「で、どういう関係なの?」
「そうだにゃ!」
不二と菊丸が訊きたくなる気持ちが良くわかる。
無論、他のメンバーも口に出さないだけで全員が同じ気持ちである。
突如ラブラブモード全開にしている2人の姿は、誰の目にも恋人同士としか思えなかった。
「俺達の関係か?」
「そうだよ」
普段の生活の中では無表情で仏頂面の真面目な顔しかしない手塚が、嘘の様に柔らかな表情をしながらリョーマを見つめている。
初対面である事も含めて、素っ気無い態度をしていたリョーマも心底嬉しそうな顔で手塚を見つめ、しかも花が咲くような美しい笑顔を、手塚にだけ見せている。
どう考えても自分達は知らない“何か”が、この2人の間にあるとしか考えられない。
「是非、聞かせて欲しいな」
折角こんなに可愛い子とお近づきになれたと思ったのに。
(((もうお手付きで、しかも相手が手塚だなんて)))
悔しい思いばかりが、高等部メンバーの中にぐるぐると渦巻いていた。
「…俺とリョーマは…」
ここでしっかり説明しなくては、絶対にここから動かないだろう。
しかし、言いたくないのが本音だ。
「いいよ、国光。俺が説明するから。えっと、俺と国光の出会いは…」
言い難そうにしている手塚を気遣って、リョーマが説明を始めた。
――― 2人の出会いを。
リョーマの父親は世界屈指のテニスプレイヤーで、名前を越前南次郎といい、日本でテニスをする者ならその名前を知らない者はいないほどの有名人。
母親も同様にテニスプレイヤーで、2人の出会いは南次郎が世界を相手にする為に向かったアメリカだった。
2人はそのままアメリカで結婚し、数年後リョーマが生まれた。
しかし両親ともがテニスプレイヤーの為に、試合の度に世界各国を飛び回る生活をしていた。
リョーマは決して声にも態度にも出さないが、本当は寂しい思いを幼い頃からしていた。
そんなリョーマが手塚と出会ったのは、ジャパンオープンの時だった。
珍しく両親揃って日本へ行く事になったのだ。
しかし、リョーマが寂しい思いで過ごしているのは変わらなかった。
日本に着いてからの2人は調整の為に練習ばかりで、借りているホテルには帰って来ない日が続いていた。
「…つまんない…」
1人きりでホテルの部屋にいるリョーマは、この時まだ4歳だった。
ホテルの部屋で両親が用意した沢山のおもちゃで遊ぶのも、渡された子供用のラケットでボール遊びをするのも飽きてしまっていた。
「…ん、そと、いこ…かあさんいるかなぁ」
決めると部屋から出る。
誰にも見付からないようにこっそりとホテルから抜け出し、両親がいるだろう場所に向かい独り歩き出す。
但し、両親のいる場所は、4歳の子供が歩いて行ける距離では無かった。
初めて来た日本ではあるが両親が日本人の為、英語だけでなく日本語も話せるし、見た目だって何処から見ても日本人。
この時代、小さな子供が1人でいても気にしない。
だからリョーマはひたすら歩いた。
歩いて、歩いて、歩き回った。
「…ここ、どこ?」
リョーマがホテルを出た時は、おやつタイムを過ぎた頃で、その頃の空は雲一つ無い真っ青な空だったのに、今は綺麗な朱色に染まっていた。
しかも知らない間にどこか広い公園の様な場所に入り込んでしまい、リョーマはキョロキョロと辺りを窺う。
「…かえる…」
来た道を戻ろうと歩き出すが、広い公園の入口はたった1つでは無かった。
どうやら入った時と違う入口に向かっていたらしく、
「…あれ?ここ、どこ…」
公園から出たところで自分が歩いた道の風景と全く異なった風景に気付き、リョーマはパニックに陥っていた。
「…やだぁ…」
赤かった空は段々と闇に包まれていく。
その闇に支配されそうな空が恐くなり、リョーマは慌てて走り出しホテルに帰ろうとする。
「…あっ」
一生懸命走り続けていたが、小石につまずいたリョーマは地面に転がった。
「…う〜…」
起き上がってもジンジンと痛む膝には血が滲み、両手は転んだ時に擦ってしまい赤くなっていた。
「ひっ…うっ」
痛みと恐怖にリョーマは今まで我慢していた涙をポロポロと流しても、人通りの少ない路地では誰もその存在に気付かなかった。
「…どうした?」
「…うくっ、いたいよぉ…」
