BLACK and WHITE

〜 第8話 〜







「越前はどうした?」
放課後も生徒会に顔を出してから部活にやって来た手塚は、リョーマだけがコート内にいない理由を同じ一年生に訊ねていた。
この数日のリョーマは、やけに覇気の無い顔で部活にやって来るので、手塚はかなり気に掛かっていた。
「気分が悪いとかで、今日は帰りました」
リョーマとクラスメイトの堀尾が、手塚の質問にびしっと背筋を伸ばして答える。
「…帰った?」
「あ、は、はい。六時限目も保健室で休んでましたんで、今日の越前はズル休みじゃ無いと思いますけど…」
疑わしい眼差しで手塚に見られ、ビクビクしながら応える堀尾は、ここにいないリョーマを少しだけ恨んでしまう。
リョーマの代わりに厳しいお言葉を賜るのか、と身体が硬くなる。
「…そうか、わかった。練習に戻って良いぞ」
「は、はい」
あっさりと解放された堀尾は、ペコリと礼をして足早にその場を去った。
「何、なに〜、おチビってばサボりってワケ?」
今の会話を聞いていた菊丸は、ぴょこんと手塚の前に立ち塞がった。
「…体調が悪いらしい」
「ふーん、やっぱりにゃ」
「やはり、とは?」
何か事情を知っているような口振りの菊丸に、手塚の口調は厳しくなる。
「今日の昼休みにおチビと話したんだけどさ、何かすんごく悩んでるみたいなんだよね。それも不二の事で…」
語尾の方は小声になる。
「不二?」
「…不二がどんな奴か教えて欲しいって言われたんだけど、あれはちょっと何かワケありって顔だった。それにおチビってば、両腕にリストバンドしてるんだよね〜。何かそれも変に気になる。おチビは俺には話せないって言ったからそれ以上の事はわかんないけどさ」
菊丸の口から不二の名前が出て、手塚は胸騒ぎを覚えた。
自分でもこの胸騒ぎの原因がわからないが、不二が鍵を握っているのは間違いない。
リョーマと不二の間に何かが起きた。
これだけは確かな事。
「不二と何かあったのか…」
不図、頭の中に昼休みに渡されたディスクが浮かぶ。
『一人で見て欲しいんだ』と言い、ディスクとプレイヤーを同時に渡して去って行った。
他人には見られたくない『何か』が、あの中に記録されているのは確かだろう。
雁字搦めに絡み合っている糸が少しずつ解けていく。
しかし肝心なところで糸は解けない。
「…手掛かりはあのディスクだけか」
手塚は不安を胸に抱いたまま、部活の時間を過ごしていた。


「ただいま帰りまし…この靴は…」
手塚はあれこれと考えながら真っ直ぐ帰宅すると、玄関に見慣れない靴が置いてあるのに気付く。
男物だが自分のサイズでも父や祖父の物でもない。
だが、見覚えがある靴…。
「お帰りなさい、国光。越前君が来てくれたから、お部屋に上がってもらったけど…」
「越前が?」
玄関に出て来た母親の彩菜が、息子の疑問に答えた。
「えぇ、何だか酷く思い詰めた顔していたから」
「わかりました、ご迷惑を掛けてすみません」
部活を休んでここに来たのなら『何か自分に伝えたい』からこそ来たという事だ。
「迷惑なんかじゃないわよ。越前君が暗い顔しているのは私も嫌なだけよ。それに今からお父さんと食事に行って来るから好きなだけ話をしなさい。おじい様も今日は夜稽古で遅くなるらしいから」
階段を上がりかけた手塚は、自分と同じくらいリョーマを心配している母親に軽く礼をして上がって行った。


