「しかし、この俺が神の器と洗礼を受けられるとは。家族も驚くだろうな」
「…ごめん」
『神の器』を出されると、どうしても気が小さくなってしまう。
内緒にしていた分、どうにも後ろめたい部分が強い。
「なぜ、謝るのだ?家族もとても喜ぶに違いない」
「…嫌がられるんじゃないの」
リョーマの存在は天使が人類に対して裁判を行うと同じ事。
悪い審判が下れば、この世界は終ってしまう。
誰よりも天使に近い存在であるリョーマには、自分に課せられた使命の重さが辛い。
「…一度、俺の両親に会ってみないか?」
次第に暗い顔になっていくリョーマに手塚は一つの提案を出した。
「国光の?でも…」
慈しんで育てた一人息子の対であり、神の器である存在の自分を、両手を広げて受け入れてもらえるのかが心配で堪らない。
対であるが故、拒む事は無くても、嫌悪の目を向けられる可能性は捨てきれない。
「きっと喜ぶ。特に母はな」
心配は無用だとばかりに、手塚はリョーマの髪を撫でる。
「そうなの?」
「ああ、かなりな…」
どこか苦虫を噛み潰したような表情にリョーマは意味がわからず首を傾げる。
結局、言い切られる形でリョーマは手塚の両親を会う約束をした。
「今日も良い天気になりそうだな」
「そうだね……うわ、眩しい」
扉から一歩出れば、青空に浮かぶ太陽はかなり高い位置にまで昇っていた。
それから何日か過ぎ、リョーマが手塚の両親に会う日がやって来た。
手塚はリョーマが「やっぱり、止める」と言わないように、自宅近くまで迎えに来た。
もし「1人で行けるから迎えに来なくてもいいよ」と言ってきたら、何とか理由を付けて来ない方向に向かうに違いない。
その考えはおおよそ間違ってはいなかった。
「…何か寝れなかった…」
約束の時間ギリギリにやって来たリョーマの表情は、どこか沈んだものであった。
どうやら緊張のあまり眠れなかったのが原因らしい。
「それほど固くなる必要は無いぞ」
昨晩はあまり眠れなかったと言うリョーマに、手塚はまだ続く緊張を解す為に背中をそっと撫でてやった。
「まあ、あなたが越前リョーマ君なのね。初めまして国光の母で彩菜と言います。よろしくね」
「あ、初めまして…」
玄関先に現れたのは、予知夢で見ていたとおりの母親の姿。
細身で長身のスラリとした美人。
黒のロングワンピースがそのスタイルを引き立てていて、長い黒髪は後ろで一つに束ねられている。
性格までは見ていないが、目の前にいる人物はとても優しそうな感じがしている。
柔らかな笑顔は、対である手塚が自分だけに見せてくれる表情と同じものだった。
「さぁ、中に入ってちょうだい。国光はリョーマ君をリビングに案内しておいてね」
彩菜はリョーマにスリッパを用意してから、キッチンへ行ってしまった。
残された2人は何も言わずに顔を見合わせる。
「国光ってお母さん似だよね」
「…そうか?」
「お母さんに似てスタイルはいいし、それに凄くカッコイイ」
リビングへと案内されたリョーマは、手塚と3人掛けのソファーに座る。
その直後に彩菜はフルーツがたくさん乗ったタルトと、湯気の立つ紅茶を乗せたお盆を手に持ち、2人が待つリビングに来た。
「リョーマ君が伝承の神の器なのは、国光から聞いています」
皿やカップをテーブルに並べながら話し出した。
いきなりその話題を振られて、リョーマの身体がビクリと反応した。
緊張と不安で身体が硬直しているのか、背筋がピンと伸びている。
「あの、それで…」
対となった以上、自分達を別れさせる事は家族であろうが何人たりとも出来やしないが、頻繁に会うのを止めさせる事だけは言える。
言う事だけは出来るが、それを実行させる権限は家族には無い。
リョーマは心拍数が上昇するのを感じなから、次の言葉を待っていた。
「リョーマ君はこれから先、国光と一緒にいてくれる?」
「え?」
思ってもみなかった言葉に、リョーマは素っ頓狂な声を出してしまった。
そんなリョーマにニコリと微笑み掛け、彩菜は言葉を続ける。
「神の器なんて私達には関係ありません。リョーマ君が国光とこれからも一緒にいたいと望んでくれればそれだけでいいのよ」
「…おばさん」
「さあ、食べてちょうだい。このタルトはリョーマ君の為に私が焼いたのよ。お口に合えばいいのだけど」
じわり、と目尻に涙が浮かんだリョーマに彩菜は優しく囁き掛けて、目の前のタルトを勧めた。
「ありがとうございます」
フォークを手にすると、リョーマはタルトを食べ始めた。
「お味はどうかしら?」
「すごく美味しいです」
ジューシーなフルーツの味を損ねないよう甘さを抑えたカスタードクリーム。
タルト生地はしっとりとしていて、フォークですんなりと切れる。
美味しい物を食べていると自然に頬が緩んでしまうのか、僅かに緊張が残っていたリョーマはタルトによって完全に解された。
「…リョーマ君って可愛いわね。国光の対なんて勿体無いくらいだわ」
どうやら彩菜はリョーマをとても気に入ったらしく、ニコニコ顔で話し掛けていた。
リョーマの方も、対であり大切な人である手塚の家族に、心から気に入ってもらえて本当に安心していた。
しかし、リョーマの対であり、彩菜の息子の手塚としては複雑な感情が渦巻く。
「リョーマ君、お代わりはどう?」
「あ、いただきます」
リョーマの愛らしさに母性本能を擽られたのか、彩菜は徹底的にリョーマを構い出した。
幸せな家族。
対だけならまだしも、自分は伝承の神の器。
この世界に終焉を与える事が出来る力を持っている。
だが神がこの身体を使う為、自分では力のコントロールが出来ない。
今はまだ神の意向は無いが、いつ来るのかわからない。
その時が来たら、この幸せな時間がなくなってしまう。
「…終わらせたくない」
「何か言ったか、リョーマ?」
「ううん、何でもないよ」
その時が来ない事を切に願うのみだった。
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