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「的を中
るの箭
の必を取るべきものは、従容閑暇よりこれを得るなり、未だ匆忙恍惚
にして、必を取るべきことあらざるなり。
匆忙にて中ることあるは、また幸いなるのみ」 李呈芬
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矢を的にあてるためには、まず第一に身も心もゆったりとゆとりをもたなければいけない。
精神が集中できなかったり、外のものに心を奪われていたのではけっして的に矢を当てることはできない。
かりに万一、的に矢が命中したとしたら、それはまったくの偶然にすぎない。
この文章は李呈芬という人が書いた「射経」の中の一節です。
更に李呈芬は従容閑暇して矢を的に命中させるためには「五徳」が必要だと付け加えています。
即ち、その五徳とは、
一、姿勢を正し
二、ゆったりとした気持で
三、自然体にかまえて
四、呼吸を整え
五、一点に集中すること
だそうです。正に御尤もと言わざるを得ません。
しかし、そう言われて、「はい、わかりました。仰せの如くいたします」とその通りにできる選手が果して何人いるでしょうか。
一、
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正しい姿勢とはどういう姿勢なのか。
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二、
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どうすれば「勝って来るぞと勇ましく」日の丸の旗と国民の期待を一身に背負いつつ大観衆の前で、ゆったりとした気持になり得るのか。
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三、
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極度の緊張のなかで、どうやって呼吸を整え、自然体に構えられるのか。
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四、
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走馬燈の如く頭の中にいろいろな思いが去来するなかで、いかにして雑念をはらい一点に集中することができるのか。
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五徳の次にその具体策について書かれたものを私は寡聞にして知りません。
おそらくそれ以上は私達自身が修行によって体得する以外にないからです。
随分と無責任な話ですが、このような文章は古来「名言」といわれるものや「禅語」の中によく見うけられます。
この種の「名言」はいわば薬の効能書きのようなもので、それを読んだだけでは何の効果もありません。
その効能書きの裏に隠れたものを読みとった上、自分の体調や体形に本当に合うか否かを見きわめて、その薬を服用してこそ初めて効
き目が現れるというものです。
しかしこれは大変にむずかしいことで、私を含めて世に論語読みの論語知らずの多い由縁です。
スポーツは理屈でわかっていても身体が言うことをきかなければ本当にわかったことにはなりません。
それを身体でわからせるためには絶えざる練習によって「下意識」を充実させる以外にないのです。
しかし、ここで大切なことは、下意識をつけようとただ闇雲に練習をすればいいというものではありません。万一その練習方法が誤って
いたとすれば、練習をすればする程下手になって、気がついた時には矯正不可能な悪癖が身について、その人の選手生命が断たれてしまう
例が少なくないからです。
正しい指導のもと、正しい練習を積んで、下意識を養い、意識、下意識、セルフ・イメージの 三つの精神活動の一体化を図ることが
勝利への唯一の道であり、その精神活動の一体化こそが「従容閑暇」でありメンタル・マネージメントと言うことになります。
それでは、射撃スポーツ界の三冠王、ラニー・バッシャム氏の勝つための三つの精神活動について考えてみましょう。
一、意識
意識は一度に一つのことしか考えることができません。
従って選手は試合にのぞむ前に、勝つことだけを思い浮べ、考え続けるべきだとバッシャム氏は言います。
「負ける、失敗する」というマイナス要素は完全に念頭から消し去る必要があります。
以前ピアノのコンクール等で、付き添いの母親が、「あがっちゃ駄目よ、あがらないようにね」等と舞台に出ていく娘の背中に声を
かけている光景をよく見かけました。
それを聞いた娘は、今自分はすごくあがっているという事だけを意識してピアノを弾きはじめます。その結果は果してうまくいくで
しょうか、御想像にまかせます。
二、下意識
私の娘は二人とも音楽大学のピアノ科を出ていますが、彼女達の指の動きは私にはまるで奇跡としか言いようがありません。
意識的に弾かねばならないピアノでは、瞬間に意識して行なえる動作は一つだけだというのに、鍵盤を「指づかい」を正確に、しかも
両手で強弱をつけて弾きながら、足では三本のペダルを踏みわけ、頭の中の楽譜を思いうかべながら、それに自分なりの曲想を加えて
全曲を間違いなく弾きこなさなければなりません。
初心者にはまったく不可能なこの芸当を、いかにも楽しそうに弾きこなす下意識とは、一度に非常に多くのことを処理できる大型コン
ピューターと言わざるを得ません。
そして下意識の最も重要な役割は、意識が描いたイメージを自然に導き現実のものとしてくれることです。
三、セルフ・イメージ
「何としても勝ちたい」と思っても負けるのは何故だろう。それは「自分が勝つのがあたりまえ」「勝つことが最も自分らしい」と
思いこんでいないからだと彼は言います。
更に人は誰でも努力によって自分のセルフ・イメージを自分が望むものに作り変えることができ、そうすることで自分自身の振舞いと
いうか、自分自身をつくりかえることができると主張します。
自分が今おかれている立場、環境が変らない限り、今の自分を変えることができないと思い込むのは誤りのような気がします。
私達は自分の内側から自分を変えることによって、自分を取りまく周囲の環境すら確実に変えることができると信ずべきなのです。
「我人に勝つ道を知らず
我に勝つ道を知りたり」 柳生宗矩
(1994.9)