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7. 内臓に老眼鏡を
還暦を迎えた頃から、何故か急に小学校や中学校の同窓会の開催通知や、古い友人から、近いうちにかつての仲間が集まって一杯やり
ながら積もる話がしたいからぜひ来るようにという誘いの電話がかかってくるようになった。
会社を定年になって、ある程度暇ができた連中が、何となく昔の事が懐かしく思い出されて、人恋しくなってきたからなのだろう。
これらの会合には私も極力出席するようにしているが、さて久し振りに会った仲間との楽しいはずの話も、一通りお互いの近況報告が
すむと、あとはきまって自分達の健康の話になって、近頃はどうも腰が痛いとか、やれ息が切れてしかたがない、気力がなくなった等と
いう不景気な話ばかりで、いっもうんざりさせられるのが落ちだ。
人間、六十年も生きていれば、色々なところが傷んでくるのはあたりまえ、それでも彼等が自分の健康管理に気をつかいつつ、これから
の人生をより楽しく元気に過そうと、一所懸命に努力している話なら、ほほえましく聞くこともできるが、たいがいは「もう年だからお互
いどこか悪いのはあたりまえ」と半ば諦めの話が多く、がっかりさせられる事が多い。
病気の話なら、かく言う私は自慢ではないが、去年の五月に心臓の弁を縫い合わせてリングをはめ、ゴアテックスという合成繊維で弁を
引っぱりながら何とか酸素を含んだ新しい血液が体内を循環するように改造したり、又つい一か月程前の十月には風邪をこじらせて喘息の
発作をおこし窒息しそうになって、緊急に病院にかっぎこまれたりで、今改めて現在定期的に使用しているプラスチックの病院の診療券を
数えてみたら、なんと七枚にもなっていて、病気の話をしろと言われれば、二、三時間は軽く話もできるけれど、そんな赤の他人の病気の
話など面白くも何ともないと思うから、けっして私の方から話題にしようとは思わない。
しかし、廃人になって家族の厄介者にはなりたくないばっかりに、あえて成功率の低い心臓の形成手術によって、一応社会復帰もでき、
又手術の一年後には若い選手にまじって馬術競技にも選手として出場することができるまでに回復してみると、久し振りに会った懐かしい
友人から「おれの人生は大体これで終った」と半ば諦めともつかぬ言葉を聞かされると、何故そう簡単に人切な人生を諦められるのか
不思議でならない。
早い話が人は年をとると、あたりまえのように老眼鏡をかけ、入歯をはめ、又補聴器を使うようになるが、それとまったく同じように、
何故内臓等の性能の落ちたところに補聴器をつけ老眼鏡をかけようとしないのか理解に苦しむ。
実際に今の医学は私達が想像もできない程進歩しているのだから「もう年だから」と簡単に諦めずにぜひ進んで医者に相談すべきだと
思う。
そして少しでも体の悪いところは一刻も早く修理して「健全なる身体に健全なる精神が宿る」の諺通り、楽しく希望を胸に、明日に向
かって生きるべきだと思う。
山本有三ではないが、たった一度しかない人生を、ほんとうに生きなかったら、人間に生まれてきた甲斐がないというものだ。
早いもので、もうすぐ正月が来て又一つ年をとる。来年からはますます健康に留意して一つずつ年齢を若返らせるつもりで、常に理想と
自信と情熱を失わず、明るい希望をもって、勇気凛々未来に挑戦しようではありませんか。
(1993.12)
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