片翼の天使達

−その6 神の器−



「二度目の洗礼はどうだった?」

不二は紅茶のカップをソーサーに戻して、にこやかな笑顔で手塚に訊ねる。
4人は手塚とリョーマの洗礼を済ませた後、中庭の庭園でティータイムを楽しんでいた。
色鮮やかな花が咲き乱れる庭園の中央部には東屋があり、その中にテーブルと人数分の椅子を由美子が用意させていた。
テーブルの上には白いレースで出来たクロスがかぶせられ、沢山の皿の上には数種類の焼き菓子が乗っていて、所狭しと並べられていた。

「どうって言われてもだな…」

香り豊かなアールグレイの紅茶と、たくさんの品揃えの焼き菓子の甘い香りが鼻をくすぐる。

「内緒よね?」

「そうですね。ほら、付いているぞ」

不二と由美子と手塚が会話をしているその横で、大きなシフォンケーキにたっぷりの生クリームを付けて食べているリョーマの口元が汚れているのを見て、手塚は自分の指でぬぐい取る。

「ん?ありがと。ねぇ、これすっごくオイシイ」

美味しい物を食べている幸せに、リョーマはニッコリと笑う。

「姉さんの手作りなんだよ」

校内では見られない、仲睦まじい光景に目を細める。

「へぇ、もしかしてコレ全部?」

目の前に並ぶ焼き菓子を指差す。

「お菓子を作るのは好きなのよ」

マドレーヌやフィナンシェなど、一般的な焼き菓子からシフォンケーキやパイなと、洋菓子系なら何でも作れる。
今日はリョーマの為に、沢山の種類を朝から焼き上げておいた。

「大聖母ってだけで忙しいのに、こんなに手間の掛かる事が趣味なんだ。スゴイね」

ぱくり、と最後の一切れを口の中に入れて、名残惜しそうに食べる。

「…由美子さん、訊いても良いですか?」

テーブルの上で手を組む。

「リョーマ君の事かしら?」

「はい」

手塚の訊ねたい内容など、たった一つしかない。
大聖母である由美子がリョーマを相手にすると、何故か立場が逆転になる。
大聖母はアイオーン正教では絶対的な存在である為、由美子がリョーマに頭を下げるのは有り得ない。
だから、気になる。

「本人に訊かなくてもいいの?」

「……言いたがらないからな、リョーマは」

いつでも何かを隠している。
それを言わせるのはとても大変である事は、これまでに重々承知している。

「言いたくないのなら言わなくても良いって?本当にリョーマ君にはとても優しいのね、国光君は」

うふふ、と楽しそうに笑う。

「からかわないで下さい」

子供の頃から知っている手塚は、いつでも難しい顔をしていたのに、リョーマと出会ってからその表情が変化してきた。

「あら?からかってなんてないわよ。国光君もこんな顔をするのねって思っただけよ」

「…そうですか?」

続いて焼き菓子に手を伸ばしているリョーマは、手塚が由美子に訊ねた瞬間から全く会話に参加しない。
手と口だけを動かして、3人が話しているのを聞いているだけ。

「もしかして越前は秘密主義なのかな?」

手塚が訊けないのなら、と不二が訊いてみる。

「…別に…」

「でも言いたくないんだね」

コクリと頷いた。

「ふーん、対である手塚にも内緒なの?」

「それは…」

最終勧告にも似た言い方に、リョーマは唇を噛むが、それでも話さない。

「そんなに頑なに秘密にしなくてもいいのに」

頑固なまでに秘密にしようとするリョーマの口を、何とか割らせようと不二は珍しく躍起になり始める。
他人の秘密には興味が無いが、手塚の対であるリョーマには興味がある。

「周助、私が話すわ」

次第に尋問じみたものになりそうなのを、由美子がやんわりと止める。
きっと弟が何を言おうとも、リョーマがこの件で口を開くとは思えなかった。

「周助、国光君。2人は『神の器』の伝承を知っているわよね」

「もちろんだよ」

「はい」

『神の器』とは、天使がこの大地に降り、地上の者達へ言葉を伝える際の『宿り木』と言われている。
何十年とも何百年に一度しかない、天使の降臨。
天使は力を受け入れられる人物を探し、その身体を器として降りて来る。
言わば『神の器』とは、天使と同等の力を持つ者を表している。
だが、神の降臨には二つの意味合いが有り、良い方なら問題は無いが、悪い方は『粛清』を意味している。
世界の崩壊をもたらす不穏分子の全てを排除し、新しい世界を創造するのが神の粛清であり、不穏分子を生み出した人類を滅亡させるのが最終目的。
しかしそんな人物がこの世に誕生する確率はかなり低く、昔から伝承として語り継がれている。

「リョーマ君はね、その器となる人物なのよ」

祖母の時代にも現れなかった『神の器』が、自分の代に現れた。
たとえどんな結果になろうとも、器の誕生はアイオーン正教には喜ばしい事に間違いない。

「越前が?伝承の神の器…」

幼い頃はただのおとぎ話だった。
そんなおとぎ話の中だけだと思っていた神の器が自分の対。

「だからね、洗礼を終えた国光君は、神の器であるリョーマ君を守るべき存在なのよ」

「…だからなのか…あれほど拒んでいたのは」

3人が一斉にリョーマを見つめる。

「…神の器なんて俺のガラじゃないのに…ごめん、国光…黙ってて…」

真の洗礼を受ける事を躊躇っていたのには、こうした理由があったから。
全てを話せなかったのも、こうした理由から。

「いや、謝る必要は無い。お前が神の器でも俺にとっては対なのだからな」

「…国光」

全てを知ってもリョーマへの想いは何も変わらない。
愛しさだけが込み上げる。
そんな手塚の想いはリョーマにも伝わっていた。
胸中に収まりきらない想いは、リョーマの涙腺を刺激し、じわり、と溢れてきた涙は頬を伝い落ちる。

「…周助」

「うん」

由美子は手塚とリョーマだけにしてあげようと、弟を伴ってその場から離れた。

「リョーマ」

「…ん…」

コシコシと、手の甲で涙を拭う。

「これで俺に隠し事は無いな?」

「うん、もう無い」

拭いきれなかった涙は、手塚が己の唇で優しく吸い取っていた。

「泣く必要はお前には全く無い」

「でも…」

「リョーマは俺の対だ。たとえ神の器だろうがな」

リョーマが神の代行者であろうが、手塚にとっては愛しい相手であることに何も変わらない。
それは今もこれからも変わらない。

暫くしてから戻って来た2人に「帰ります」と伝えると、手塚とリョーマは大聖堂を後にした。