片翼の天使達
−その4 頑なな態度の訳−
「おチビって本当に可愛い〜」 ハートマークをポンポン出しながら、菊丸はリョーマを絶賛する。 「本当だね」 「手塚には勿体無いくらいだ」 不二に加え、乾も菊丸の意見に賛成する。 「そうなんだよにゃ〜」 「…うるさい」 朝の眩しい光の中、興味津々で近寄ってくる部活の仲間達を、またしてもたった一言で黙らせた手塚は深く重い溜息を吐いた。 「いやいや、越前は本当に凄い奴だよ。転入の為のテストの結果は全教科で合格点を上回っていた。特に英語や数学などと言った理数系は満点だ。それに体力テストでも、パワー系を除く運動能力系の全てにおいて全国レベルだったぞ」 ノートをペラリと捲ると、乾は自慢気に話し出す。 「うわ〜、おチビってホントにスゴイ!」 ちら、と覗いたノートにはリョーマのデータがきっしりと詰っていた。 「乾ってば、いつ調べたんだい?」 「それは秘密だな」 何時の間にか、リョーマに『おチビちゃん』と、あだ名を付けていた菊丸は、ぽや〜んとした目付きで練習に励むリョーマを眺めていた。 『洗礼』を受けた直後に、今度は『対』の存在。 テニス部内には、手塚以外に対を必要とする者はいなかったから、かなりの衝撃になっていた。 「『対』って、結構似たもの同士だけど…」 手塚とリョーマを交互に見る。 「似てないな」 「全くだね」 「手塚と越前は、似てないよな…」 「ほ〜んと、全然似てない!」 全員一致の回答。 「お前達…いい加減に練習に入れ。それとも何か、今日は朝も夕方も終わるまでグラウンドを走りたいのか?」 「うわっ、それは勘弁」 顔の前に両手で大きくバッテンマークを作る。 「僕達も練習に入ろうか」 手塚の我慢の度合いが限界値に達したようで、不二達は慌てて練習に入った。 「洗礼の日だけど、君達の都合は姉さんに話しておいたから」 『対』を探す為の『洗礼』は受けた。 「分かった…越前には後で俺から伝えておく」 「…君って、リョーマ君の事を名字で呼んでいるの?対なのに?」 不二ですらリョーマの事を名前で呼んでいるのに、手塚はいつでも名字で呼んでいる事に少し疑問を感じていた。 「関係ないだろう。それに学校生活の中では規律を守るのが普通だろうが…」 自分達は3年生と1年生。 「何だか、つまらないなぁ」 あまりにも手塚らしくて、失笑を浮かべてしまう。 「何がだ」 正論を話したにも関わらず笑われたからか、眉を顰める。 「君がリョーマ君にメロメロになってるのは、皆が知っているのに君だけがそんな事言うなんて…」 いつも誰に対しても同じ態度でいる手塚が、リョーマと一緒にいる時だけ全く違う態度になるのは、誰の目からしても明らかだった。 「不二、お前はグラウンドを走るか?」 「僕はリョーマ君と打ち合う方が良いな」 照れ隠しで放った言葉も不二は微かに笑うだけ。 「あの、手塚部長…」 「越前…どうかしたのか?」 誰もが練習をしている中で、リョーマがこそこそと近寄って来た。 「…ちょっと部室に行って来てもいいっスか?」 「あぁ、構わないが」 ペコリと頭を下げて、幾分か急ぎ足で歩く。 「越前、どうかしたのか?」 大石の脇を抜けてコートを出て行ったリョーマに、どこかいつもと違う何かを感じ取ったのか、手塚にこっそり耳打ちする。 「…少し様子を見てくる。すまないが…」 「後の事は任せておいてくれ」 ポン、と大石に肩を叩かれて、手塚はリョーマの後を追うようにコートから出て行った。 部室に入った手塚は、窓際に置かれているベンチに頭を乗せるようにしてぐったりしているリョーマを見つけ、慌てて抱きかかえる。 「…ン…あ、部長?