この時、地面に座り込んで膝を抱えているリョーマを発見したのは、当時6歳の手塚国光だった。
「怪我…している?」
テニススクールの帰り道が水道工事中の為、今日はいつもと違う道で家に帰っていた手塚が迷子かと思い、慌てて近寄って来た。
「…うっ、ひっく…いたいよ…」
頭の上から降って来た声に反応し、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げたリョーマの何とも痛々しい姿に手塚の胸はズキリとした。
顔を上げた事で見えた膝に真っ赤な血がべっとりとこびり付いていて更に胸が痛んだ。
「大丈夫か?」
「…ひっ、やぁ、いたい、いたいよぉ…」
「…あっ…痛かったのか?…」
傍に座り持っていたスポーツバッグの中から使っていないタオルを取り出し膝の血を拭えば、リョーマは傷口を擦られる痛みでまた泣いてしまい、汚れていない面で涙を拭った。
「…家に連れて行ってもいいのかな?」
本当は警察に連れて行こうと思ったのだが、必死になって抱きつき泣きじゃくるリョーマをそのままにしておけないと、手塚はリョーマを抱えて自宅に連れ帰る事にした。
たった2つだけの年齢の差だったが、リョーマの身体はまるで羽根が生えているかの様に軽く、そしてとても温かかった。
手塚はそんなリョーマの身体をずっと抱えて、自分の家まで歩いていた。
突然連れて来た自分よりも幼い子供を見つけた時の様子を母親に話し、膝の傷と手の平の手当てをすると、泣き止むまでずっと頭を撫でていた。
「リョーマ君、もうすぐお迎えが来ますからね」
リョーマを慰めながら聞いた両親の名前は、テニスをしている手塚には聞き覚えがあり、どこの子供なのかは即判明した。
急いで自分の通っているスクールのコーチに連絡を取れば、コーチも慌てて関係者に確認していた。
有り難い事に、手塚の通っていたコーチがリョーマの父親と面識があった為に、簡単に連絡が取れた。
その数分後、『直ぐに迎えに行きます』と、直接リョーマの母親から手塚家に連絡が入り、これにて一件落着かと思いきや。
「リョーマ、帰るわよ」
「ヤダ、くにみつといっしょがいい」
ぎゅうっと手塚に抱きついて離れない。
日本に来て初めて優しくしてくれた相手と離れたくない。
ホテルに帰っても一人きりは変わらない。
退屈で寂しい毎日はもうイヤだ。
幼いリョーマには手塚の存在は格別のものだった。
迎えにやって来た母親にも、嫌がって逃げる様に手塚の後ろに隠れる始末。
「困ったわね。今までこんな事無かったのに…」
「…あの、もしよろしかったら、ここで暫くの間お預かりしましょうか?」
困り果てたリョーマの母親に、救いの手を差し伸べるように手塚の母親が提案したのが、2人の恋の始まりだったとは、この時は全く思いもしなかった。
日本ではなかなか認められなかった同性同士の結婚も漸く法律で定められて早数10年。
今では男でも子供が産める。
産めると言っても、多額の費用を掛けて手術を行わないといけないのが現実で、男同士の結婚の際では出生率はかなり低い。
それに幼い2人には結婚なんて先の話。
結局はリョーマの両親は数ヶ月間をこの日本で過ごし、手塚家と越前家は家族ぐるみの付き合いをしていた。
「将来は国光君とリョーマを結婚させたいわ」
「私もそう考えていたのよ」
「でも、2人とも長男で一人っ子なのよね。どうして世の中はこう上手くいかないのかしら?」
「それが問題なのよね」
子供同士は仲良くテニスをしているその横で、リョーマの母倫子と手塚の母彩菜は息子達の将来についての会話をしていた。
うーんと、悩む2人の前でラリーをしている手塚とリョーマは、幼い子供とは思えないほどのスピードと重みのあるボールを打っていた。
「…わっ…」
カラカラと音を立てて、リョーマの持っていたラケットがコートの端に飛び、リョーマは反動で地面に倒れた。
その音に2人の母親が慌ててベンチから立ち上がるが、それより早く手塚が動いていた。
「リョーマ、大丈夫か?」
心配そうに駆け寄る手塚に、リョーマは慌ててニコリと微笑む。
「へいきだよ、ちょっと手がビリビリするだけ」
左手が痙攣しているみたいにピクピクとしていた。
