『芸術は長く、人生は短かし』
ヒポクラテスの言葉です。
芸術を完成させるには長い長い年月がかかるものだ、しかしその年月に耐えるには人間の命はあまりにも短かすぎるということか、
それとも芸術作品は何百年も残るけれど、それにひきかえ人間の命はあまりにも果敢
なすぎるという意味なのでしょうか。
彫塑を始めて約五年、まったくの素人だった私が日本彫刻会主催の『日彫展』に馬のブロンズ像を出品して二年連続の入選を果し、
彫塑歴こそ短かいが、こと馬術に関しては半世紀以上のキャリアがあり、馬に関する知識と愛情においては一般の彫刻家には滅多に引け
はとらないと密かに自負するものがありました。
ところが、今年の秋、彫塑の原型となる石膏取りのI先生の処で、はからずも近代彫刻の発展とともに歩んだ馬の彫刻家、池田勇八氏
(1886~1963)の次女、池田早梅
さんにお目にかかることができました。
池田先生は明治三十六年、現在の東京芸術大学の前身、東京美術学校の彫刻科に入学、同期には朝倉文夫や小倉右一郎といった日本彫刻
界を代表する錚々
たる人達がおりました。 彼は朝倉文夫の勧めもあって、主に馬をテーマとした作品を手がけ、明治、大正、昭和三代
の天皇の御料馬の彫刻は特に有名で、馬の彫刻といえば池田勇八といわれ、『馬八』の異名さえあった人です。
池田早梅さんが石膏取りのI氏の処へ来られたのは、近々横浜の馬の博物館で『馬の彫刻家、池田勇八秋季特別展』を開くことになり、
その準備のためだったのです。幸運にも私はI氏の紹介もあってその個展の御手伝いをさせて頂くことになり、先生の作品数十点をゆっく
りと手に取って鑑賞する機会にめぐまれました。実際に先生の素晴しい作品の数々を目の当たりにして、それまで馬の彫刻に関しては
一家言を持っていた私も、悔しいかなその考え方の一部を訂正せざるをえなくなりました。
それ迄先生の馬像といえば世田谷の馬事公苑にある親子の馬と遊佐賞の伸長速歩のブロンズ像しか知らなかった私は、池田勇八と
いえども何程のことやあらん、と高をくくっておりました。
荒削りなタッチの先生の馬は、農耕馬や放牧中の馬が多く、けっしてオリンピックや世界選手権に出てくるような骨格的にも申し分
がなく、その上、馬術の達人によって鍛え抜かれ、洗練された美しい現役の名馬ではありませんでした。
しかし、先生の馬像には、たしかに馬本来の持っている穏和で愛情に満ちた暖かい肌の温もりが感じられ、その上平和で草や土の匂い
すらしておりました。
『動物とともに過した六十年の歳月を顧みれば、長くもあり又短かくもあった。偽りのない自然の表情をもつ動物を相手に、その時々
の興に乗って、自由に、何の束縛もなく、ただ制作三昧に過せたことは幸福であった』と先生が最後に回顧された如く、おそらく馬に
むかって粘土をこねている時が人生における最高の時であったことは想像にかたくありません。
要するに私はこれまで、馬の本当に美しい姿は、ターフを蹴ってゴールを駈け抜けるサラブレッドの勇姿であり、大障碍を飛越する馬の
筋肉の躍動美や、馬場馬術馬のリズミカルで踊るような優雅な姿であると信じて、その姿をなんとか再現しようと努力していたのです。
しかし、先生の馬像に接し、弛
まぬ鍛練によって鍛え抜かれた名馬の美しさ以外に、馬本来の持っている内面的な美しさ、優しさを
表現することも忘れてはならないことだと再認識させられました。
思えば私は、小学校低学年の頃から、戦中戦後を通して今迄に一体どのくらいの時間と労力を馬に費やしたことでしょう。馬術に対する
私の半世紀にわたる、ひたむきな情熱と、真剣な研究努力をもってしても、なおかつ現在のこの為体
です。
まして真の芸術と言われるものが四年や五年で完成するはずもなく、この思い上がりに我ながら呆れ果てると同時に、幸いにもこれから
の私の彫塑の進むべき道を見出せたように思いました。
『蟪姑春秋を識らず
伊虫あに朱陽の節を知らんや』
つくつくぼうしは夏に生まれ、その短かい一生を終る。自分の生きた季節しか知らないつくつくぼうしは、まして春や秋のあることを
知るよしもなく、春秋を知らないつくつくぼうしは当然のことながら自分の生まれた季節が一年中で一番暑い夏だということも理解でき
ようはずがない。
人間も又、三界に生を享けてその短かい一生を終る。自分の生きた世界が流転の三界であることも知らずに。
今回はからずも池田先生の作品の何点かを拝見したことによって、美しい生命力に満ちあふれた春や、金木犀の香り漂う爽やかな秋の
ほんの一部を垣間見ることができました。
心臓病を患ったお陰で彫刻とめぐりあい、その心臓の手術を余儀なくされ、一たんは死を覚悟したことによって、仏様によって生かされ
ている命を実感として捉えることができました。
これからも命ある限り、仕事を通じ、馬に乗り、又彫刻を創ることによって、さまざまな人達とめぐりあい、自分の世界を広げたいと
思うのです。
(1996.1)