9. メンタル・マネージメント(勝つための三意識)

 私の関係している近代五種競技(ペンタスロン)は一般的にはあまり知られておりませんが、一応これでも歴としたオリンピック種目 で、ヨーロッパや北欧ではなかなか人気のあるスポーツです。
 競技の内容は、一人の選手が、フェンシング、水泳、射撃、マラソン(クロスカントリー)そして馬術の障碍飛越、の五種目を行ない、 その総合得点で優勝を争う競技です。
 今回は、この五種目の競技を通じて、毎日の練習や技術以上に、精神統一が非常に重要な位置を占めていること及びその「メンタル・ トレーニング」を選手にどのように指導しているかについて書くことにします。いろいろな競技会において、普段の練習ではかなりの 高記録を出している選手が、いざオリンピックのような大試合になると、平素の実力を充分に発揮することができず、練習記録を大幅に 下回る成績に終るというケースは枚挙に遑がなく、ここにメンタル・マネージメントの重要性が強く叫ばれるようになりました。
 オリンピックは参加することに意義があるとスポーツ関係者はいいます。
 また、一部のスポーツ選手は優勝しようと最善をつくすことに意義があるともいいます。
 しかし私は、そのどちらも正しくないと思います。
 それらの言葉は、優勝者の目から見れば、敗者の負けおしみにしかすぎないからです。
 何故ならば、勝者は常に正しく、敗者は常に意気地なしと見なされるからです。
 又人はよく勝ち負けは問題ではない等と馬鹿なことを言いますが、本当は勝ち負けが総てなのです。
 負けるより勝つ方が良いに決まっており、スポーツにおいても人生においても勝たねば何の意味もありません。
 かりに武運つたなく負けたとしたら、何としても勝つまで努力すべきです。
 負けは、つらく、みじめで、その心は深く傷つくものです。
 全力を出し切ったからと自分自身に言いきかせ、悔しがりもせず、又負けても平気な人は、スポーツをする資格のない人です。
 スポーツをするからには、また一度(ひとたび) 人間と生まれてその第一歩を踏み出したからには、何がなんでも勝つ迄努力すべきです。
 「汝等知らずや、競走の場を走る人は悉く走ると難ども、賞を受くるべきは一人のみ、汝等受くべき様に走れ」(コリント前書九章二十四節)
 人生の賞、宗教上の賞と、スポーツの賞とはその意味するところは違いますが、何事によらず、一たんやり出したからには、やはり賞は受くるべきです。
 あらゆる試合において、常に全参加者のうちの僅か五パーセントの選手だけが、総ての試合の優勝の95パーセントをその手中におさめているといわれております。
 それでは、その5パーセントの人達は他の選手と一体どこが違うのでしょうか。
 優勝者とそれ以外の選手との違いは唯一つ、「考え方」にあるのです。
 勝者はその試合に対する考え方が負けた選手と違うだけです。
 射撃スポーツ界の三冠王ラニー・バッシャム氏は、勝つための三つの精神活動システムを作りあけました。
 その三つとは、「意識」「下意識」そして「セルフ・イメージ」です。
 選手が気持よく、上手にプレーしている時は「意識」「下意識」「セルフ・イメージ」の三つの精神活動がバランスよく保たれていて 無駄な努力をする必要のない時だというのです。
 このように、三つの精神活動を良く理解して、その一つ一つの可能性を十分に引き出し、その三つの問のバランスを注意深く維持する こと、これがメンタル・マネージメントというものです。


「意識」
 心が目ざめている時の状態、あることを心に描いたり考えたりする状態。
「下意識」
 倦くなき練習によって、いちいち細部を意識しなくても自動的に無意識のうちに働く意識。
 自動的に技術が使われている技術の源。
「セルフ・イメージ」
 絶対に私は誰よりも強い、私は絶対に優勝するという思いこみ。
言い換えると私達は常に自分の持っているセルフ・イメージに導かれながら、自分らしく振舞っているといえます。

 ゴルフの場合でも、私を含めて初心者は、クラブを振りあげた瞬間に、上手く当たるかな、ヘッドアップは、目や頭の位置は、重心は、 肘は等といろいろなことが走馬燈の如く頭をかすめ、その結果動作は自然とぎこちないものになってしまいます。
 従って、それらの「意識」を練習によって「下意識」に覚えこませれば、その行動はスムーズになるはずです。
 そして最後に「私は必ず良いショットを打つ」というセルフ・イメージを持つことが大切だと言うのです。
 「上手にあたるかな」という思いは、自分に「失敗するかも知れない、いや必ず失敗する」というセルフ・イメージを与えてしまうこと になるとバッシャム氏はいうのです。
 このことは馬術競技にも完全に当てはまります。
 成功はけっして偶然の産物ではありません。
 成功とは予想した道を通って到達するものなのです。

(1994.8)