「行く川の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず」
まことに「生死事大、無常迅速、時は人を待たず」です。
今年もあますところあと一か月余、私の家では十数年前から、毎年十二月末に、その年一年間の「我が家の五大ニュース」を作っております。
今年も又この一年間のいろいろな出来事のうちから、どれを五大ニュースに入れようかと考えながら、今迄のニュースを改めて読み
なおしてみて、ついこの間の事とばかり思っていた出来事が、実はもう何年も前の事であったりして、驚くと同時に自分も随分と年を
とったものだ、その証拠にこの頃の物忘れや物おぼえの悪さはどうだと、ある種の淋しさを覚えております。
この五大ニュースに入れる程の出来事ではなかったのですが、つい一か月程前、広島で開催されたアジア大会に私も近代五種競技の
競技委員長兼審判長として約十日間広島に行く機会がありました。
忙しい日程のなかで幸いにも一日だけ暇のできたのをいいことに、競技役員の大きな顔写真入りの名札を胸にさげて、広島城をはじめ
大会期間中、とくに有名な絵画や彫刻の展示してある三か所の美術館や寺院等を見てまわりました。
その中の一つで三滝寺
というお寺に参詣しての帰り、境内の茶屋でお抹茶を頂きながら何気なく黒く煤けた暗い欄間を見あげると、な
にやら面白そうな文章が額に入れて掛けてあるのが目につきました。
目をこらしてよく読んでみると、なかなか味のある文章のように思えたので早速手帳に書きとめて帰りました。
多分御存じの方もあると思いますが改めてここに紹介すると、
◎ぼけない五ケ条
一、仲間がいて気持の若い人
二、人の世話をよくし感謝のできる人
三、ものをよく読みよく書く人
四、よく笑い感動を忘れない人
五、趣味の楽しみをもち旅の好きな人
◎ええ年寄りになりなはれ
ぼけたらあかん長生きしなはれ 泣きごとに人の陰口 ぐち言わず 他人のことはほめなはれ
いっでもアホで居りなはれ 若い者には花もたせ 一歩さがっておることだ いずれお世話になる身なら いつも感謝を忘れずにどんな時でも へえおおきに
お金の欲は捨てなはれ 生きてるうちにばらまいて山ほど徳を積みなはれ
昔のことは忘れなはれ 自慢ばなしに わしらの時はなんて鼻もちならぬ忌言葉 わが子に孫に世間さま どなたからでも慕われるええ年寄りになりなはれ ボケたらあかんそのために何か一つの趣味もってせいぜい長生きしなはれや
◎人生は七十歳より
七十歳 にてお迎えのあるときは今留守と言え
八十歳 にてお迎えのあるときはまだまだ早いと言え
九十歳 にてお迎えのあるときはそう急がずともよいと言え
百歳 にてお迎えのあるときは時機を見てこちらからボツボツ行くと言え
サムエル・ウルマンの「青春」の詩の一節「年を重ねるだけで人は老いない 理想を失うとき初めて人は老いる 人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる 人は自信と共に若く 恐怖と共
に老いる 希望のある限り若く 失望と共に老い 朽ちる」とも一脈相通ずるものがあるように思えて、うす暗い欄間の額を見ながら一人苦笑を禁じ得ませんでした。
「老い忘るべし また忘るべからず
この二つの境 まことに得がたしや」 横井也有
自分の過去はもうどうにもなりません。くよくよと悔むのは馬鹿なことです。
自分の未来も又自分で左右できません。将来のことを考えていろいろと悩んで不安になってみたところで仕方のないことです。
一番大切なことは、現在をどう生きるかです。
現在やりたいこと、現在どうしてもやらねばならないことをまず全力でやるべきです。
私もあと何年生かせて頂くかわかりませんが、来年こそ今年迄の一日一日より何倍も価値のある毎日を過すように努力することに
よって、来年の暮には我ながら良い一年であったと思えるようにしたいと思います。
私の家には私達夫婦の外に来年九十三歳になる母親と、その母親の世話をしてくれる看護婦の資格をもったお手伝いさんがおりますが、
先日彼女が面白いことを言いました。
「私はずい分といろいろな老人の世話をしてきましたが、夫婦して年をとった場合、〈ぼけるが勝ち>ですよ」と。
人間いずれ「ぼけ」るなら、なんとかして女房より一日でも早く「ぼけ」て、哀れな女房のぼけ顔だけは見たくないものだと思いました。
「ぼけるが勝ち」、周囲の人達には迷惑な話ですが、あるいはこれが幸福な一生を終る最良の策かも知れません。
(1994.12)