片翼の天使達

−その2 対の存在−



10分後、部屋の扉が開き、由美子と洗礼を終えた手塚が出て来た。

「姉さん、終わったの?」

外で待っていた不二が、姉と手塚の元へ歩む。

「えぇ、終わったわよ」

不二よりも優雅で美しい微笑を浮かべて、満足そうな顔をした。
何がこの中で起きたのかは、大聖母と洗礼を受けた当人のみしか知らない。
どうやら洗礼の儀式の内容は、受ける人によって違うものらしい。
“らしい”というのは、今までに儀式を受けた者達の全てに対し『儀式の内容は他言無用』と、強く言われるのだ。
だから詳しい内容は分からない。
もしも、うっかり他人に話してしまえば、神の怒りにより洗礼を消去されてしまう。
消された人物は二度と洗礼を受けられず、一生を1人で生きていかなければならなくなる。
しかも『対』となる相手も、同じ運命を辿る。
自分1人だけでなく、他人までも巻き込む。

「それで、何か変わった感じがする?」

ニッコリと微笑みかけながら、不二は手塚に近付く。

「いや、特には…」

「ふーん」

洗礼を受けたからといって、目に見える部分は何も変わらない。
変わったのは、己の心のみ、だ。
幼い頃から言われ続けてきた、この世界のしきたり。
洗礼を受ける前までは、苛立ちの原因となっていたのに、今となっては早く見つけたくて仕方が無い。
自分と対となる者は、一目見れば分かるらしいが、相手が遠く離れた土地にいては意味が無い。
それに相手も同じように洗礼を受けていなければ、見つけてもらうことも出来ない。

「さぁ、これで国光君は終わったわ。あとは…」

どちらにせよ、これから大変になる。
これは自分だけの洗礼であり、対を見つけたら再び2人で洗礼を受けなければ、神に認められない。

「対を探すのですね」

手塚が視線を由美子に向ければ、少しだけバツが悪そうに横を向いた。

「何か?」

隠し事をされているみたいな気がして、由美子を不審な眼差しで見てしまった。

「…ちょっとだけ先読みさせてもらっちゃったわ」

パンと両手を合わせて、片目を瞑る。
個人の為の先読みはしないと決めていたのに、弟の幼馴染で、自分にとっても弟同然の手塚の役に少しでも立ちたいと、つい使ってしまった。

「姉さん、何が見えたの?」

「…国光君の対は既に洗礼を終えているわ」

由美子は先読みの結果を淡々と伝え始めた。

「それじゃ、もう?」

お互いが洗礼を終えているのなら、見つける事は可能となった。

「しかも、この近くに来るみたいよ」

うふふ、と楽しそうに笑う。

「みたいって?」

「今まではいなかったのよ。もしかして対に引き寄せられたのかしらね…」

対の中にはかなり強い繋がりを持つ者達がいる。

どんな仕組みなのかは、発達した科学を持ってでも解明できないのだが、強い繋がりを持つ者は、相手が洗礼を受けた事が何故か伝わるのだ。

「引き寄せられたって、何かスゴイね」

「この土地に…」

自分の対は既に洗礼を終えて、この場所に来ている。
もしかしたら、自分を探しているのかもしれないというこの結果に胸が躍る。

――― 早く逢いたい。

思ってしまうのは、自分だけじゃないと信じたい。
この胸の湧き上がる想いは、自分と未だ見ぬ対の2人に有ると信じたい。
洗礼を受けた事が伝わっていれば、会える可能性はとても高くなる。


儀式が終わり、3人は大聖堂の一室に移動した。
室内にも関わらず、部屋の中には甘い香りや爽やかな香りを放つ色とりどりの花が飾られ、視覚や嗅覚を楽しませてくれる。
不図、見上げた天井には、片翼の天使の絵が大きく、そして鮮やかに描かれていた。
その構図や色彩の美しさには見た者全て感嘆してしまう。
手塚も同じように、天井を見つめていた。
中央にセッティングされた白いテーブルの上には、ハーブを浮かべた紅茶と数種類の焼き菓子。
3人はカップに注がれた温かい紅茶を飲みながら、この一時の閑談を楽しむ。

