「手塚」
王宮の中を歩いていた男は、名前を呼ばれ振り返る。
「…何だ。不二か」
「何だ、じゃないよ。聞いた、アノ話?」
「もちろんだ。王から直々に聞いたからな」
「やっぱりね。僕達もそうだけどさ」
手塚と呼ばれた男は楕円形の眼鏡を掛け、いかにも秀才の雰囲気を出していた。
そして不二と呼ばれた男は、絶えることのない綺麗な笑みをその顔に浮かべている。
ここは、惑星エメラルドにある一つの大陸。
その中の大きな国だ。
清浄な空気と、澄み渡った青い空は争いごとなどまるで無いように感じら、まるでこの世の楽園のような国だと噂されている。
「僕達八賢者に直接なんだから、かなり重要な人物なんだろうね」
「そうだろうな」
王に呼ばれた手塚達は、八賢者と呼ばれるこの大陸で最も力のある者達だ。
この大陸で言う力とは『魔力』。
そう、あの無精髭の男は、この大陸の王様だったのだ。
「でも、いつなんだろうね?」
今から、1時間ほど前。手塚は王に呼ばれていた。
『何事でしょうか?』
『ちっと、頼みごとがあってな』
王の頼みとは、「たぶん今日中に、1人の男が異世界から来るから、お前等で世話を頼むわ」だった。
固有名詞は言っていなかった。
“男”だとしかわからない。
しかも“今日中”だと言う。
「…わからないが一応は気を付けてくれ。他の皆にもこの事を話しておいてくれ」
「そうだね。皆も話は聞いていると思うけど、注意するように言っておくよ」
もしかしたら、危険人物なのかもしれない。
王から直に頼まれるのは、この八賢者しかいない。
手塚国光。
不二周助。
大石秀一郎。
菊丸英二。
乾貞治。
河村隆。
桃城武。
海堂薫。
この名を持つ八名が王の側近である『八賢者』だ。
「そういえば、最近あの夢は見なくなったの?」
「あぁ、あの夢か…」
「そんなふうに言うって事は、見てないんだ」
「そうだな…」
幼少の頃から、何とも理解不能な夢を見ていた。
この土地でないどこか別の場所だと思うのだが、そこがどこなのか俺にはわからない。
そして必ず1人の少年を見ている。
だが、その顔はぼんやりとしていて見えない。
ただ大きな瞳をしている事はわかる。
魅力的だと思うのに、どれだけ近付いても見えない。
話し掛けても、返事は返ってこない。
どうにかしてこちらに気付かせたいのに、何も出来ない。
苛立つこの思い。
いつしかそれが、『好意』の思いと気付いた時には、その夢を全く見なくなっていた。
それは、もう1月ほど前の事だ。
包み込むような柔らかいオーラを持つ少年だと思った。
もう一度会いたいと思うのに会えない。
それが、寂しいと感じる。
その後手塚は不二と別れ、王宮の渡り廊下を歩き外に出る。
王宮の裏庭にある、トレントの森にいた。
トレントとは意思を持った木々達、いわば精霊に近い存在であり、この王宮を守る大きな存在。
「一体、誰が来るのか…」
――異界からの人物。
――男。
それだけの情報しか与えられていない。
森の中で一番の古い木に手を添え、その脈動をじかに感じる。
その木の名前は、『ドラゴンテイル』もちろん俗称だ。
この木は昔、ドラゴンの襲来の際に、王宮を守った森の木の一つ。
ドラゴンの堅く鋭い牙や尾の攻撃にも耐えた木だ。
「…何だ?」
その木から何か、不思議な音がする。
『上を見ろ』
そう言われた気がして、上空を眺める。
すると一部分だけ突然ポッカリと穴が開き、その穴から人間が降って来た。
「なっ!」
その人物は、地面に向かいありえないほどのゆっくりとしたスピードで落ちて来た。
この木は葉が生い茂る枝で優しくその人物を受け止め、手塚の前に差し出す。
「…子供?」
受け取った身体はなんとも軽く、まるで羽根でも生えているかのようだ。
しかし気を失っているその身体は、重力に逆らう事なく腕や足をだらりと投げ出している。
「…男か?」
見た目だけではわからないが、少年だと思う。
そして、何だか懐かしいような感覚を覚えた。
「このオーラに覚えがある…どこで?」
じっくりとその顔を眺めてみる。
…何とも可愛らしい。
その瞳の色を見てみたい。
その声を聞いてみたい。
動くその姿を見てみたい。
その欲望のままに、手塚は動いた。
「おい、大丈夫か…」
そっと地面に横たえると、その頬を軽く叩いた。
強く叩いてはいけないと、かなり力を抑える。
「…ん…う……んん…」
漸く意識を取り戻したのか、その瞼をそっと開いた。
ぼんやりと上空を眺めている。
「…あ…俺…ここ…は?」
自分を『俺』という事は、やはり少年だ。
その声は少年特有の高めの音。
「……だ…れ?」
焦点の合わない目は次第にその色を変え、深いブラウンを手塚の前に現した。
まるで見ている者を吸い込んでしまいそうなほどの美しい色だった。
「俺の名は手塚。お前は?」
「…てづか…さん?…俺はリョーマ」
「リョーマ…か」
名前を聞くと、その背に手を入れて起き上がらせる。
「ありがとう。手塚さん」
にこりと微笑みながらお礼を言うその姿に、手塚は見惚れていた。
どうやら、今までに夢でしか感じた事のない感情が現実になろうとしていた。
そのおかげで、聞こうとしていた様々な事をすっかり忘れていた。
「…ここは?」
きょろきょろと周りを見て、この場所を尋ねる。
見た事の無い場所だ。
「ここは、王宮の裏庭だ」
「王宮…じゃ俺、戻って来れたんだ」
「戻って?」
「うん、そうだよ。俺、今まで地球にいたんだ」
……地球。
聞いたことがある。
この世界とは違う座標に位置する惑星の名前だ。
という事はやはり、この少年が王の言っていた…男。
「お前は、国王とはどういう関係なんだ?
