2. (しつけ)

 私には七歳を頭に五人の孫がいます。
 五人とも俗にいう外孫ですが、二人の娘のうち一人は私の家の一階に住み、もう一人も家から四、五分の処にいる関係で、老妻は常に 二、三人の孫の面倒をみさせられる運命にあり、そのストレスの() け口は困ったことに総て私に向けられます。
 孫も一人一人の時は別に害はありませんが、三人四人と徒党を組むと忽ち暴徒と化し、私には到底考えられないような破壊活動をやって くれます。
 しかし、それらの暴挙に対して、二人の娘は一応私に謝罪はしてもけっして子供達を本気で叱ろうとはしません。
 両親から大変にきびしく躾けられた私は、そのような孫達の行為を許すことができず、三度に一度は馬を懲戒するのと同じ要領で強く 孫達を叱りつけ、いや応なしに謝らせます。
 人間の三、四歳の知能しかないといわれる犬や馬でさえ、きちんと躾けることができるのに、まして言葉の通じる人間の子供に礼儀 正しい躾けのできない理由(わけ) がないというのが私の昔からの持論です。
 孫達も私の真剣な顔と誠意が通じるとみえ、私の懲戒に対して、あんがい素直にその非を認めてくれます。
 この事実をふまえて、私は孫達の基本的な教育は自分をおいて外にないという結論に達しました。当然娘達の私に対する反発は、 すさまじいものがありました。
 しかし、時には暴力とも思える私の強い懲戒に対しても孫達は別に私を敬遠する気配もなく私によくなつくのをみて、今では娘達も 若干の嫉妬心をいだきながら黙認するようになりました。
 「躾」という字は身を美しくすると書きます。
 辞書にも、「身体を美しく保つための作法を身につけること」とあり、身体を美しく保つためには、まず美しい心から白然と滲み出して くる作法が身につかなければ本物ではありません。
 仏様からお預りしている大切な子供達に、正しい躾を身につけさせるのは親として当然の義務であり、子供の正しい躾を学校や社会に おしつけるのは誤りです。
 現に、国公立の小学校では、道徳の時間はあっても子供達を正しく躾けるための宗教の授業はありません。
 道徳は人のため、社会のためになる人間を育てるための学問であり、宗教は自分自身のための学問だと言えます。即ち、何事も他人と 比較することなく、自分は自分として何が正しく何が良いことかをはっきりと見きわめながら生きることを学ぶ学問だと思うのです。
 子供達が精神的に幸福になるためには、それぞれの環境や個性によってその生き方も変える必要があります。当然教え方も一人一人 違ってくるわけで、団体教育を主体とする現在の学校ではなかなか教えにくいことかも知れません。
 しかし自分と他人とを比較しない生き方を教える宗教教育からは、優越感も劣等感も生まれることはなく、その意味で宗教関係の授業 を学校がとり入れさえすれば、最近流行の「いじめ」も少しは減少するに違いありません。
 ところが驚いたことに日本という国は、憲法によって子供達から宗教教育を完全に取りあげてしまいました。
 日本国憲法第二十条第三項には「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記し、更に教育基本 法第九条Aでは「国及び地方公共団体が設置する学校は特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」とわざわざ念 をおしています。
 特定の宗教のための宗教教育は国公立の学校ではたしかに問題があるかも知れません。
 しかし、一般的、普遍的宗教教育は絶対に必要であり、これこそ教育基本法の第一条であるべきではないでしょうか。
 しかるに、憲法では宗教教育はしてはならないと厳命したがために、日本の国公立の先生達は何十年ものあいだ「宗教」を一切口に しなくなったばかりか、「宗教」の本質を心得ている先生も殆んどいなくなってしまいました。
 江戸時代から明治初年の学制公布まで庶民の子弟のための初級教育は総て「寺小屋」又は「寺子屋」で行なわれており、武士、医師、 神官、僧侶がその経営にあたり、鎌倉、室町時代の教育はすべて寺院で行なわれていたというのに何故明治以降、宗教教育を一般教育から 除いてしまったのか、宗教家の怠慢の(そし) りをまぬがれません。
 憲法改正問題がやかましく議論されている今日、教育基本法第九条の宗教教育の条文ができる前、即ちその教育基本法の要綱草案の 段階で「宗教的情操の涵養は、教育上、これを重視しなければならない」となっていたのを、当時連合軍司令部と折衝を重ねているうち に教育基本法第九条@として「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」 というような曖昧な文章に書きかえられた事実(杉原誠四郎著『教育基本法−の制度過程と解釈』)を再度見なおして、一刻も早く憲法を 改正すべきだと思います。
 日本国憲法が制定されて半世紀、今の時代にそぐわない部分は積極的に改正する度胸を今の政治家に期待したい。
 「いじめ」がますますエスカレートしつつある今日、宗教的知識のまったくない現代の先生達にそれを阻止させることは不可能だと思う。
 しかしせめて私の五人の孫達だけでも、心身ともに美しく保つための作法を身につけさせてやりたいと思うのは私の贅沢というものだろうか。
 それにつけても現在の興味本位なテレビや、百害あって一利なしの劣悪な漫画本を、判断力の乏しい子供達から取りあげる方法があってもいいと思う。
 憲法によって宗教教育を禁じておきながら、何故幼ない子供達の精神を毒するこれらのテレビや漫画本を禁ずることができないのか、 子供達の将来を考えるとき、暗澹たる思いにかられるのはなにも私だけではないように思うのだが。

(1996.5)