに対して『好き』の感情を自覚したのは、ランキング戦の後だった。
可愛らしい姿とは異なる口の悪さと愛嬌の無さには誰もが閉口する中で、菊丸はそんな生意気なリョーマに恋心を抱き始めた。
誰だって粋がる年頃はあるもので、菊丸もリョーマと同じ1年生の時にはこんなものだった。
『強がっちゃって、カワイイにゃ』
何だか懐かしいと思うのと同時に、キューピットの矢は菊丸のハートに命中してしまった。
しなやかな身体、大きな瞳、少しクセのある髪。
どれもこれも、菊丸の心をくすぐった。
そして不二の心にもリョーマに対しての想いがある事を感じ取っていた。

「僕らしいって一体何?僕は愚か者じゃないよ」
「…じゃあ、俺は愚か者ってワケ?だって好きなら諦めたくないじゃんか」
静かな不二の様子に、菊丸も熱くなりかけていた声と自分を抑える。
「英二がもう少し手塚の想いに素直に受け止めたら、僕と同じ気持ちになるよ」
「手塚の想いっておチビが好きって事だろ?そんなの俺だって同じだし…何が違うんだよ?」
手塚の『好き』も不二の『好き』も、そして菊丸の『好き』も全て同じ“好き”なのだ。
その感情の意味はどれも同じで、誰もが同じ意味の“好き”でリョーマを見ている。
何が違うのかなんて、菊丸には全くわからない。
「それは英二が見つけてよ。これは僕が言うよりもいいと思うから」
訳がわからないと左右に首を捻る菊丸を置いて、不二はコートに入ってきた河村の方に行ってしまった。

「…見つけてって言われてもなぁ」
知らない間に恋人同士となっていた、手塚とリョーマ。
想いを伝える前に、手塚から釘を刺されてしまった。
諦めたくないけど、伝えたところで玉砕になるのは決定的。どうする事も出来ない複雑な気持ちを抱えて、菊丸はまだ会話をしている2人をちらりと見た。
「手塚の想いか…」
2人から目を離し、梅雨特有の曇天から打って変わった晴天を菊丸は見上げた。
青い空にぽっかりと浮かぶ白い雲。
一つの雲が流れる途中で二つに分かれる。
長閑過ぎる景色に菊丸はぶるぶると頭を振って、今一番の問題となっている手塚だけを大きな眼で凝視する。
「…あ〜…」
頭に血が昇っていた先程とは違った視線で見れば、手塚の表情に気が付いた。
薄っすらと笑みを浮かべた優しい顔でリョーマを見ている。
これはちょっと見逃していた部分だ。
はたして相手であるリョーマはどうなのかと、ちょっとだけ場所を移動した。
傍から見ている分にはかなり不穏な動きで手塚の後方に回り込み、リョーマの顔が正面になる位置に立った。
(うわ、嬉しそうな顔しちゃって…)
普段から愛想の無いリョーマが、軽く相槌を打ちながら楽しそうに笑っていた。
何となく不二の言葉が理解できた。
手塚の一方的な想いを押し付けているのでは無く、リョーマも手塚が好きなのだ。
「…そういうワケか、でも俺は…」
産声を上げてしまった想いは捨てられないけど、いつかは心の底から2人を祝福できる日がくるかもしれない。
だからっていきなり今までの自分を変えるつもりは無い。
手塚や不二にどんな事を言われようとも、今まで通りの自分を突き進むのみだ。
「よし、決めた。俺は俺で行くぞ!おっチビー」
本来の自分を取り戻して明るく笑うと、駆け足でリョーマに近寄った。

「わーい、おチビ〜」
「ぶっ、き、菊丸先輩…重いっス」
背中から覆うようにリョーマに抱きついた菊丸。
抱きつかれたリョーマと言えば、急な事に身体が反応しきれずよろけていた。
「おチビってば、こんなんじゃ駄目だぞー。もっと筋トレでもして足腰を強化させないとな〜」
目の前にいる手塚のなど視界に入っていないのか、菊丸は平然とリョーマに抱きつく。
「菊丸先輩がこんな事をしなきゃ、いいだけっス」
「いいじゃん、これも先輩と後輩の一種のコミュニケーションだぞ」
ぎゅー、と音がしそうなほど強く抱き締めて、菊丸はリョーマの帽子の上に顎を置いた。
「俺くらいじゃないんスか?こんなコトすんの」
「ちっちっ、桃にもたまにやってるにゃ」
「な、ちょっ、痛いっスよ、放して下さい」
ぐりぐりと顎で頭を刺激すると、リョーマは嫌がるように身体を捩る。
「しょうがないにゃ〜」
充分に堪能してから身体を離すと、何事も無かったかのように笑う菊丸の顔と、苦虫でも噛み締めているような手塚の顔があった。
「やっぱ、おチビはも少し筋肉を付けた方がいいにゃ。手塚もそう思うだろ?」
やりたい事をやりたいようにすると決めた菊丸は、悪戯な瞳で手塚を見ていた。
「…越前はまだ成長途中だからな、これから付くだろう」
「だってさ、おチビ」
「…うるさいっス。菊丸先輩、ちょっと付き合ってくれませんか?」
「いいよん」
ペシペシと帽子の上から頭を叩かれたリョーマは、言われるばかりじゃつまらないと、ラケットを持って菊丸を空いているコートに連れて行った。
「手塚、相手が悪かったね」
「あぁ、わかっているが。どうにかならないのか…あいつのあの性格は…」
「ふふ、大石が手を焼くくらいだからね」
これが全体練習の最中なら、菊丸にはグラウンドを走らせるのだが、まだその時間にはなっておらず、手塚は睨みつけるだけしか出来なかった。