…」 きつく閉じていた瞼をゆっくり上げると、安心したかのように手塚の表情が柔らかくなる。 「どうした?」 いつも血色の良い色をしている顔が、どことなく青褪めている。 「…ちょっとだけ、このままで…」 「あぁ、わかった…」 ぎゅっと腕にしがみ掴まれ、手塚はリョーマを抱えたままベンチに座り込んだ。 「…越前」 こんなに苦しそうにしているのに、何も出来ないこの状態が歯痒い。 「一体、何があったんだ?」 さっきまで普通に練習をしていただけで、何一つ変わった様子は見られなかった。 「俺達は対なのに、何故お前だけが…」 強く抱き締めて、この苦しみから早く解放されるのを天使に願う。 「目が覚めたのか?」 「…うん。だから…ちょっと力を緩めてください」 意識が戻ったのは良いのだけれど、こんなにも強く抱き締められていては身動きが出来ない。 「すまない」 思ったよりも両腕に力がこもっていて、少しだけ力を抜いてみた。 「…ふう、もう大丈夫っス」 ニコ、と笑い掛ける。 「何があった?」 まずは一安心だが、どうしてこのような状態に陥ったのかを確かめなくてはならない。 「…部長に……何?」 部長に、と話したところで、リョーマの唇に手塚の指が置かれた。 「今は部長でなくても良い」 手塚も表情を緩めた。 「…国光に会ってから、予知夢を見る時間が夜の睡眠中だけじゃ無くなって来たんだ。さっきも急にきちゃったから、ちょっと練習をサボらせて頂きました」 ゴメンなさい、と素直に謝る。 「では、あれは予知夢の前兆なのか?」 渋い顔をして訊ねる。 「そうなるっスね。まぁ、今見たのは全然カンケイない夢だったから、良かったけど」 予知夢にも種類がある。 「どんな夢なんだ」 「えーと、場所は特定できないけど、どこかの牧場で飼われている馬が逃げ出す夢。将来はサラブレッドになる馬なんだけど、牧場の生活から厩舎になるのが嫌で逃げ出すんだ。何だか変な夢でしょ?」 話を聞いてみて本当におかしな夢だと感じたが、こうした夢を見る度にあのような状態に陥るという事を初めて知った。 「どうかした?」 渋い顔をする手塚にリョーマは至って普通に訊ねる。 「予知夢を見る度にあれほど辛苦するのか」 「しんく?」 意味が分からず首を横に傾げた。 「苦しい思いをするのか?」 違う意味合いに取られそうなので、リョーマに解るように言い直す。 「へぇ、そういう意味なんだ。さすが国光だね」 「それで、どうなんだ」 「…そうだよ。いつも苦しくなる…」 「いつも?」 「真の洗礼を受けるまではこのままだよ」 それは幼い頃からの習慣になっていて、今ではそれほど苦にはならない。 「何故、言わなかった」 「別にそんなに長い時間じゃないし。それに真の洗礼を受けたら戻れないよ?」 「俺は戻りたくない。お前と共に生き、お前と共に死を迎えるその日まで、俺はリョーマ…お前だけだ」 リョーマの思いを感じ取り、手塚はまたしても強く抱き締めた。 「まだ迷っていたのか?」 「俺は…国光に幸せになって欲しいから」 「お前がそう願うのなら、俺と共に生きてくれ。俺にとってはお前が傍にいる事が幸せだ」 「…国光」 「洗礼を早く受けよう。二度とそんな考えをしないようにな」 手塚の表情が柔らかくなり、2人の顔は自然に近付いた。 「俺もだ」 皮膚の表面に軽く触れただけの挨拶程度の幼稚なキス。 「もし…俺達が対同士でなくても、きっと俺は国光を好きになるよ」 これは本当の気持ち。 「リョーマ」 「でもね、国光は俺を好きにはならない」 「何故、そう言い切れるんだ」 「国光はね、俺が対だから俺を必要としてくれているだけだよ。