8. (あき)らめる

     「正月は目出たくもあり
       目出たくもなし」

 何となく、そんな気分の1994年元旦。
 つい最近になって政府は、平成景気の山は1991年4月だったと発表した。
 そして更に経済企画庁は、去年六月に打ち出した「景気底入宣言」を誤診だったと胸を張って撤回した。
 景気の転換期を発見するのに二年半もかかっていたのでは、景気の予測や次に打つ手が思いつかないのはあたりまえの話。
 そして、何時この不況が底を打ち、いつ景気が上向くのか、その時期を示せる経済学者も影をひそめてしまった。
 今の景気は、雇用不安が消費不振を招き、それが設備投資を抑えるという悪循環におちいってしまっているのだ。
 企業業績の落込みは政治の無策と重なって株価の更なる下落を招き、企業・金融機関の保有株式の含み益を減少させ、不良債権の処理を 遅らせ、景気回復の足をひっぱっている。
 バブル時代の過剰入社の「付け」は今や社内失業者、375万人という数字になって現れた。どうやら今年は、年功序列、終身雇用の崩壊 によって本格的な失業時代の幕開けとなりそうな気さえする。
 正月早々暗い話になったが、会社の経営不振、人員整理という言葉が出るたびに、私はきまって岡山県で主に交通事業を営んでいるある 会社の社長室にかかっている立派な「額」のことを思い出す。
 私の三人目の母の兄、松田壮三郎が経営する両備バス株式会社は、昭和二十九年九月二十六日、日本全土を襲った超大型台風 (洞爺丸海難事件の台風)によって、会社のドル箱路線が壊滅的被害をうけ、加えて交渉中であった他社との合併話が拗れ、私鉄総連に 所属していた労組は、ベア要求も含めて泥沼の労働争議に突入し、明治四十三年、「西大寺鉄道」として創業以来、幾多の風雪に堪えて きた会社も、遂に消滅の危機にたたされた。
 このような時に、当時課長職(今の部長職)にあった有志十二名は相談の上、現在社長室に立派に表装されて額に入れられている決議文 をつくり社長に提出した。

 創業以来十有九年の永業御同慶に存じます
されど輓近業績頓に振わず未曾有の難難に逢着し最も憂うべき事態に立至りました事は時勢の影響有りとは申しましても私ども輔弼の任 にある者の責に帰すべきは申すまでもありません
私どもはこの秋に当り相計り之が打開と更に躍進の為の覚悟を新にし以て難艱突破の誓を致すと共に微細ながら左の通り賃金の一部を 辞退し出費軽減の一助に資する事を決議致しました
何卒私どもの微意を御採納賜り益々御鞭撻下さるよう御願い致します
    記
各自辞退金額 壱千円
但し之は私どものみの決議にして一般従業員には其の類を及ばさゞるよう特に御配慮下されたく御願い致します
   昭和29年12月31日
藤田 毅
仲井 晶
日室 繁
斉藤博志
荒金 静
石井綾夫
松本將夫
森川儉二
大月一郎
橋本彌平
柚木省吾
楠本 章
  両備バス株式会社
  社長 松田壮三郎殿
《写真:下》

 当時の千円はおそらくこの人達の月給の六、七%にも相当していたと思われる。
 この申し出に対し、経営者は非常な感激とより一層の責任感を持って、死ぬ気で会社の業容回復に努めたことは想像にかたくない。
 そして遂にこの難局を克服した両備バスは、現在、両備グループの関係企業二十社、全従業員数七千人の一大企業に成長している。
 ともすると、自分達の先見性の無さを反省することもなく、会社のスリム化と称して、最も安易な人員削減に走りたがる経営者の多い 昨今、又国民のための経済政策をそっちのけにして政治改革の名のもとに自分達の失業対策に憂き身をやつす無能政治家達の中に、日本 株式会社を倒産寸前に追い込んだ当事者として、まず景気が回復する迄自分達の月給の一割を辞退することで今日の政治不信の回復を図 ろうという勇気のある政治家がいないものだろうか。
 今の政治家に対しては憤りを通りこして、一種の「あきらめ」を覚えるのみである。
 しかし、このような状態のままで私達はただ何もせずに諦めていていいのだろうか。
 広辞苑によれば、「諦める」とは仕方がないと断念するとあるが、仏教用語の「諦める」はけっして仕方がないと断念することではない。
 仏教でいう「あきらめる」は、どうしてこのような結果になったのか、その原因を「明らかにする」という意味で、その原因を確かめて次の手を考えるということだ。
 そして仏教では本当に諦めなければならないことが四つ(四諦)あるといっている。
 即ち、この世は苦しみの連続ではあるけれど、その苦しみを仕方のないことと断念せずに苦しみを正しく見つめなおし、再認識して、 その解決策というか、人間の真に生きる道を見出すべきだというのが、仏教でいう「明らめる」「諦め」なのだ。
 一年の計を立てるにあたり、今の不況を正しく見つめなおし、その原因をさぐり、正しく認識して、我々が真に生き残る道を見出すべく 努力したいものだ。

(1994.1)