「菊丸先輩は何も変わらないっスね」
桃城の誘いを断ってリョーマは手塚を待っていた。
「そうだな、あいつには効果が無かったみたいだな」
手塚はユニフォームを脱ぐと、デオドラントスプレーで汗を掻いた身体を清めた後、綺麗にたたんでおいた真っ白いシャツを身に着けた。

部活が終わった後、ここに残るのは手塚と大石がほとんど。
鍵当番は副部長の大石の役目となっているが、手塚も部長として合鍵を持っている。
その鍵で部室を閉めて帰るので、大石を先に帰らせても全く問題は無い。
今日は珍しく大石の方から「用事があるから先に帰らせてもらうな」と言われたので、リョーマは一番最後まで残る手塚を待っている。

「不二先輩が言うには、菊丸先輩も俺達の事、わかってくれたみたいだけど」
「不二がお前に?」
ボタンを嵌めている手が止まる。
わざわざリョーマに言う辺り、不二は応援すると言いながらも、どことなく遊んでいるのかと、眉をしかめる。
「別に俺に言ってもいいんじゃないの?どうせ俺も関係しているんだからさ。国光は気にしすぎだよ」
ベンチに座っていたリョーマは立ち上がり、眉間によっているしわを指でツンと突付く。
不二や菊丸に対して敵対心を抱いてしまう手塚を、リョーマは可愛いと思っている。
常に大人びた風貌で接している手塚も、リョーマの事になると、別人のようになってしまう。
そんなところが好きなのだ。
自分は手塚にとって別格の存在。
「…それもそうかもしれんが…」
納得できないのか、手塚は黙ってしまった。
「誰が何を言っても俺はあんたが好きだし、それにこんな事するのもあんただけだよ?」
リョーマは両腕を手塚の首にまわし爪先立ちになると、への字になっている唇に触れるだけの口付けをすると、そのまま抱き締めていた。
「リョーマ」
「…国光もしてよ」
瞳を閉じて唇だけを突き出したリョーマに、手塚の機嫌は治まり始める。
「…こんなところで煽るな」
リョーマからの軽やかな口付けに煽られた形になった手塚は、方手をリョーマの背中にまわし、もう片方を頬に添えると、薄く開いている唇を近付けた。
暫くの間、口付けを楽しんでから部室を出て行った。

「不二先輩と菊丸先輩は、俺達の関係をわかってくれたんだから、味方ってワケなのかな?」
2人で帰る道のりは特別な時間。
すれ違う人達は自分達の関係を知らないから、何も気にしないで通り過ぎていく。
それが普通の反応。
「不二と菊丸が俺達の味方か。ふむ、難しいところだが、今のところはそうだろうな」
横に並んでいても、これが男女ならカップルに見えるだろうが、自分達は男同士で、せいぜい友人がいいところだ。
「味方は多い方がいいしね」
「まぁ、そうだが。不二と菊丸は味方と言うよりも、お前を好きなだけなのだが…」
表では味方でも、裏ではいつ裏切るかわからない。
リョーマにとっては味方でも、手塚にとっては敵。
気を緩めてはいけない相手だ、2人ともが。
「不二先輩も菊丸先輩も何で俺なんだろ?他にもいっぱいいるのに…」
どう考えても、女子からモテモテの不二と菊丸なのに、なぜ自分を好きになるのかが正直言って理解できない。
男女の恋愛だったら幾らでも出来そうなのに。
「それはお前が魅力的だからだ。俺達はお前に惹かれずにはいられないんだ」
「…達って、まだいたりするのかな?」
恋人の座を射止めた手塚を筆頭に、不二と菊丸。
今でも3人いるのに、これ以上は困る。
「さぁな、それは俺にはわからないが。俺としては出来る事ならこれ以上は増えて欲しくないな」
「…俺もヤだよ」
どうしてこう“男”ばかりにモテるのか…。
リョーマにとっては不思議でならない。
「それでも、何があっても俺は…あんただけだから」
照れたように言うリョーマを抱き締めたい衝動に駆られるが、ここは公道で、他人の目もある。
「俺もお前だけだ」
言葉だけで抑えておいた。 

「じゃ、また明日」
「朝練には遅れるなよ」
「わかってるよ…」
きょろきょろと、周囲をくまなく見渡して誰もいないのを確認すると、リョーマは手塚の頬に口付けた。
「じゃあね」
「あぁ、気を付けてな」
それっきり振り返らず自分の帰る方向を歩き出す。
振り返ってしまったら、離れたくなくなるから。

そんな想いを胸に、2人はお互いの家路を歩いていた。



第3話は不二に続いて菊丸を牽制する話です。
でも菊丸の性格上、絶対に不二のようにはいかない。
諦めの悪いお子様です。