手塚の渾身のボールを返す事が出来ず、ラケットを離してしまった。
その衝撃はリョーマが思った以上に凄まじく、ラケットを握っていた左手は痺れてしまった。
「悪かった」
そうして頭を撫でる。
「えへへ…くにみつになでなでされるのスキ」
嬉しそうに目を細める。
「そうか、少し休もう」
手塚が支える様にリョーマを起き上がらせれば、見惚れるほど眩しい笑顔で応える。
「まだビリビリしているのか?」
ベンチに腰掛けさせて、手塚はリョーマの左手を両手で包み込むと癒す様に擦る。
「ちょっとだけ…くにみつがこうしてくれてると、すっごくきもちいいよ」
「治るまでこうしていよう」
「ありがとね」
固い蕾が一気に咲きそうなほど、ほんわかモードの2人だった。
「どうやらリョーマが嫁入り決定ね」
「きっと世界一可愛いお嫁さんになるわね」
その姿を見ていた母親達の気持ちは一致し、握手を交わしていた。
将来の2人の関係が浮かんだ母親達は、はっきりとした未来予想図を綿密に立てていたが、まさか母親がこの頃からそんな考えをしていたとは、息子2人には全く気付かなかった。
しかし2人の別れは、突然やって来た。
「ヤダ、くにみつとはなれたくない…ここにいる。ここでくにみつといっしょにいるー」
うるうると涙目で訴えても、両親は決して頭を縦には振らなかった。
「困ったわね…」
「かー、誰に似たんだ?この頑固さはよ」
ガシガシと頭を掻く南次郎に倫子は「あなたよ」と言いたかったが、今はジョークを飛ばせる状態ではない。
これからアメリカやフランスなどで試合がある為、日本を離れる事にした。
もちろんリョーマは一緒に連れて行く。
出国してしまえば簡単には日本に戻れない。
「やだやだ、くにみつといる」
ぎゅっと手塚の腕にしがみ付いて、断固として倫子の言う事を聞かない。
「リョーマ…」
手塚もリョーマと離れたくない。
しかし両親だってリョーマを1人でここに置いていく訳には行かないのは承知している。
リョーマを引き止める手は出せない。
「仕方がないわね、それならリョーマが高校生になったら、日本に住めばいいわ」
倫子はリョーマを慰める為に、1つの案を出した。
「こうこうせい?」
キョトンとした目で母親を見ていた。
「えぇ、それまでは私達と一緒に暮らすのよ。でも高校生になったら、リョーマは一人前になれるわよね?」
「うん!なる」
倫子の提案にリョーマは大きく頷く。
「彩菜さん、今まで本当にありがとうね」
「こちらこそ本当にありがとう」
倫子と彩菜はしっかりと握手を交わす。
その握手がどことなく何かを含んでいるのには誰も気付かなかった。
「次に会うのはかなり先になっちゃうけど、リョーマをお願いね、国光君」
「はい」
しっかりとした返事を受けて、倫子は満足そうな笑顔を見せた。
「リョーマ君も、国光を忘れないでね」
彩菜がリョーマの頭を撫でると、何回も頷いた。
「くにみつ…こうこうせいになったらぜったいにかえってくるから、まっててね」
しがみ付いていた腕をゆっくり放し、零れる涙をそのままにリョーマは手塚に訴える。
「待っている、絶対に待っているから」
頬を流れる涙を指で掬う手塚の真剣な眼差しは、離れてしまう事への哀しさよりも、次に逢う時まで決してリョーマを忘れない自分自身への誓いに近かった。
しかし離れてからは、ころころと住む場所を変える越前家に手紙やメールなどでは連絡が取れず、テレビや雑誌で見るだけの両親の勇姿に、リョーマの姿を思い出すしか無かった。
しかし何年過ぎても、思い出すのは幼い頃の姿。
今はどんな姿になっているのだろう?
早く逢いたい想いがどんどん膨らんでいく。
――― そして、それから10年の月日が過ぎた。
「俺は約束通り、国光に逢いに来たんだよ」
「リョーマ…」
昔を懐かしそうに話したリョーマの頭を、手塚は愛おしさを隠し切れずにゆるりと撫でる。
久しぶりに感じたその手の温かさに、リョーマは思わず泣き出しそうになってしまった。
「でも、おチビって高校生じゃないし」
「中学生だよ…」
「ここの3年生だよな…」
「…だよね」
中等部に転入して来た事が何よりの事実。
まさか両親に内緒で日本に来たのか?