俺は…あの時も話したけど、本当に対の存在が必要ないんだよ」 「リョーマの言うとおり、出会う前は対の存在なんて疎ましいだけだと感じていた。しかし洗礼を受けてから変わった。早く逢いたいと願うようになったんだ。そして出会ってから更に変わった」 リョーマは出会った時から、否定的な言動を何度もしていた。 「お前が愛しいと、お前の全てが欲しいと、心が…身体が叫んでいるんだ」 これまでのリョーマの言動を整理していくと、対のシステムを嫌悪して、何とかして相手をその呪縛から解き放そうと必死になっているのがわかる。 「俺はリョーマが対で無くても、リョーマだけを愛する。絶対にな」 「……俺は男だよ?国光は手塚家の跡取りでしょ?俺は国光の赤ちゃん産めないよ?」 「…何を心配しているのかと思えば…」 このまま手塚とリョーマが対として共に生きていく事になれば、手塚家はもう終りだ。 「それだけじゃ無いけど…」 折角これまで続いてきた手塚の名前を、国光の代で断絶しなければならなくなってしまう。 「この事は父も母も了解している」 「…ウソ、だって…」 「これは運命だからな」 家族にはまだ本人を紹介していないが、話だけはしておいた。 「だから…対なんて、イヤなんだ」 血の繋がりを絶対とはしない、対の存在。 「お前はどうしてそこまで拘る?」 「国光は平気なの?」 「あぁ、お前さえいてくれれば俺はどうなろうが構わない。両親も祖父も初めから跡取りの事は考えないようにしている」 「……え?」 大きな瞳を更に大きく見開いた。 「対の存在は絶対だ。逆らう真似はしない」 不二家がアイオーン正教と深い関わりを持っていたから、手塚もその影響を受けていた。 「…天使は俺達に何を望んでいるんだよ」 どこか苛立ちを含んだ声。 「天使は対を創った事で、家族では当たり前のように存在している感情を、他人に対しても同じくらい、いや、それ以上に抱くようにしているのではないだろうか?まあ、それだけでは無いだろうが」 リョーマの苛立ちを慰めるように、手塚は自分の考えを伝えた。 「当たり前の感情…」 血の繋がりから生まれる愛は、当たり前の感情。 「俺はお前を愛したい。だからお前も俺だけを愛してくれ」 「…国光だけを?」 「あぁ、俺だけをな」 誰もが愛されたい、愛したいと望んでいる。 「俺も国光だけだよ…でも…」 「お前が見てきた対達も悩んでいたのか?」 「えっ?」 「どうなんだ」 「…ううん。幸せそうにしてたし、喧嘩もしてた。いろんな人がいて、違ったタイプだった」 対の関係はそれぞれ個性があり、同じような対はどこにもいない。 「お前は考え過ぎだ。それにどれほど悩んでも何も出来ないのだぞ」 「…わかってる。わかってるよ、それくらい」 たった1人でこの対のシステムに異論を唱えたとしても、誰も見向きもしない。 「お前は自分と俺の事だけを考えていればいい」 「国光の事だけを…」 「そうだ。その瞳で俺だけを見て、その肌で俺だけを感じて、その頭で俺の事だけを考えてくれ」 そっと頬に手を伸ばす。 「……我が儘だね」 「…俺は早く真の洗礼を受けたい。そうすればお前は二度と悩まなくて良くなる」 「いいの?本当に戻れなくなるよ?」 今は最後の砦。 「お前と出会う前には戻りたくない」 リョーマが何を言っても、手塚の心が揺さぶられたりしない。 「もう…戻れないんだからね」 「あぁ、この命が尽きるまで、俺はリョーマだけだ」 今の言葉で扉は完全に閉まってしまった。 「国光が俺だけを愛してくれるのなら、俺も国光だけを死ぬまで愛するよ」 「約束する」 「うん、約束」 小指を絡ませて二度目のキスを交わすと、強く抱き合った。 |