3. 遊戯三昧(ゆげざんまい)

 1996年5月、社団法人・日本彫刻会の会友に推挙されたのを機に、自宅のガレージの一部を仕切ってアトリエに造りかえた。
 いざ仕事部屋ができてみると、「○○工房」とか、、アトリエ○○」という看板がほしくなり、銘木店を何軒か探して欅の古木というか 流木というか、とにかく面白い格好の手頃な板を買ってきた。
 そして、() ねて親交のあった日蓮宗護法寺の住職で書家の中島教之師にお願いして、「遊戯三昧[ゆげざんまい]」と書いて頂いた。
 この言葉は、『無門関』という「無」の境地を明らかにした禅宗の書の中に出てくるもので三昧とはいうまでもなく一つのことに心を 専注して無念になる状態のことである。
 禅に関した書の中には、無為寂静の坐禅を示す「静勝(じょうしょう) 三昧」とか、何の束縛も又こだわりもなく常に平常心をもって、自在無碍の境地 に達する「大自在三昧」、又は達磨大師の「壁観三昧」等があり、その三昧の中の最も勝れた三昧を「(おう) 三昧」といって、 「一切の三昧は、この王三昧の眷属なり」と『正法眼蔵」で言っている。
 私の好きな「遊戯三昧」は『無門関』の中で「生死岸頭に於いて大自在を得、六道四生(ろくどうししょう) の中に向かって遊戯三昧せん」と書かれている。
 六道とは、衆生が善悪の業によっておもむき住む六つの迷界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)のことであり、四生は四つの悟り の世界(声聞・縁覚・菩薩・仏)のことである。
 私のこれ迄の長い人生のうちには、成功率50パーセントという危険な心臓の手術や、会社の倒産、整理等という地獄も経験したし、 又幸いにも心臓手術が成功して仏様の声を聞いたように思ったこともあった。
 私が初めて月刊誌に拙文を掲載させて頂いてから今日までも、常に六道四生の問をさまよい歩いていたわけで、その間私の書いた 「馬耳東風」は今考えてみると、その時々の心の遍歴にただ自分勝手な理屈をつけて書いただけのことである。
 おそらくこれからも私はこの六道四生の中をさまよいつづけることになるだろうが、せめてこのアトリエにいる時だけは自分の本心に まかせて自在にふるまいたい、遊戯三昧がしてみたいという願いをこめて「遊戯三昧」の額をかけたというわけである。
 人間という生き物は修羅と天上の間にいるだけに、会社の仕事をしながら遊びのことを考えてみたり、有難い仏様の本を読みながら 一杯飲み屋の女将の顔が浮んだりという具合で、常に一つのことに徹することができず、貴重な人生の時を無駄にすごしているように思えてならない。  なんとかこのアトリエにいる時だけは、一つのことに徹底的にうちこんで、「一行三昧」にひたりたい、これが今の私のいつわらざる 願いである。
 私もあと三年半で満七十歳になる。会社を定年になっても、何かのサークルに入るとか、又は芸術やスポーツを通じて常に若者達と 共通の場にいることが若さを保つ秘訣であり、自分の将来に対して常に何らかの生き甲斐を見出そうと前向きに努力している人は第三者 の目にも若々しくうつるものだ。日本彫刻会の創始者、平櫛田中は九十歳になってから三十年分の彫刻の材料を買いこんだという。
 この残された人生を、なんとか有意義に、悔いのないようにすごしたいと切に思う。
 無限の可能性というか、未知の世界に対するあくなき挑戦がそこにある。
 平櫛田中の九十歳の青春、おそらく彼は死ぬまでその青春をつらぬき通したに違いない。
 私も実のところ、このような生意気な文章を毎月公表することで、自分の気持をふるいたたせて彼の青春にあやかりたいと願っているのだ。
 「青年賦」にいう。
 「常に明るい希望を持ち、勇気凛々、未来の夢に挑戦する人、生命の歓喜を神仏に感謝する人であれば、五十であろうと七十であろうとその人は青年である」と。

(1996.8)