BLACK and WHITE

〜 第4話 〜







「ね、今日は暇?」
あれから1ヶ月が過ぎたところで、再び不二はリョーマが当番の日を狙って図書室を訪れた。
「今日は部活があるっスよ」
今日は前と違って部活がある。
「うん、だからその後は?」
カウンター越しに話し掛けるその姿は前と何ら変わらない。
言われている事も前と変わらない。
ただ、不二の心の中にある思惑だけが前と違う。
「…何があるんスか」
一緒に帰りたいだけなら断る気満々だった。
「あの試合の決着をつけようかなぁってね」
そんなリョーマの心を見透かすように、不二はリョーマが興味を持つ話を口にする。
「…マジっスか?」
リョーマには願っても無いチャンス。
雨で中途半端になっていたあの試合。
何度も「続きをしよう」と誘っても、今まで良い返事はもらえなかったのに、本人からの誘いならば…。
「本気だよ」
「じゃ、行くっス」
自分の言葉を真っ向から信じた相手に、不二はニッコリと笑い掛けた。
これが不二の仕掛けた罠だと知らないリョーマに。


蜘蛛の糸に絡まった蝶は逃げ出す事は出来ない。
最期の時を迎えるその時まで、どうにか逃げ出そうと羽を羽ばたかせるが、その行為により更に絡まり身動きが取れなくなるのに、それが分からずに蝶は逃げ出そうとする。
身動きが取れなくなるまで蜘蛛はただ待てばいいだけだ。
蜘蛛の糸が蝶の身体を雁字搦めにするその時まで。
リョーマは知らず知らずのうちに蜘蛛の糸に絡まってしまった一羽の蝶。
そして獲物が雁字搦めになるのを見ている蜘蛛は不二。

―――後は動かなくなるまで時間が過ぎるのを待つだけ。


「およよ、おチビってばスンゴクご機嫌だにゃ」
委員会の当番を終えてやって来たリョーマは、誰が見ても上機嫌で練習に励んでいると感じていた。
「越前、ちょっとは手加減しろよ」
右に左に面白いように走らされている桃城は、文句を言いながらも打ち返す。
「冗談、桃先輩だって手加減されたくないくせに」
桃城相手にラリーを続けているが、ハイテンションになったリョーマは相手が誰であろうと、力の限り向かって来る。
その相手をする桃城は、残りの練習が辛くなるほどまで付き合わされた。
「ごっくろーさん、桃」
ギブアップして戻ってきた桃城に菊丸が声を掛けた。
「…何かあったんすかね、越前の奴」
ヘトヘトになった桃城は額に浮かんだ汗を拭い、今度は大石を捕まえてラリーを続けているリョーマを見る。
上機嫌の訳を知らないメンバーは揃って首を傾げるだけ。
「不二は知らない?」
「さぁ、僕にも分からないよ」
ただ一人、理由を知っている不二も、皆に合わせて知らない振りをしてみた。
不二は図書室で『皆にはこの事は内緒だからね』と、しっかりリョーマに釘を刺しておいたので、リョーマは誰にもこの後の予定を口にしなかった。
手塚はしきりに気にしていたみたいだったが、秘密にしている事は絶対に口を割らないタイプなので、強く訊ねたりはしなかった。
この時何としてでも言わせておけば良かったと思うのは、全て後の祭り。


「誰にも話さなかった?」
「あんたが口止めするから、誰にも言ってない」
「そう、それならいいんだ」
不二はワクワクしているリョーマを連れて歩く。
「ね、どこのコートに行くんスか?」
「内緒だよ」
この辺でコートのある場所は数箇所。
前はダブルス専用だった場所は、コートが増えてシングルスも出来るようになった。
電車で数駅のところにあるコートは、前に手塚と試合をした思い出の場所。
どこも使えなければ、自分の家のコートを使えばいい。
どこに行くのかは不二が決めると言ってきた。
しかし不二が向かった先は、テニスコートのある場所ではなかった。
「ここって…」
「僕の家だよ」
唖然とした顔をしながら見た家の表札には『不二』とある。
そのままどこかのテニスコートに直行すると思っていたリョーマは、明らかに不審な顔をした。
「忘れ物を取って来るだけだから、ちょっとくらい寄ってもいいでしょ。そんなに時間は掛からないよ」
「…いいっスよ」
別にまだ時間はある。
少しくらい寄り道しても問題は無いと判断したリョーマは、不二の申し出には素直に応じた。
「ありがとう」
ポケットから鍵を取り出すと、玄関の鍵穴に差し込む。
リョーマはその間、きょろきょろと辺りを見回していた。
この付近に来るのは初めてであったし、何よりも手塚以外の他人の家に来たのはこれが初めてだった。
家の前の高そうな車に、こまめに手入れがされた広い庭。
どこを見ても見事としか思えない。
「越前」
名前を呼ばれ、ガチャンと音がするのを耳に留めて視線を戻せば、不二が扉を開いて待っていた。
「どうぞ」
「…お邪魔します……誰もいないんスか?」
ドアを開けた不二の前を通り、これまた広い玄関に足を踏み入れた瞬間、靴が一足も無いのに気付く。
だからなのか家の中に人のいる気配がしない。
「いつもは母さんがいるけど今日は出掛けていて遅くなるんだよ。由美子姉さんも遅くなるって言っていたし」
「ふーん、そうなんだ」
「あ、そこのスリッパを使っていいよ」
言いながら不二は後ろ手でドアの鍵を閉めた。

不二に案内されるまま家の中に入る。
リビングに通されてふかふかのソファーに座ったリョーマの前に、飲み物が入ったグラスが置かれた。
「君の好きなファンタじゃなくてゴメンね。これでも飲んで待っていて」
部屋に忘れ物を取りに行くと言うと、不二はリビングから出て行ってしまった。
「ま、いいか…」
出された飲み物は一般的なオレンジジュースだった。
冷たいグラスを手に持つと、それを一気に飲み干した。
「でも広い家だよな…」
玄関からして上流階級だと分かる。
確か不二の父親は外資系に勤めていて、今は海外に単身赴任していると、部活の最中に誰かが話していたのを思い出す。
外資系がどんな職業なのかは、いまいちピンと来ないけど、こんな家に住んでいるくらいだから、かなりスゴイんだと勝手に決め付けた。
「こんな家に住んでいるなんて知らなかった。次は不二先輩に何か奢ってもらお……ふあ…何か眠い…」
待っている間に何だか眠気に襲われたリョーマは、何度も瞬きをして眠気を追い払おうとしたが、ずしりと圧し掛かる眠気には勝てず瞼を閉じてしまった。
「……越前?」
暫くして戻って来た不二は、規則正しい寝息を立てているリョーマの頬を軽く叩いた。
「寝ちゃったの?」
軽い衝撃では目が覚めないのを確かめてから、その身体を抱えてリビングを出た。

そのまま階段に向かい、2階へと上がる不二に抱かれているリョーマは、さながら死刑台に向かう囚人のようだった。




不二が行動に移しましたよ。