「由美子姉さん、手塚の対って女の人なの?それとも男の人?」

マドレーヌを口に運びながら『先読み』で見えたものを教えて欲しいと強請る。
手塚は不二のその声に視線を天井から由美子へと移した。

「知りたい?国光君はどう?」

木の香りが優しい椅子に腰掛けて、優雅に紅茶を飲んでいた由美子は、ちらりと視線を手塚に送る。
不二は先読みをしてしまった姉に、手塚の対についてしつこく訊いていたが、ここは当人である手塚が知りたいと思わなくては由美子には答えられない。

「…由美子さんの御心のままに」

自分自身の対を知りたい気持ちはあるが、ここで訊いても訊かなくても、そのうちに出会う。
それまで楽しみにしておくか、少しだけ知識を入れておくか、どちらでも構わない。

「それじゃ、少しだけ教えちゃおっかな…国光君の対はね、年下の男の子よ」

ちなみに2つ下ね、とあっけらかんとした表情で白状してしまう辺り、由美子の性格は至って明るい。

「同性なのかぁ…」

空になったカップをソーサーに戻すと、足りなかったのかテーブルの中央に置いてあったティーポットを取り、カップに半分ほど注げば、良い香りと共に湯気が濛々と立ち上った。

「周助、私にも頂戴」

由美子も最後の一口を飲み乾すと、空のカップを不二の前に置く。

「半分でいい?」

「えぇ、いいわ。国光君は?」

「俺はもう結構です」

「…手塚、対が可愛い子だといいね」

由美子のカップに紅茶を注ぐと、ティーポットを元の場所に戻しながら、不二は手塚に話し掛ける。
恋愛は異性でも同性でも、子供でも老人でも出来る。
しかも対となれば、死までを共にしなければならないから、対以外の人と生きていく事を望む人はいない。
『死を共にする』その意味は、どちらかが天に召されれば相手がどんなに健康体であっても、数日後には息を引き取ってしまう。
言わば“運命共同体”となるのだ。

「可愛い?男だぞ」

不二の台詞に眉をしかめてしまう。
男に向かって“可愛い”などと表現するのは、相手を侮辱している。

「そうかしら?男の子でも可愛い子はたくさんいるわよ、国光君」

「由美子さんまで…」

楽しそうな笑い声が部屋の中に響いた。


「ま、手塚みたいな子じゃない事を祈るよ」

「あぁ、好きなだけ祈ってくれ」

不二は姉の手伝いがあり大聖堂に残るが、手塚は洗礼が無事に終了した事を両親に話さなければならない。

「じゃ、また明日」

「今日はありがとう。大聖母…由美子さんにも伝えておいてくれ」

「わかったよ」

手塚と不二はここで別れた。

家に着くまでの間、手塚は対の存在を確かめていた。
まだ手の届く距離にはいないかもしれないが、そう遠くは無い。
しかも近くにやって来ると、由美子は言っていた。
由美子の『先読み』の偉力を知らない者などいやしない。
由美子の言葉を信じない者は、神の御心を疑う事になるのだから。

――― 洗礼を終えて、この近くにやって来る。

本当は男だろうと女であろうと関係ない。
『対』は生きていく上で、大切なパートナーになるのだから、どんな人物でも慈しむ。
一生にたった1人となる、大切な相手だ。

「天使よ、漸く俺にも片翼をお与えになったのか…」

家の門の前まで来ると、まだ見ぬ相手を想いながら天を見上げて呟くと、敷地の中に入って行く。


「只今、戻りました」

手塚が玄関を開けると、家族である両親と祖父が揃って出迎えに来た。

「お帰りなさい。洗礼は無事に済んだようね」

「はい」

「それじゃ、食事にしましょう」

母親の彩菜は、洗礼を受けて一回り大きくなった息子を見て、満足気に微笑んだ。
洗礼を受けても見た目は何も変わらないが、母親には今までと違う何かを感じ取っていた。