「大丈夫だよ。あっちじゃ、もう高校生だったから」
さらりと訳を話してしまえば、皆が納得する。
「飛び級してたんだ」
「おチビって頭イイんだ〜」
「うん、だからちょっとフライングしてみた」
エヘ、と舌を出して笑う姿は本当に可愛い。
手塚が登場してからのリョーマの態度はコロリと変わっていた。
それまでは何処となくクールなイメージが印象的だったのに、今は固い蕾が開花して、何とも魅力的な甘い香りを漂わせている。
そんなイメージにすり替わっていた。
これが手塚のお手付きで無ければ、この場にいる者達は愛らしい子羊を狙う獣の群れになっていただろう。
それだけは阻止できて良かった。
「それじゃ、今まで手塚が誰とも付き合わなかったのは越前がいたからかい?」
不意に上がった乾の声に、そこにいた全員が一斉に手塚を見た。
この手塚国光と言う、見た目は成人男性、でも実際は至って普通の高校生なこの男は、中等部の頃から部活では部長を、校内では生徒会の会長を務めたりして、模範生徒の1人として学園中の教師や生徒から一目を置かれていた人物。
少しでもお近付きになりたいと、手紙や本人を目の前にして告白する男女は数知れず。
だが手塚は今まで誰とも付き合った形跡が無い。
無論、遊びでもだ。
「そうだ」
全員の注目を浴びながら、あっさりと一言で済ませてしまうのは、やはり手塚だった。
「へー、そうなんだ。じゃ、手塚は越前君が初恋の相手って事?」
「…そうなるな」
あの時、リョーマを見つけたのが自分であって良かったと、手塚は今更ながらあの時の自分自身の行動に感謝してしまう。
「うわ〜、手塚ってば初恋を実らせちゃったんだ。何か凄いにゃ〜。でさ、おチビもなの?」
今度はリョーマに注目が集まる。
「そうっスよ。俺は国光と会ったあの日からずっと好きなんだから」
「うわっ、あてられちゃった」
手塚が今の今まで誰とも付き合わなかったのは、幼い頃にリョーマとの約束があったからで、恋愛自体に無関心では無かったのは良い事だと思うのは、満場一致の気持ちだった。
「それで、越前君はご両親と来たの?」
「俺だけだよ。親父も母さんも忙しいから」
今でもプロで活躍している2人は、日本に永住する気はさらさら無い。
「1人で?」
「マンション買ったから、そこに住んでる」
「まさか、越前が?」
働いていない子供にマンションなんて買えない。
大人でも簡単に変える代物ではない。
「賞金貯めてたから」
質問に淡々と答えている。
「…賞金?まさか…君があのR・E?」
乾がはっと気付き、リョーマに問い掛ける。
「へー、流石に良く知ってるね」
ニヤリと不敵な笑みを作る。
「なぁ、R・Eって何?つーか、誰?」
聞いた事の無い名前に、菊丸は乾の腕を引っ張る。
国内や国外のプロの名前なら知っていても、たとえ有名でもジュニアまでの名前は知らない。
「知らないのか?R・Eとはアメリカでの国内のジュニア大会の全てで、優勝を掻っ攫っていった人物の名前だよ。越前リョーマ…そうか、なるほどね」
言われてみれば簡単なイニシャルだった。
菊丸はわからない顔をしていたが、不二や大石はそんな人物がいたのを思い出していた。
「越前君は優勝経験が豊富なんだね」
「それでマンションなんてもの買えるんだ」
「マジで凄い奴なんだ」
「…うひゃ〜」
今までの経緯は、リョーマがただの中学生で無い事を知らしめる事になった。
日本ではジュニアの大会では賞金など出ない。
罪を犯す年齢が低くなっている現在、子供には簡単に大金なんて与えられない考えがあり、トロフィーが見事な装飾を施されて賞状と共に優勝者に渡されるだけだ。
それからの中等部のテニスコートは、職員会議で遅れたスミレがやって来るまでの間、手塚とリョーマへの質問会見になってしまっていた。
その騒がしさに気が付き、会議を途中で抜けて来たスミレによって、高等部メンバーは中等部の練習に付き合う事を余儀なくされた。
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