明治・大正時代の有名な教育者、新渡戸稲造の世界的名著と言われたものの一つに『武士道』がある。
彼はその『武士道』の序文に次のように書いている。
「約十年前、著名なベルギーの法学者、故ラブレー氏の家で歓待をうけて数日をすごしたことがある。ある日の散策中、私たちの会話が
宗教の話題に及んだ。
『あなたがたの学校では宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか」とこの高名な学者がたずねられた。私が、『ありません』
という返事をすると、氏は驚きのあまり突然歩みをとめられた。そして容易に忘れがたい声で、『宗教がないとは。いったいあなたがたは
どのようにして子孫に道徳教育を授けるのですか』と繰り返された。
その時、私はその質問にがく然とした。そして即答できなかった。なぜなら私が幼いころ学んだ人の倫たる教訓は、学校でうけたもので
はなかったからだ。そこで私に善悪の観念をつくりださせたさまざまな要素を分析してみると、そのような観念を吹きこんだものは『武士道』であっ
たことにようやく思いあたった」と。
おそらく、当時の彼のおかれていた環境の中で家庭も含めて、この武士道の精神が極く自然な形で彼の道徳の基になっていたのだと思う。
それでは武士道とはいかなるものか、広辞苑でその武士道をひいてみた。
武士道とは我が国の武士階層に発達した道徳。鎌倉時代から発達し、江戸時代に儒教思想に裏づけられて大成、封建支配体制の観念的
支柱をなした。忠誠・犠牲・信義・廉恥・礼儀・潔白・質素・倹約・尚武・名誉・情愛などを重んずる、とあった。
要するに武士道とは、武士が守るべきものとして要求され、あるいは教育をうける道徳的徳目の作法なのだ。
野村証券・第一勧銀・オレンジ共済・住専そして今の破廉恥で厚顔無恥な一部政治家や役人達に、この武士道の精神の爪の垢でも煎じて
飲ましてやりたいと思うのは私だけではあるまい。
維新回天の嵐と渦の中で、日本という船の舵取りをした偉大な指導者たちは、武士道以外の道徳的教訓をまったく知ることのない人びと
だった。
近代日本を建設した人びとの生い立ちをひもといてみるとよい。
伊藤博文・大隅重信・板垣退助・佐久問象山・西郷隆盛・人久保利通・木戸孝充らが人となった跡をたどれば、彼らが考え、築き上げてきたことは、一に武士道が原動力となっていたことは
間違いのない事実である。
それでは、この武士道とはいかなるものか新渡戸稲造の言葉を借りよう。
まず彼は、武士道の根本は「義」であるという。
武士にとって裏取引や不正な行ないほどいまわしいものはなく、正義の道理こそが無条件の絶対命令だったのだ。
義によって発動された勇気は、「義をみてせざるは勇なきなり」の格言に示す如く、正義を行なうための勇気こそが徳行の中に数えら
れる価値のあるものだと考えられていた。又人とともに泣くことのできる礼義、人の上に立ち、民を治める者の必要条件としての仁義の
大切さをも強調している。
次に真の武士は「誠」に高い敬意を払い、武士に二言はないと言う如く、嘘をつくこと、あるいは誤魔化しは、等しく臆病とみなされ、
約束は大体証文無しで決められ、かつ実行された。むしろ証文は武士の体面にかかわるものとして「二言」つまり嘘のために死をもって
その罪を償った武士の壮絶な物語は枚挙に遑
がない。
もし時代が江戸時代であったら、今の国会での答弁や事情聴取の結果、嘘が発覚して毎日の如く何人もの政治家や商人がその不名誉を
恥じて切腹したという記事が瓦版を賑わしたことだろう。
不祥事件の責を負って自殺された第一勧銀の宮崎元会長の御冥福を心よりお祈りすると同時に、宮崎元会長に見習い、その名誉を恥じて
切腹してもらいたいと思う人達の顔が次々と浮かんでくる。
武士道にあっては名誉こそがこの世での最高の善として賞賛され、若者が追求しなければならない目標は、決して富や知識ではなく、
名誉であり、中世に発明された切腹は、武士がみずからの罪を償い、過去を謝罪し、不名誉を免れ、朋友を救い、みずからの誠実さを
証明する唯一の方法とされていたのだ。
このように武士はいかにして己を磨き、その品性を高めることに重きをおき、武士道では一貫して理財の道を卑しいものとし、金銭や
金銭に対して執着することを無視した結果、武十道そのものは金銭に由来する無数の悪徳から免れることができた。
現在の自民党等は、選挙民の個別的利害関心に迎合して票を集める手法に熟達し、補助金に寄生し、国家財政をくいものにせんと、
野党の地位に耐えられず、なりふりかまわず政権に復帰して、あらゆる利権にありつこうと虎視眈々とその政策を練り、「改革」とは
無関係に利益誘導による票の掻き集めに熱中する様はまさに金権政治そのものである。
明治以来、長い間我が国の公務に携わる人々が堕落から免れていたのは、まだそれらの人達の心の中に武士道の精神が生きていたからに
外ならない。
武士は自ら道徳の規範を定め、模範を民衆に示すことによって民衆を導き、一般庶民に対して超越的な地位を保っていたのだ。
当時の大衆娯楽、大衆教化のさまざまな手段、芝居・寄席・講釈・浄瑠璃・読本などは武士の
物語を主たる題材とし一般大衆の中に武士道を浸透させていったように思う。
現在の大衆娯楽たるテレビ、低俗極まりない漫画本やテレビゲームでは、学校での苛めを助長し、中学生の殺人鬼を養成する以外、
百害あって一利なしと言わざるを得ない。
言語の自由は正義の中にのみ存在することを教育者は肝に銘ずべきである。
武士道は当初、「エリート」の栄光として登場したが、やがて国民全体の憧れとなり、その精神となった。庶民は武士道の道徳的高み
にまで達することはできなかったが、しかし武士道の魂、「大和魂」は確実に日本人の魂となっていった。
「しきしまのやまと心を人とはば
朝日ににほふ山ざくらばな」 本居宣長
「かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂」 吉田松陰 辞世の句
かくして日本発展の原動力となった武士道は、1871年の廃藩置県の詔勅によって、その役目をおわった。
また、武士道と同じ運命にあった騎士道は、封建制度から引き離されるや、ただちにキリスト教会に引きとられ、幸いにもあらたな
余命を保ち得た。
しかし残念ながら日本においては武士道を養い育てようとする宗教はどこにも存在しなかったのである。
従って封建制度という、その母が遠く去ってしまうと、武士道は孤児となり、自力で進むべき方向を見出すことができなかった。
太平洋戦争の敗戦が日本の伝統の何もかもに大打撃を与えて過ぎた。武士道は地を払って退けられた。
民主主義の道徳、それは結構である。それでなくてはならないと思う。
しかし、新渡戸稲造の言うように、それらの根底に武士道の「義」に匹敵するものが絶対になければならない。
果して今の日本人は、これでいいのだろうか。
今回は三笠書房発行の『武士道』新渡戸稲造著、奈良本辰也訳・解説の一部を紹介させて頂いた。日本にもかつて世界に誇り得る
「武士道」のあったことを何かの機会に思い出す縁にして頂ければ幸いというものである。
(1997.8)