「リョーマ…」
部屋に入ると、かなり硬い表情をしたリョーマと目が合う。
リョーマと二人で勉強をする為に用意してあるテーブルの上には、彩菜が出したジュースが手付かずで置いてあった。
かなりの時間放置されていたのか、グラスの上の部分は氷によって色が薄くなっていた。
「…あ、お帰り…」
膝を抱えて床に座っている姿はとても小さく見える。
「何かあったのか?」
部活を休んだ事は触れずに、神妙な面持ちでバッグをドアの横に置き、自分はリョーマの横に座った。
「…俺、国光に話があって…」
ぽつ、と言葉を発したが、それっきり黙ってしまう。
手塚はリョーマが話してくれるのを待つ。
「…俺、あの、不二先輩と…」
「不二と?やはり不二と何かあったのか?」
暫くした後のリョーマの台詞は、部活中の菊丸との会話を思い出させるのに充分だった。
「え、な、何で…」
驚きに声が震える。
「菊丸が俺に言って来たんだ。不二の事で悩んでいると…」
「菊丸先輩が…」
そう言えば、今日の昼休みに不二の事を菊丸に訊いた。
一人でぼんやりしている時に、不意に現れた先輩に、少しでもあんな行為をした理由を知りたくて、つい訊いてしまったが、結局は全くわからなかった。
不二が憎んでいるのは手塚でも、その憎しみを向けられたのは自分だった。
一体、菊丸とどんな話をしたのかは、リョーマには皆目見当が付かなかったが、もうこれ以上は隠しておけないと、観念したかのように口を開いた。
「俺、不二先輩に…」
どんな終りが訪れようと、リョーマは受け入れるしかない。
自分にはもうどうする事も出来ないのだから。
「………強姦されました…」
「な、それは本当なのか?」
少し間を置いてからの思いがけない告白に、手塚は目を見開いて確認する。
コクリ、と首を縦に振るリョーマに手塚は愕然となるが、それと同時に部活中の胸騒ぎの原因がはっきりした。
「…俺、国光とは…もう、付き合えないよ…」
視線を床に落としたリョーマの瞳から涙が零れたのを見て、手塚はリョーマの苦しみを悟った。
「…不二にされたのは一度だけなのか?」
小刻みに震えているリョーマを驚かせないように、そっと抱き締める。
「…一回だけ…でも、一回でもされた事に変わりは無いから…」
しゃくりあげながらもその質問に答える。
「そうか…だがな、俺はお前と別れる気は無い。リョーマが俺を嫌いならば仕方が無いが…」
リョーマの告白は心臓を鷲掴みにされたような苦しさを覚えたが、手塚はリョーマが自分よりも不二を好きになってしまい、別れを言い出すのではないかと推測していた為、不思議と安堵していた。
「俺は!嫌いじゃないよ…好きだから…あんな…」
今でも鮮明に覚えている忘れたい光景が脳裏に浮かび、悔しさと惨めさで唇を噛み締めた。
「忘れてしまえばいい。不二にされた事など、この俺が忘れさせてやる…」
涙で濡れた顔を上げさせて零れる涙を指で掬い取り、噛み締めているリョーマの唇を優しく塞ぎ、自然な動きで膝裏と脇下に腕を入れて抱え上げる。
「…っ、国光…」
「大丈夫だ」
抱えられて安定しない身体を支える為に、リョーマは手塚の胸元にしがみ付いた。
自分の胸元にあるリョーマの両手首に視線を移すと、菊丸の言うとおり、その両手首にはリストバンドがあった。
「その手首は不二に?」
ベッドに下ろしたリョーマの身体を包み込むように抱きしめながら、手塚はその疑問をストレートにぶつける。
「…うん…」
自らそのリストバンドを外し、まだ紫色に変色している手首を手塚の視界に映させた。
リョーマはもう隠す事も、誤魔化す事もやめた。
黙ったままになどしておけなくなったリョーマは、手塚に告白する事を選んだ。
出来る事なら無かった事にしたいが、不二との事はどんな事をしても消せやしない事実。
だが、手塚はリョーマを突き放したりせず、こうして優しく受け止めていた。
「…拘束されたのか…」
両の手首を束縛し、抵抗を封じ込めた上で不二はリョーマの身体を犯した事になる。
脳内で容易に想像が出来てしまうその光景に、手塚は苦しそうな顔を見せる。
お互いの合意の元で行われた行為ではなく、これはただの陵辱でしかない行為。
「俺がもっとお前の傍にいてやれたら、こんな目には…」
痛々しいほどに変色している手首を労わるように擦る手塚は自分の痛みのように顔を顰める。
手首はまだしばらく治りそうに無いほどの色で、どれほどの圧力が掛かっていたのかを知らしめた。
「国光…」
「リョーマ、今からお前を抱いても良いか?」
ぴたり、と手の動きを止めた手塚は、リョーマの瞳を見据えたままで訊ねる。
「で、でも、俺…不二先輩に…」
「関係無い。母もお前を気遣っていて、今は俺と二人しかこの家にはいない」
手塚は言いよどむリョーマに、今の状況を教える。
母もリョーマを心配しているのだ、と。
「…おばさんが…?」
「あぁ、そうだ。ゆっくり話しをするようにと、な」
しかし、今からは言葉での会話ではない。
「……俺…」
「俺はリョーマが初めてだ。リョーマも俺とは初めてになるだろう?」
手塚にとっては初めての体験になるが、リョーマは初めてではない。
だが、手塚との行為はこれが初めてになるのだ。
「…くに…」
まだ何か言おうとするリョーマの唇を指で塞ぐ。
「俺を、俺だけを感じてくれ…」

唇から指を外すと、今度は自分の唇を寄せた。




癒される心。