きょとんとした顔で、手塚の質問を考える。
「…国王って?あぁ、親父のコト?」
「お…親父?では、お前は王子という事か!」
「うん、一応ね…」
何とこの少年は、王の一人息子だったのだ。
幼少の頃に后と共に、どこかの世界に行ってしまった。
それは聞いていた。そしていつか戻ってくるとも。
「あ、でも、王子サマはやめてね。だって俺、魔法使えないし…王子って柄でもないしさ」
恥ずかしそうに俯くと、ごにょごにょと話し始めた。
「そうか、王子だったとはな」
「だからやめてよ。俺は越前リョーマだよ」
手塚の腕をそっと掴み、それはやめてと訴える。
「では、リョーマ」
「うん、それでいいよ。ねぇ、手塚さんって何歳なの?」
突拍子もない質問だ。
リョーマは久しぶりのこの世界で、初めて会ったこの人物にかなり興味を抱いた。
それが本当に興味なのかは、今の時点ではわからない。
「俺か?17だ」
「えっ?まだ十代なの?大人っぽいと思ったんだけどな、そっか、俺より2つ上ね」
という事は、リョーマは15歳ということだ。
「で、ここで何してたの?」
「俺は王の勅命で、異世界から来る人物の世話をするように言われた。だが、どこに来るのかわからないから、この木に尋ねに来たんだ」
「この木に?」
かなりの年代を生きていた大きな木を見上げる。
「あぁ、お前を助けてくれた木だ」
「助けてくれた?」
手塚はリョーマがこの世界に現れた時の様子を話した。
上空に突然穴が開き、そこから落ちてきた。
その身体をこの木の枝が優しく受け止めた。
そして、手塚に託したのだ。
一通り、自分の出現の際に起きた事を聞くと、その木の幹の手を伸ばした。
「そうなんだ。助けてくれてありがとうね」
ふわりと微笑む姿に、周囲の木々達も喜ぶかのように、ざわめき始めた。
常に緑の葉しか付けない木に、花が咲き始めた。
本来ならゆっくり時間を掛けて咲く花は、早送りをしているように花弁を広げていった。
何とも不思議な光景だった。
「…リョーマを歓迎しているんだ」
「俺を?」
「そうだ」
「何か、嬉しいね」
また、微笑んだ。
…可愛いらしい。本当に可愛い。
もっと、もっと見てみたい。
この世界の恋愛は、異性だろうが同性だろうが、そんな事は関係ない。
手塚は今までに本気の恋愛をしたことが無い。
しかしこの少年に感じるこの気持ちは、今までと違う。
この国の王子だと言うのに、こんな感情を抱いてもいいものなのか?
それでも、この想いを抑える事など出来そうに無い。
「…俺、行かなきゃいけないよね」
リョーマは何だか残念そうに呟いた。
「あ…あぁ、そうだな」
声を聞くだけで、気分が高揚する。
もっと長くこの声を聞いていたい。
「何かここにいるのって気持ちいいし、手塚さんともっと話したいな」
それには本当にまいった。
どうやら手塚だけの感情ではなかったらしい。
リョーマの方も手塚に対し、何らかの感情が芽生えていたのだ。
「…大丈夫だ。俺はお前の世話役だからな」
「じゃ、いつでも一緒にいられるの?」
「それはわからないが…」
「…そうだよね」
リョーマは、本当に残念そうな顔をして俯いた。
「…それは、国王が決める事だからな」
「じゃ、親父に言ってみる」
ぱっと顔を上げ、手塚の言葉に対して、いろいろな反応を示す。
嬉しそうにしたり、残念そうにしたりと、コロコロと変わる表情に思わず見惚れてしまう。
どうやら、一目惚れしてしまったらしい。
リョーマの口から零れる言葉を聞き、しなやかに動くその身体を見ているだけで鼓動が早くなる。
「それでは、国王の部屋に行くとするか」
「あ、うん。案内してくれるの?」
「もちろんだ」
手塚の案内の元、王宮へ向かう。
その短い時間の間、リョーマは懐かしそうに風景を眺めていた。
見覚えのあるような、ないような、不思議な景色を。
|